○厳しい旅行 ある日、ナダ・ロスバートはイヴァンとロバートの2人の 子供を連れて、戦争中のサラエボからイスラエルに逃げること を決めた。 13年経ち、ナダは今パリに住み、イヴァンは病死し、ロバート はイスラエル・アメリカン・ボスニアン・セルビアンバスケ界 のスターになっている。 ロスバートはNBAスカウトの興味も引いており、若くして、 フィジカル的にも、そして戦争経験によるメンタル的にも優れた 将来性十分な選手である。 ☆ナダ・ロスバート 「彼はいまやNBAが興味を示す選手になっているし、同じ 年の若い子達よりも成熟してるように思うわ」 「もっと身体も強くなると思うし、体重もつくと思う」 「一生懸命やってるし、できれば、彼の求める位置までいけれ ばと思う」 7−1のロバートはどんなスポーツでもインパクトを残せるよ うに思えるが、ボスニアでプレーしていたら、それもままなら なかったかもしれない。 いまや彼は成功を収めた選手といえる。 ☆ロバート・ロスバート 「ある日、銃撃戦が自宅の玄関前で行われている時もあった」 「すぐに戦車や軍人が現れ、近くで爆発音が聞こえたりもした」 「包囲されている状態だったし、自宅から逃げることもできな かった」 「ただただ家で飢えに耐えていたよ」 その困難な状況下の一つに、父親が逃げ、ナダだけが子供達の 面倒を見なくてはいけない状況である。 ☆ロバート 戦争中に、イスラエルの代表者達が多くのユダヤ人をサラエボ から助けていたが、母はボスニアに残ることを決めた」 「ただそれは失敗だった」 「でも、彼女に怒りもない。当時どうしてそうなっていたの かも理解してなかったしね」 結局、飢えに耐えかねて、彼らは父が逃げた国へ移住した。 ☆ロバート 「イスラエルにしかいい思い出はないよ」 「こんな最高の国は世界に一つしかないと思うよ」 家族は再会し、父親がシリコンバレーで仕事をもらい、彼らは アメリカに移住するも、イヴァンが病気で死んだ。 ☆ロバート 「人生で一番辛い出来事だった」 「イヴァンとは仲良しだったし、彼がなくなった日は人生で 一番辛い日だった」 イヴァンの死は家族を再び引き離すことになる。 ナダとエリーは再び別れ、ロバートは母に引き取られることに なった。 一方で、彼は信じられないペースでバスケットで頭角を現す。 地元高校チームのスター選手になり、2000年のナイキバスケ トーナメントにも招待された。 2003年にサクラメントのベイアリーナに移住し、ディバッツ から興味ある選手として注目された。 ☆ロバート 「ブラデは色々な面で俺たちを助けてくれた」 去年、ロバートは大学にいかずにフランスのクラブ、パリバス ケットレーシングに加入した。 ☆ロバート 「フランスでのシーズンは辛いものだった」 「怪我で6ヶ月もプレーできなかったからね」 「ジムでのトレーニングに時間を費やし、身体の強化に努めた よ」 彼は自分のその怪我がドラフトで指名されるチャンスを失わ せる結果になったと考えている。 ☆ロバート 「しかし、自分自身きっとNBAでやれる選手であることを 証明できると思う」 「ぶっちゃげ、大抵の選手よりも大きいし、自分の大きさは NBAが必要としてくれていると思う」 「外からのシュート力もあるし、パスも出せるし、ボールも 運ぶことができる」 「なんでもできる多才な選手だと思っているよ」 ロバートは自分自身をイスラエル人バスケットボールプレー ヤーだと思っていない。 ☆ロバート 「でも、自分自身イスラエル人ぐらいに思っているよ」 「この国とは深いつながりがあるからね」