○ヤオの成功が中国のバスケブームを過熱させる アメリカバスケットボールデベロップメントフェスティバルに おいて中国チームのウー・クィンロンHCのコメントは、まる で当たり前の答えのように翻訳者を通して答えられた。 質問は簡単なものだった。 中国において、バスケットの位置づけは? ☆ウー 「バスケはもっとも人気のあるスポーツさ」 「バスケが一番、サッカーが二番、そして卓球が三番だね」 ヤオ・ミンの大活躍以降、バスケは中国で最も人気のある スポーツになった。 13億人いる中国人のうち、3億人がバスケットをやるといわ れている。 その見積が正しければ、アメリカの全人口よりもバスケットを やっている人間が多いことになる。 先週のアメリカバスケットボールユースデベロップメント フェスティバルにおいて、アメリカは2つのチームから波を 感じることができた。 中国はヤオ・ミンによる効果。 そしてもう1チームはたった人口400万人、ほとんどの人間が ラグビーを愛する国、ニュージーランド。 彼らは2002年の世界選手権で4位になった国だ。 世界選手権はニュージーランドが国際的なトーナメントで出場 権を得た初めての大会だった。 ☆トーマス・アバクロムビー(ニュージーランド代表選手) 「あれは大きな意味があったよ」 「今までバスケットボールを見たことがないような人もテレビで 試合を見たからね」 「それが国中を沸かす理由になった」 「ニュージーランドのバスケ熱を上げることになったのさ」 ○極東において 中国のバスケットボールのシステムはより洗練されてきている。 プロ化は1989年になるが、現在のシステムにおいては13歳 でプロになることができ、学校教育を受けつつ、バスケットボ ールに従事することになる。 ☆オウ・ペン(15歳・6−10・C) 「バスケットボールは中国において最も人気だよ」 「どれぐらいの人がやってるのかは知らないけど、とにかく人気 なんだ」 いうまでもなく、最大の理由はヤオ・ミンの活躍である。 7−6のセンターはアジア中の英雄となった。 ロケッツでの活躍は、中国で1億人以上の人が見たことになる。 オールスターではコマーシャルにも出演した。もちろん試合にも。 ☆チェン・ジャンギャ(6−2・G) 「ヤオの存在は大きかったね」 「みんな彼を見ているし」 中国の最初のプロチームは瀋陽の鞍山製鉄のバックアップを 受けたチームだった。 中国バスケ協会は1995年に形成され、2004年には12 チームを数えるまでになった。 ☆ウーHC 「それも若い少年たちがプレーするようになった理由だね」 「それによって若手が成長してきたんだ」 ウーHC曰く、より優れた選手が国内大会のために今回の試合に 参加しなかったという。 それでも中国チームは、6−11のデ・リーヘイ、4人の 6−10選手と6−9のフォワード選手を要していた。 中国にはさらに多くの選手がいるというのだ。 2004年の五輪ではセルビアを67−66で下す番狂わせを 演じ、準々決勝まで進出し、7位になった。 ☆チェン 「草の根レベルでどんどん上手くなってきている」 「プロレベルでもちょっとずつ進化している」 「ただ若手層はもっと進化してきているよ」 ○ラグビーが支配する国 ニュージーランドではアメリカのような減少が10代で起きて いる。 子供達はシーズンを通して高校で5月から9月までバスケに 興じ、その後、アメリカにおけるAAUのような国内トーナメ ントのクラブチーム対抗戦に参加する。 ニュージーランドはアメリカや、今年のNBAドラフト1位指名 候補アンドリュー・ボガットやWNBAのMVPローレン・ジ ャクソンを生み出したオーストラリアのスポーツ組織からコー チを招聘している。 「トール・ブラックス」と呼ばれるチームの世界選手権での 成功は大きな転機であったといえる。 ☆トニー・ウェブスターHC(ニュージーランドジュニア代表) 「私が今感じているのは、子供をバスケ育成システムに加入させ ようとする両親が増えていることである」 ウェブスター曰く、代表チームの5選手がアメリカディヴィ ジョン1の大学からリクルートを受けているという。 ただニュージーランドにおけるバスケには明白な障害がある。 ラグビーという国民的スポーツの存在。 そして地理的隔離により、国際大会などに参加する場合に 大規模な旅行になってしまう。 おのおのの選手はこの大会のために2000ドルの費用を必要 とし、夏に行われるオーストラリアでの大会の費用を合わせて 3000ドルの経費がかかることになる。 高校の育成システムもアメリカほどではない。 ☆アバクロムビー 「2000人の生徒がいて、コーチは2人しかいない」 「そして海外遠征になれば、費用がかかる」 「まだニュージーランドでは始まったばかりにすぎないんだ」