○高い望み 1960年のオスカーロバートソンが最初の人物である。 続いて、マイク・プライス、スティーブ・ダウニング、 マイク・ウッドソンと続く。 最後のインディアナ州の公立高校出身者の1巡目指名選手は80年が 最後であった。 ノースウェスト高校のロドニー・カーニーは今度のドラフトで、 そのリストに加わるだろう。 1巡目上位でデヴィット・スターンに名を呼ばれることになるはずだ。 そして17人目のインディアナの学校出身のNBA、ABAでの プレーヤーになり、23人目のインディアナの高校卒のNBA 選手になるだろう。 インディアナ州の選手が出なくなったのは色々な理由がある。 学校閉鎖、人口減により、才能ある選手を輩出する率が減った。 私立学校でさえ、ここ最近3人の1巡目ドラフト選手を出して いない。 カーニーいわく、大学のスカウトが公立学校の選手を認識して いないので、チャンスが減るのだろうという。 カーニーの高校時代のコーチ曰く、また公立学校の選手は高い レベルでのプレーの準備ができていないという。 とはいえ、カーニーの活躍は新たな先駆者としての一歩となる。 ☆カーニー 「誇りに思うよ」 「多くの公立高校の選手が私を尊敬してくれる」 「みんなの尊敬を背にオレはNBAでプレーするつもりだ」 ○母親の才能 カーニーの学校時代に戻ってみよう。 彼の身体能力のルーツである。 彼の母親、デアンドラはアーリントン州立大1年時に100ヤード ダッシュで優勝経験を持つ。 カルフォルニア大に移ってからも100ヤード、220ヤード走で 優勝、4年次には440ヤード走でも優勝。 100ヤード、220ヤードダッシュの記録はいまだに州の記録 レコードのままである。 カーニーの父はテネシー大でフットボールをしていた。 しかし、彼の才能は母親の能力から来るといわれる。 垂直跳び40インチ、そして素早いダッシュ力。 素晴らしい遺伝子を受け継いだ彼は歩き始めてすぐに同じ才能を 発揮しはじめていった。 ☆カーニー 「オレには母のスピード、心臓、そしてエンジンがついている」 「本当にこのスピードに感謝している」 「このスピードがあるから今のオレがあるんだ」 とはいえ、カーニーは高校時代には苦しんだ。 リクルーター達は彼をみつけてくれなかった。 カーニーは最上級生の時にインディアナのオールスターに選ぶ ポストシーズンのトップ40人のワークアウト次にやっとメンフィス 大から奨学金のオファーをもらうことになる。 メンフィス大のアシスタントのトニー・バービーは友人から情報を 得て、シーズン序盤に彼を見るために来たが、バービーはあまりに 疑い深い人物であった。 カーニーがそんなによかったなら、なぜ彼はオファーを誰からも 受けなかったのだろうか? 2つの理由がある。 カーニーは3年次に成績が悪く、赤点だった。 AAUでもプレーしていなかったので、大半のコーチとリクルーター の目に留まっていなかったので、3年次の選手としての評価では350 番程度だった。 カーニーがAAUに出場しなかったのは、インディアナ大学最強時代 のスターター選手であるノースウェストのコーチであるウィルカーソン の指示によるものだった。 ☆ウィルカーソン 「AAUでは、ほとんどただ試合をやってるだけである」 「彼には基礎をやらせる必要があった」 「夏こそ唯一基礎を練習できる時期である」 「彼を正しい方向に導くためだった」 しかし、カーニーはまったく無名だった訳ではない。 パーデュー大学は学校を卒業すれば、彼をリクルートしたがっていた。 インディアナ大学にも非公式のリクルート訪問をしたが、インディアナ 大学に入学するまでにはいたらなかった。 元インディアナ大学のマイク・デイビスが家に来る予定になっていたが、 結局それも実現しなかった。 デイビス曰く、彼は選手の公式なキャンパス訪問があるまで決して家庭 訪問しないポリシーを持っていたが、カーニーが一度たりともそれを しなかったからだという。 ☆カーニー 「もし一生懸命リクルートしてくれれば、インディアナ大学にいった かもしれないけど・・・そうではなかったんだ」 「本当は少し未練があったけど、インディアナポリスを出て、他の 違う都市でやらなければならない時だと思ったんだ」 「どうしてインディアナ大が誘ってくれなかったのだろうって、 今でも話すよ」 「でも、いまとなってみれば、それでよかったのかもしれない」 ○実力を証明するまで・・・ カーニーはもう一つオファーのあったオクラホマでなくメンフィス 大学を選び、ジョン・カリパリのアップテンポシステムの中で活躍 しだす。 131試合中99試合でスターターを勤め、大学記録の3P、そして 大学記録3位の得点をあげる。 4年次には平均27分17.4点の大活躍。 しかしNCAAトーナメントで彼は少し評価を落とした。 オークランドでのUCLAとの準々決勝において、12本中2本と いう数字でチームは負けた。 とはいえ、その後のプレドラフトワークアウトで彼はまた評価を あげるのだが。 彼はニューオーリンズ、ゴールデンステイト、ヒューストン、 シャーロット、オーランド、ミネソタ、フェニックス、シカゴ、 ポートランド、シアトル、ユタ、フィラデルフィアと精力的に ワークアウトに参加した。 インディアナも彼にワークアウトのオファーを出したが、カーニーの エージェントにより拒否された。 (エージェントは17位まで残っているつもりはないということ) これだけ有望視されているが故の拒否だろう。 しかし、まだそう思っていない人もいる。 ドラフト評論家達である。 ☆カーニー 「高校卒業以降成長したから、みんな評価してくれると思っていた」 「大学で成長し、よりレベルの高いプレーができるようになった」 「でも、まだオレを批評する人がいるんだ」 スカウトや評論家達はカーニーの安定感、ボールハンドリング、 ディフェンス・・・身体能力以外の全てに疑問を持っている。 カーニーもみながいうことを理解している。 母親がインターネットなどをみて、カーニーに伝えるからである。 ☆デアンドラ(母親) 「カーニーは疑い深い人が好きではない」 「そして多くの人間が彼の能力に疑問を持っているわ」 「みんなは球技をやろうとしている運動選手だと思っている」 「彼はみんなに自分が球技をしている運動選手であるということを わからせたいと思っている」 「間違っていることを証明したいと思っているわ」 カーニーにはすぐそれを証明する機会があるだろう。 長年活躍することである。 ☆カーニー 「長くプレーしたいね」 「統計では平均キャリアが4年だという」 「そんな選手になりたくないんだ」 「オレにはやる気がある」 「10年以上プレーして、自分がやれることを証明するんだ」 インディアナ州の以前の16名は7年以上プレーしたのが8人。 カーニーはどちらになるのだろうか。