○ジャマール・ティンズリーインタビュー Q 最初にバスケを始めたのは? A 6歳。 305公園でプレーしていた。 子供の頃は、毎夜そこへ行き、夜遅くまで練習してた。 そして朝にまた行き、練習したよ。 毎日バスケをしてたし、バスケが生きがいだったんだ。 Q ご兄弟とかはどうだったの? A みんな他のことをしてたよ。 3人の兄弟と4人の姉妹がいたが、長男はバスケが結構 上手かったけど、プロになるほどやる気はなかったみたい。 Q 組織的なバスケを始めたのは? A すぐに12歳以下のトーナメントに出てたりした。 AAUでプレーしていたのが7、8歳だったかな。 Q 高校の時は色々なところへいってるよね。 そんなに色々点々とした理由は? A 4つかな。 生きていくのに一生懸命だったから、一つの場所に いられなかった。 Q 高校時代、有名な選手とプレーしたりした。 A ステファン・マーブリー。 同じAAUチーム、ブルックリンでプレーしたんだ。 Q 体育館以外ではどこでプレーしてたの? A どこでもやってたさ。 特にニューヨークの公園でやってたね。 Q 過去をおもいだして 公園バスケの思い出に残ることは? A たくさんありすぎて・・・。 いつも楽しかったよ。 ファンを楽しませようとプレーしていたのが楽しかったね。 Q どこの大学にいくかはどのように決めたの? A どん底からのスタートだった。 アイオワ大学も低迷していた。 でも、アイオワ大学はファミリーのようなチームだった。 だからそこに留まった。 Q 大学での一番の思い出は? A アイオワ大学に入ったのが一番よかったことだと思う。 コーチも色々要求してくれ、次のレベルにいけるきっかけ になったと思う。 よく間違った選択をしてしまう人がいるが、自分は正しい 選択ができてよかった。 大学に行ったのはいい経験だった。 小麦地帯の中西部の大学だったけどね。 Q 過去に一緒にプレーした中で、コイツはプロに行くだろうな と思って、今いない選手はいる? A たくさんいるよ。 日々そんなのがゴロゴロしてたけど、たまたまうまく ことが運ばなかったんだろうね。