○外国人スター選手達にとってNBAは貧困から抜け出す手段 貧困から抜け出し、金銭面で成功者になる人にとって、 「Ghetto Superstar」という言葉がある。 ※ ゲットーっていうのはロシアでのユダヤ人定住制限区のこと ☆キリレンコ 「それは俺さ、俺」 「間違いなくね」 「ゲットー出身じゃないけど、とにかく貧乏な家庭に 育ったよ」 キリレンコの観察は鋭いかもしれない。 大半が世界の裏側から来ている選手だったりもするが、 オールスタークラスの選手は多くのNBA選手と同様の 文化的類似性を有している。 多くのNBAプレーヤーにとって、バスケは貧困から 抜け出す道具として使われてきた。 いまや70もの国々から選手が集まるNBAだが、 今も同様にそういった道具になっている。 戦争で混乱した国、アフリカ、南米・・ コミッショナーのデヴィット・スターンは、色々な人々 がバスケを愛するが故にNBAは世界的にも発展してきた ことを認める。 しかしより多くのさまざまな社会現象によって多くの 選手が流入してきたことも起因すると考える。 ☆スターン 「我々は世界のさまざまな情勢に反映していると思う」 「それらがなければ、今の状況は起こらなかったろう」 バスケが一部の高級層の人間しか行えないテニスや ゴルフのようなスポーツでないことも起因しているので はないかと考える人もいる。 ☆カルロス・アローヨ(ユタPG) 「それは多くの地域でのアピールになるよ」 ☆ダニエル・サンチアゴ 「サッカーが凄い人気なのはみんな知っている」 「バスケも多くの国々でそうなりつつある」 「場所により違うが、プエルトリコではもうNo1 スポーツだよ」 「だから俺たちもプレーしている」 「金持ち、貧困に関わらず、いつもみんなでプレーして いたよ」 しかし国の背景にある経済的類似性を無視することは 多くの選手にとって難しいところである。 ☆マイケル・ピエトルス 「アメリカとフランスでは全く違うんだ」 「もちろん貧困から抜け出すための道具の一つとしては 認めるところではあるが」 ☆キリレンコ 「俺の母親は体育教師であり、父親はサッカーチーム のコーチだったが、収入は多くなかった」 「せいぜい150ドルってとこだ」 「想像できるかい?」 「150ドルで何が買えるっていうんだい?」 ブラジル出身のネネ・ヒラリオは、ジムや公園にリング がない中で育った。 となりの街の大きな体育館でさえも。 サッカーをする場所こそあれど、バスケをする場所は ほとんどなかった。 それゆえに二つのジープにリングをひっかけて、 バスケにいそしんだ。 ☆ヒラリオ 「だからもし誰かシュートをミスれば、ボールはどこか へ転がっていってしまう」 「それゆえにいいリバウンダーになれたのさ」 ヒラリオは3人の兄弟、両親及び祖母と小さなブリキ 屋根のコンクリートブロックの家で生活していた。 ☆ヒラリオ 「いつもみんなで協力しあって生きてきた」 「でもとても幸せだったし、みんな中がよかった」 「出来る全てを最大限に利用し、いつも満足した 生活を送れていたと思う」 ページャ・ストヤコビッチはまた内容が違う。 ユーゴスラビアの内戦の中で、セルビア人でありながら クロアチアの中部の町に育った。 絶え間ない砲撃の音、そしてビルの壁に弾丸の跡が 残る中、彼らは自宅から150マイル離れたベオグラード まで逃げる必要があった。 ベオグラードは、インディアナのようにバスケの盛んな 街で、それゆえにストヤコビッチにバスケへ注意を向け る一因になり、国際的な大スターを生む結果になった のではあるが。 ストヤコビッチは16でプロになり、1998年には ギリシアのプロリーグで活躍し、サクラメントと契約 するにいたった。 ストヤコビッチはバスケットが自分の生活の大部分を 占めるとともに悪い思い出を少なくしてくれたものだ ともいう。 ☆ストヤコビッチ 「明らかに、最高とはいえない環境から私たちのような 多くの選手が生まれている」 「NBAには44名の欧州選手のうち、23名がスラブ 人である」 「だから不満はいえないよ」 「そしてバスケットは私にとって本当によいものであった からね」