○この父にして、この子あり ショーン・メイはたぶんNBAに1巡目で指名されるだろう。 29年前、スコット・メイの指名の時はほとんど逆風もなく、 息子がこれから指名されるドラフトとは違った。 スコットはインディアナ大学をNCAAチャンピオンに導き、 1976年2位指名を受けた。 アメリカ五輪予選次に、スコットはドラフト指名を受け、電話 でその事実を知った。 ショーン・メイは3年間ノースカロライナ大学でプレーし、 チャンピオンシップを獲得し、ドラフトに参加した。 しかし、父親のように高順位で指名はされないであろう。 それでも、彼の指名時には、全国放送でインタビューを受ける 形になりそうだ。 ☆ショーン・メイ 「当時と今のビジネスレベルの違いなんだろうね」 スコットは自分の7年のキャリア以上のプレーをメイがして くれると指摘する。 スコットはシカゴで平均15点6Rでルーキーシーズンを 終えたが、プレーオフは1試合もプレーできなかった。 彼はしかし2年目のシーズンを膝の手術でフイにした。 3年目以降、彼のプレーは期待されるものでなく、5年間 シカゴでプレーした後、ミルウォーキーで1試合、デトロイトで 9試合プレーして、NBAキャリアを終え、イタリアで7シー ズンプレーし、引退した。 スコットは現在不動産関係の仕事をしている。 もちろんかつての才能から考えると普通の仕事に過ぎないが、 スコットに不満はない。 スコットはプレースタイル同様基本に忠実な控えめな生活を 送っており、息子に期待している。 スコットの大学時代のチームメートでもう1人の1巡目指名 選手であったクィン・バックナーはショーンのことを生まれた ときから知っており、父親のレプリカのように育ったことを 知っている。 ☆バックナー 「ショーンは色々な面で成熟しており、誰とでも仲良く 接することができる」 スコットは、過去のテープなどを残しておくことで、ショーンの 成長に一役かっている。 ショーンは1976年のNCAAチャンピオンシップのDVDを 今年のファイナルフォーに持参し、MVPとしてチャンピオン シップを獲得した。 ショーンは今までそれを見たことがなく、スコットももう1人の 息子のスコットJrにだけ渡していたので、クリスマスプレゼ ントでショーンにそれを渡した。 ショーンは彼の父親のNBAでの試合をちょっとだけ見たことは あったが、それらは見る必要があるものでもなかった。 ☆ショーン・メイ 「父がミルウォーキーでプレーした試合の映像ぐらいしか 見たことがなかった」 「むしろ、父がそれらについて話すこともほとんどなかった しね」 父は息子のやることの邪魔をしたくなかったが故に、特に ビデオを見せたりすることはなかった。 ☆スコット・メイ 「自分の昔の活躍などを見せるつもりはなかった」 「なにもいわなかったし、ただただ彼がいいプレーをできるよう に話をした程度である」 ショーンが指名され、彼らは親子でNBA入りした選手達の 仲間入りをするだろう。 当時1巡目指名された選手達のうち、7人が息子を選手として 抱えているが、ドラフト指名されそうなのはショーンだけで ある。 1976年の1位指名、ジョン・ルーカスの息子もドラフト 候補だが、1巡目で指名されることはないだろう。 ショーンは特に希望チームをコメントしない。 ☆スコット 「どこのチームに指名されても問題はない」 「プロになれればね」 「毎日がむしゃらに、NBAを楽しんでほしい」 「ドラフトされることが名誉であり、特権であるので、自分の ベストを尽くしてほしいね」