○スターティングオーバー ページャはスポーツを変え、内戦から 逃げる必要があった。 13歳でバスケを始め、16歳でプロ になり、19歳でNBAの1巡目に 指名された。 いわば、ページャは急激に進化した といえる。 今まで色々なドラマを生み出してきた が、今度はインディアナというチーム を作り変えるという新しい挑戦が彼に 待ち構えている。 ページャはユーゴの国境の街、ポゼガ で育ったが、内戦で荒れ、ベオグラード に逃げざるを得なかった。 サッカーをやっていたが、あまりに 大きくなりすぎて、バスケをする ことになる。 3年後には優れたシューターとして 有名になり、ギリシアのPAOKで プロデビューすることになる。 ☆ページャ 「俺はそれまでバスケの才能があるな んて思ってなかった」 「すぐにバスケに夢中になった」 「自分の場所を見つけた気持ちになった んだ」 今、28歳、ページャは新たな再スター トをきろうとしている。 サクラメントでの活躍はいうまでも ない。 3度のオールスター。 チャリティーなどでコミュニティーに も貢献した。 サクラメントもインディアナのように チャンピオンシップコンテンダーだ ったが、手が届かなかった。 サクラメントの時代を築いた4人の 選手(ウェバー・ディバッツ・クリス ティー)とともにチームを去ることに なった。 彼の評価はチームの凋落とともに、 非難の対象になった。 怪我も重なり、数字は落ちていた。 ☆ページャ 「サクラメントの今年のプレーは よくなかった」 「完全に自分たちを見失っていた」 「それで今までのようにプレーできなく なり、どんどん悪くなっていった」 しかし、たまに彼の能力が光る時も あった。 フェニックス戦で1Q23点で計33 点の大爆発を見せる日もあった。 変える必要はあったが、アデルマンHC も批判に直面し、トレードせざるを 得なくなっていた。 ☆アデルマン 「ページャとともに何シーズンも 過ごしていたから、このトレードは 辛いものだった」 「いつか選手は去るものだし、今回は それがページャだった」 「みんなはページャがいい選手じゃない ように最後はなっていたが、3度の オールスターを経験している選手は 他にいなかった」 「彼はいい選手である」 バードも同意する。 かつてバードはページャの獲得を 考えたが、アーテストが交換条件 だった。 ページャもオールNBAのセカンド チームだったし、アーテストもサード チームであり、ディフェンシブプレー ヤーオブザイヤーを獲得していた。 バードがアーテストのプレーオフで の不可解な行動が疑問に浮かんでいた ころだ。 ただその頃、両チームのオーナーが そのトレードに興味を示さなかったが。 ☆バード 「私はトレードを進めたが、オーナーが アーテストに好感を持っていた」 しかしほんの10日前に情勢は変わる。 マルーフの家族はとうとう動き出す。 トレードを推進する指令を出したのだ。 ☆ガーヴィン・マルーフ 「行ったり来たりの状況だった」 「チャンスが来たから、電話を取り、 ジョーと話し、トレードをしようと 伝えた」 ストヤコビッチにとっては妊娠した 妻がいて、小さな子供がいたので、 難しい移籍になっただろうが、でも 内戦から逃げることに比べれば、 そんなに難しいことではないだろう。 彼は家でしばしば銃声を聞き、ギリシア に逃げる前に、彼の父の食料品店は 火の海に消えた。 今に比べれば、遥かに馴染みのない 場所での再スタートだった。 欧州で対峙していたヤシケビシャス がいる。 またインディアナの国際スカウト、 ミーショ・オスターセヴィッチも いる。 彼の壮大な人生の中で今回の出来事は たいしたものではないだろう。 ☆ページャ 「なんの問題もないよ」