○成功ドラフトたち 1986年にドニー・ウォルシュがインディアナペイサーズの トップになってから、数多くの成功ドラフトがある。 そのドニー・ウォルシュにその成功ドラフトについて 語ってもらった。 彼の指名で好きなピックを答えてもらった。 ☆ウォルシュ 「1990年のアントニオ・デイビスはいい仕事をしたと思った けど、どの指名もいいドラフトピックだったよ」 「ただ1988年のスミッツを2位指名したのも、たまたま彼 みたいな稀有な選手がいたおかげだ」 「デイル・デイビスも素晴らしい指名だったと思う」 「たぶん、私のベストピックであろう」 「まぁ、本当は選びがたいよね」 では、確認してみよう。 ○大きな壁にぶちあたって・・・1986年 チームは4年連続26勝未満の弱小チームだった。 オーナーであるメルとハーブシモン兄弟はドニー・ウォルシュ にフランチャイズを託した。 ウォルシュは最初のドラフトで4位指名権を持ち、多くの優れた 才能(ケニー・ウォーカー、ウィリアム・ベッドフォード、 ロイ・タープリー、ロン・ハーパー、ブラッド・セラーズ)の 中から、チャック・パーソンを指名した。 ○パーソン・6−8・225ポンド・フォワード パーソンは平均19点8R3.6アシストの大活躍で、 ルーキーオブザイヤー、そしてチームを5年ぶりのプレーオフに 導いた。 彼はインディアナでの6シーズン、平均19点6R3.6アシ ストと活躍し、ミネソタに、マイケル・ウィリアムスとプー・ リチャードソン、サム・ミッチェルとのトレードで移籍した。 ☆ウォルシュ 「我々は4位指名権を持ち、ゴールデンステイトが3位、ニュ ーヨークが5位指名権を保持していた」 「ニューヨークはパーソンの指名を望んでいたので、トレード アップをしてくることを恐れたが、ゴールデンステイトが ビッグマンの指名を望んでいたことを知っていたので、ゴール デンステイトに、私はビッグマンの指名を望んでいると嘘ぶい た」 「それが功を奏したのかどうかは知らないが、ゴールデンス テイトはトレードせずに、私はチャックを指名した」 「みんな私のことを嘘つきと呼んでいた」 「もし嘘をつくなら最初の一発目が肝心だよ」 「みんなその後は信用してくれなくなるからね」 「彼がルーキーオブザイヤーを取り、2度目のプレーオフに 進めたから、GMとして正しい仕事をしたと思っている」 ○バスケ王国との戦い 1986年−87年シーズンでの変革後、チームは11位指名 権を持ち、インディアナ指名時にはレジー・ミラー、マグジー ・ボグス、ジョー・ウォルフ、テリス・フランク、ジョー・ オルティズ、クリスチャン・フェルプ、ロニー・マーフィー、 マーク・ジャクソン、ケン・ノーマンがいた。 ただ地元の希望はインディアナ大学のスター選手、スティーブ アルフォードだった。 ○レジーミラー ミラーの指名はその時の評判は悪かったが、今のフランチャイズ を組み立てる最高の選手の指名であった。 3年目でスタータになり、3Pの歴代1位になるなど、数々の 記録を残して引退した。 ☆ウォルシュ 「ドラフトになり、私はPGを必要としていたので、ケヴィン・ ジョンソンを指名したかったが、クリーブランドに先に指名され るらしいので、再考を練らねばならなかった」 「そしてその時、レジーを見て、私はレジーに注目した」 「レジーを取れるとわかった時、もちろんアルフォード回避の ファンからの反発も理解していたが、私はレジーに自信があった」 「彼は素晴らしいシューターであったが、みんなが考えている 以上にいい選手だった」 「私は私を含めてた全ての人間の想像以上に素晴らしい貢献を してくれたので鼻が高いよ」 「インディアナ大学のファンは私を許してくれたと思う」 ○センターに注目せよ・・・1988年 インディアナが過去最高の2位指名権を得た年。 リック・スミッツ、チャールズ・スミス、クリス・モリス、 ミッチ・リッチモンド・・・らがいた。 ○リック・スミッツ・7−4のC スティーブ・スティパノヴィッチのリザーブとして、将来性の ある細いセンターとして考えられていた。 しかしスティパノヴィッチが原因不明の膝骨の障害に陥り、 彼は引退を余儀なくされ、スミッツに多くの仕事が回ってくる。 彼はすぐに得点力を示し、いきなりオールスターゲームに出場、 12年のキャリアをインディアナで過ごし、平均15点6Rの 活躍。 2000年にファイナル進出後、引退した。 ☆ウォルシュ 「センターが欲しかった」 「スミッツとロニー・サイカリーのどちらかの指名だったが、 スティパノビッチのPFにするか、もしくはスティパノビッチの リザーブとして彼らを検討していた」 「両方ともいい選手だったが、リックは7−4もあったし、 リックのシュート力には本当に魅力があった」 「彼を指名し、ある程度時間がかかると思ったが、スティパノ ビッチが怪我をし、彼の成長にそんなに時間はかけられなかった」 ☆層を厚く・・・1990年 昔のトレードでインディアナが持つべき指名権の14位指名と 40位指名権は失われていた。 彼らにあったのは45位指名と46位指名。 彼らが指名するときには、アントニオ・デイビスやケニー・ ウィリアムス、デレク・ストロング、セドリック・セバロスと いった堅実な選手が数名いた。 ○アントニオ・デイビス・6−9・PF ○ケニー・ウィリアムス・6−9・SF ケニー・ウィリアムスはルーキーシーズンから75試合に 出場し、4年間で平均5点3Rの成績でNBAキャリアを 終えた。 アントニオ・デイビスは3年間欧州でプレーした後、1993年 からチームに加わり、すぐにチームに貢献し、6年間で平均9点 6.6R、その後、1999年にドラフト5位指名であった、 ジョナサン・ベンダーとのトレードでトロントに移籍した。 ☆ウォルシュ 「スカウトスタッフのとこにいって、彼こそ、我々が欲しい 選手だよって話したんだ」 「彼らを取れれば、今年のドラフトは価値があるぞってね」 「1人はAデイビス、もう1人はケニー」 「2人とも45位、46位で指名できる予定だったし、きっと 取れると思っていた」 「我々は大きな選手が欲しかった」 「彼らが大きな選手かは別にして、それ以上に彼らは貢献して くれた」 「ケニーも若すぎてバスケでは成功しなかったが、年齢のわりに は、頑張ったと思う」 「素晴らしいプレーもいくつかあったよ」 ☆スミッツの補完・・・1991年 シューターは非常に揃っていたが、スミッツのリバウンド力の 穴を埋めるリバウンダー選手が必要だった。 チームは13位指名権を持ち、デイル・デイビス、リッチ・ キング、アンソニー・エイベント、クリス・ぎゃとリング、 ヴィクトール・アレキサンダーといった選手が残っていた。 デイル・デイビスはプ体調不良のプレドラフトワークアウトで 20本のコートサーキットをやった後、ゴミ箱にゲロを吐いた。 これで終わりかと思い、スカウト陣がペンを置くと、彼は ウォルシュのところまで来て、「次はなにをすればいいんだい」 と聞いた。 ○デイル・デイビス デイビスはリバウンダーであり、ディフェンダーであり、ショ ットブロッカーとして1990年台のインディアナを支えた。 平均9点9Rの成績で2000年のオールスターゲームにも 出場。 2000年8月31日にジャーメイン・オニールとのトレード でポートランドに移籍した。 ☆ウォルシュ 「調子が悪いにも関わらず、我慢して行ったワークアウトは 印象的だった」 「我々はリバウンダーが必要だったから、彼に注目していたが、 あそこまでやるとは思わなかった」 「彼の大学チームの選手やプレドラフトワークに来る人間達 とかには、よく彼のその日の話をするよ」 「彼は大学での3年間本当に素晴らしいリバウンド力を見せて いたから、指名することにした」 「また私がデイビスのことを本当に素晴らしい選手だとみんな に言っていたので、他のチームの首脳陣は嘘だと思っていた みたいで、本当に13位指名で取るとは思わなかったって驚いて いたね」 「ミルウォーキーはわざわざデイルを取るために15位指名権 までトレードで獲得していたから・・・」 ○バックコートの強化 バーン・フレミングとヘイウッド・ワークマンが2年間PGの ポジションを埋めていたが、ウォルシュはスピードと攻撃力の ある選手を希望していた。 23位指名。 トラヴィス・ベスト、ローレン・メイヤー、デイヴィッド・ バーン、シェレル・フォード・・・。 また52位指名権も持っていた。 ○トラヴィス・ベスト・・・5−11・PG ○フレッド・ホイバーグ・PG 彼はスター選手ではなかったが、堅実なリザーブとして、 平均8点4Aの成績を残した。 2000年シーズンには12点6Aと活躍したが、ジャマール ・ティンズリーのバックアップ扱いになり、シカゴとの7選手 トレードでシカゴに移籍した。 ホイバーグはロースター入りし、4シーズンで平均4点、 FAでシカゴに移籍した。 ☆ウォルシュ 「PGが欲しかった」 「高校時代のトラヴィスを知っており、信じられないような スコアラーだった」 「1試合30分ちょっとで84点をたたき出すのをみて、私は 彼に好感を持っていた」 「スコアリングPGとしては小さかったのが、各チームが回避 した理由だと思う」 「守備面もしっかりしていたし、あのクイックネスを持った 選手がウチにはいなかったので、彼の指名は上手くいった」 「彼のような選手を見出すのもドラフトの醍醐味なんだ」 ○変革・・・1998 1998: Change in Philosophy 優勝したシカゴにイースタンカンファレンスファイナルで破れ、 すぐに貢献できるようなインパクトある選手を必要として いなかった。 しかも25位指名。 ウォルシュは将来性のある選手を獲得することを考えた。 彼は大学経験のある選手を獲得したいといっていたが、ウォル シュは能力ある2人の高校生に注目していた。 アル・ハリントンとラシャード・ルイス。 ○アル・ハリントン 2000年シーズンには7.5点5Rでファイナル進出に貢献。 01年シーズンには平均13点6Rで6thマン候補にもな ったが、膝の怪我で選ばれなかった。 次のシーズンに平均12点6Rで82試合全てに活躍し、 アトランタに移籍した。 ☆ウォルシュ 「インディアナは層の厚い、いいチームになっていた」 「うちのチームですぐ貢献できる選手を指名できるとは思って いなかったので、アルかルベン・パターソンの指名を考えた」 「しかし、将来的にルベンはうちのチームで長いことプレーし そうにもなかったので、ベテランチームに高校生選手を加える ことにした」 またもう1人貢献できる高校生、ラシャード・ルイスを獲得 できるポジションにいたが、うちがアルを獲得し、シアトルが 彼を指名することになった」 「両選手ともいいドラフトになったが、正直私が高校生選手を 獲得するとは思わなかった」 「ちょっとはリスクを犯すのもいいかなって思ったよ」 「プレーオフ上位チームで、下位指名権しかないときには高校 生も面白いね」 ☆ダイスを転がせ・・・1999年 チームは2年連続カンファレンスファイナルに進出、ロースター も貢献できる選手で埋め尽くされていた。 ただチームには1巡目指名権がなかった。 この年の指名は彼の指名の中でもっとも論議を呼ぶものかも しれない。 ○ジョナサン・ベンダー ウォルシュはA・デイビスを放出し、5位指名権でベンダーを 獲得した。 デイビスはトロントのスターターを1年間務めあげ、オール スターに出場した。 一方でベンダーはリザーブとして4年平均15分5点。 ☆ウォルシュ 「Aデイビスをトレードする前に、彼は私にスターターをやり たいし、もし出来ないのであれば、トレードを求めるかもしれ ないと言ってきた」 「シーズン後、彼は私にトレードできるならしてほしいといい、 私もチャンスがあればやってあげようとした」 「ベンダーは素晴らしいタレントだったが、もちろん待つことを 理解していた」 「クローシェアがアントニオ・デイビスの穴を埋めてくれると 思った・・・もちろんプレーオフに導くほどの大活躍は予想し なかったが」 「よく聞く言葉に、アントニオ・デイビスを維持してくれれば 優勝したかもっていうけど、私には理解できない」 「Aデイビスがシャックを止められたとも思わないしね」 「ベンダーのことを失敗ピックという人もいるけど、私はそう は思っていない」 「突然、彼が出場し始めればそれを示すだろう」 ☆ガードチェンジ・・・2001年 1巡目ピックがなく、攻撃重視のベストを補完するプレイメー カーをチームは必要としていた。 ウォルシュはティンズリー、パーカー、アリーナスといった 選手を未来の1巡目と貢献に得た27位指名で獲得することを 考えた。 ○ジャマール・ティンズリー ティンズリーはすぐにスターターになり、大活躍した。 ☆ウォルシュ 「トラヴィスがいたが、もう1人PGが欲しかった」 「41位指名しかなかったが、ティンズリーが本当に優れた PGだと思っていたので、もしチャンスがあれば、指名権を 獲得して彼を指名しようとした」 「パーカーとアリーナスもいたが、どちらかといえばシューター よりだったし、ウチにはトラヴィスがいたので・・・」