◎「支配者をたたえよ・・・アイザイア・トーマス」 母親だけが真実をわかっていたのかもしれない。 私(筆者)は決して忘れることができないことがある。 シカゴの高校時代、選抜チームのトライアウトで私はただただ 30点を挙げ、カットされた。 涙も出なかったし、後悔の念もなかった。 ロッカーで座っていると、母親が私の耳の側で囁いた。 「どうしてお前は他の選手を信用しないんだ」 その時の自分にはできなかった。 しかし、私もそのうちできるようになった・・・。 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 「支配者の伝説」 自分にとってアイドル的存在について書くのはもっとも難しい。 どうしても誇張して書いてしまうところがあるからだ。 私は編集者、読む人、そしてアイザイア本人にわびなくては ならない。 しかし、シカゴで育った私は彼に関連するいかなることでも 関係したかった。 アイザイア・トーマスは私にとって、ジュリアス・アービンと並ぶ もっとも重要なバスケットボールプレーヤーだ。 元デトロイトのコーチ、チャック・デイリーもこういっていた。 「もし、アイザイアがあと5インチ大きければ、彼は多分 過去最高の選手にさえ思われただろう」 「If (Isiah) had been five inchestaller, he probably would have been considered the greatest ever to play the game」 これは、たった5インチが彼の偉大さを人々の心から消し去る ことになってしまったことを意味する。 アイザイアは4番目の人間でしかなかった。 バード・マジック・ジョーダン・・・チャック・デイリーの言葉 は、アイザイア・トーマスが4番目の人間であるべきでない ことを物語っている。 5インチ・・・それだけの違いだった。 NBAレベルからそれ以下まで多くの小さな選手が活躍 しているが、アイザイアが、多分最高の選手であろう。 マーフィー・コージー・アーチボルド・アイバーソン、ハーダウェー ストックトン・・・ 彼にはネイト・アーチボルドやボブ・コージー・ハーダウェー・ アイバーソンにはない能力があった。 スティーブ・フランシスやジェイソン・ウィリアムスといえども得ら れないだろう能力を・・・。 多くの人々が彼の全てのプレーを見ていないだろう。 彼は私達に衝撃を与えた。 (88年のアトランタシリーズ、84年のNYシリーズ、88年の ロサンゼルスレイカースシリーズなど) しかし、それらのシリーズと2つのチャンピオンリングはささい なものに過ぎない。 彼はリングの為に、自分のプレーを抑えた。 彼は自分を誰も止められないことはわかっていたが、自分自身 で制御した。 優れたバスケットボール選手になるよりも、スマートなバスケット ボール選手になることを選んだ。 しかし、なぜ歴史は彼を優れた選手と思わないのだろうか? スポーツイラストレーテッドの「バスケ100年の殿堂」に彼の名前 がないのはなぜなのか? ESPNの「20世紀ベスト50」に彼の名前がないのはなぜなのか? なぜ歴史は彼をマイケル・ジョーダン、ラリー・バードといった人間 と同等に扱わないのか? 彼はそこに所属してしかるべきだろう? 彼は驚くべきプレーだらけだった。 コーナーでアウトオブリバウンズラインからのフィンガーロール。 相手のディフェンダーだけでなく、相手のコーチまでをすくませる レッグスルードリブル。 サスペンデッドインミッドエアー、ドリブルザレーン、説明不能な 重力の法則を無視したボディーツウィストショット・・・。 彼の伝説の始まりは、高校1年の時だった。 残り2分、11点ビハインド。 アイザイアはスコアボードを見上げてこういった 「十分だ」 アイザイアは5連続スティールを決め、全てリングに収めた。 そして、最後にブザービーターを叩きこみ、セントジョセフ高校 に勝利をもたらした。 2分間たった1人で12点。 そしてデトロイトでの1年目。 シカゴ州立大で行われたシーズン前のサマーリーグ。 彼の動きは、ジョーダンやアービング以上の動きだった。 辞書の定義を無視した手に負えない動きだった。 FG%730・・・ ただただ湧き上がる観衆を静めるために、敵チームはタイ ムアウトを取るだけだった。 しかし、それでもアイザイアへの観衆のスタンディングオベー ションはとまることなく、タイムアウト中続いた。 彼の輝きは、大舞台でも何度か発せられた。 インディアナ大でNCAAタイトルを得た時だ。 アイザイアは前半だけで19点を獲得し、チームをひっぱった。 後半も23点をあげ、MVPとなった。 ☆ディーン・スミス(対戦相手の監督) 「後半最初のアイザイアのスティール2つが全てだった」 「彼に全てやられた」 まだある。 83年の対デンバー戦、トリプルオーバータイムで186−184で 勝利した試合の47点17Aは、ほんの一端にすぎない。 伝説の84年対ニックス第5戦、アイザイアはたった65秒で16点 を奪い取る。 88年ファイナル対レイカース第3戦。 彼は右足を捻挫で引きずりながら、一つのクォーターで25点を あげ、計43点8Aをマークした。 「怪我で出られる状態でなかったのでは?」とインタビュアーに 聞かれても、彼は一言「俺の普段のプレーだよ」と答えた。 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 「彼の本当の価値」 彼のプレーは、ファイナルでのMVP(89)、2つのオールスター MVP(84と86)、2つのNBAタイトル(89と90)、そしてNBA トップ50に選ばれた。 それらは彼のしたことのサンプルに過ぎない。 彼は、いつ何時、アウェーだろうがホームだろうが関係なく、ベスト のプレーをしつづけた。 「私は1日24時間バスケをプレーしつづけられる」 アイザイアが誇張なしにかつて述べた言葉だ。 アイザイアは現役の13年間の48分間のプレーだけでなく、残りの 23時間と12分もバスケに彼は費やしていた。 いついかなる場合でも自分をよりよくすることを考えた。 常にバスケのことを考えていた。 ハーフコートアリウープバウンスパス。 フリップザボールアンダーヒズアザーアーム。 グラブザボールインミッドエアーレイアップ。 これらのプレーはオフシーズン中にしばしば彼がやっていた プレーだ。 去年、ステファン・マーブリーが見せたセミキラークロスオーバ ードリブルもしかり。 アイザイアはこれらのプレーをいつ何時でもできる選手だった。 しかし、彼はしなかった。 自分の力を示すだけのプレーには興味がなかったのかもしれな い。 彼がいかに誠実な人間だったかを示すいい例だろう。 NBAの殿堂入り候補に名が挙がった時のインタビュー でも、アイザイアの答えは非常に謙虚だった。 彼の実績から考えれば、もっと傲慢で自信に満ちたコメント をしてもよかったのだろうが、彼の誠実さがそうさせたので あろう。 ☆アイザイア 「私はまだ殿堂入りできるような人間ではない」 「でも、(入れるように)祈りつづけてはいたけどね」 「もし殿堂に入れたら、今まで夢見てきたなにかを超えてし まう気がするだろうね」 「子供の頃の私は、まさかこんな立場におかれるなんて思っ てもいなかったろうね」 「もし(殿堂に入れたら)もそうなったら、恐れ多いことだよ」 ※注意 殿堂入りしました アイザイアのボールハンドリングのキレイさ、パスの華麗さ、高貴な 守備センスは、アイザイアの凄さを表わすものだった。 アイザイアの凄さは相対した人間にはよーくわかっている。 少し前、シカゴが地元の選手達が集まって、合同練習をしていたとき、 ボストンのスーパースター、アントワン・ウォーカーを、誰も止めることが できなかった。 アントワン・ウォーカーはそのメンバー全ての中でもっとも輝いていた。 そして突然、アントワン・ウォーカーはこう叫んだ 「俺がこの街で過去最高の選手なんだ!!」 プレーは止まった。 ジョワン・ハワードとJJアンダーソンは当惑した・・・。 しかし、ティム・ハーダウェーがウォーカーの方を向いてこういった。 「お前はアイザイア・トーマスって名前を聞いたことがないのかい?」 しかし、アイザイア・トーマスは自分がシカゴ1のバスケ選手とは 感じていないかもしれない。 いや、自分にはたった少しなにかが足りないことがわかっていた。 引退後、彼はこう述べている。 ☆アイザイア 「引退するまで、引退するのは早いなって感じたことはなか ったんだ」 「でも、引退した後、俺の相手していた奴らの大きさを見て、 こういったよ・・・『畜生!!』ってね」 アイザイア・トーマスに初めてあって、握手をしてもらった。 私は彼に多くの礼をいったが、本当に聞きたいことはいえない ままだった・・・。 「どうして貴方ほどの選手が他の選手を信用できたの?」と。