○スターではない、ただの勝者である ニュージャージーのアーロン・ウィリアムズは「決して〜ない」 という単語を不意に使うことがある。 ☆ウィリアムズ 「俺は決して高校卒業時にリクルートを受けていなかった」 「俺は決してバスケットボール以外のキャリアを残すつもりは なかった」 「俺は決してドラフトされなかった」 「俺は決してNBAに入れるなんて期待していなかった」 実際、彼のいうとおりである。 アーロン・ウィリアムズはいつも影の道を歩いていた。 アロンゾ・モーニングはシャーロットの2巡目で指名されて NBA入りしたが、高校時代はオールアメリカンに選ばれた。 リチャード・ジェファーソンは高校、大学とスター街道を ひた走り、NBA入りした。 ☆ウィリアムズ 「俺は彼らの対極にいた」 「大学にいくことなんて全く期待していなかった」 彼は高校時代に平均15点10R4BSとなかなかの成績を 残していたが、あまり大学界から興味は得られなかった。 サービア大学のHC、ピート・ギレンが彼に興味を示し、 後に当時の彼のことについてシカゴトリビューン紙に 「ダイヤの原石だった」と語っている。 ウィリアムズは2インチ身長が伸び、すぐにインパクトを 残すことになる。 1年生として、彼はサービア大学史上最大のビックアップセット に参加していた。 モーニングとムトンボのいるジョージタウン大学をNCAA トーナメントで倒した。 そのゲームの残り数分で勝利を確定づける得点もあげた。 大学の4年間でウィリアムズは6−9とPFとしては小さすぎ、 SFとしては外からのシュート能力に欠ける選手であった。 NBAのプレドラフトキャンプには参加したが、足首の怪我は 彼のNBA選手としての評価をさせなかった。 ☆ウィリアムズ 「サービア大学にいけて本当についてた」 「ただ勉強したかっただけだからね」 刑事裁判について学んだが、法曹界に入ることはあまり考えて いなかった。 ☆ウィリアムズ 「一応、頭にはあったけどね」 「大学を卒業するまではNBAが現実的ではなかったけど、 自分がやれることがわかった」 「私は大学でドラフトされて入った選手と対戦していたし、 彼らが俺よりいい選手ではないことも理解していたしね」 それゆえにウィリアムズはバスケットボール放浪を始めた。 CBAで数チーム、そしてイタリア、ギリシアへ屈強な身体を 生かして渡り歩いた。 たまにユタやミルウォーキーやデンバーでプレーしつつ、とうとう 1997年にバンクーバーでいいプレーをみせた。 1998年にはシアトル、1999年にはワシントン、2000 年にはニュージャージーと契約した。 ☆ウィリアムズ 「NBAにいけるなんて思っていなかった」 「色々まわって、いいチームに、行くべきチームにいくことが 重要だとおもっていた」 「そしてやっと自分にチャンスを与えてくれるチームにたどり ついた」 ウィリアムズに対するNBAの疑問は身長でもなく、やる気でも なかったという。 彼は自分が信頼できるものがなかったからだという。 ☆ウィリアムズ 「俺はいつもチームプレイヤーだった」 「シュートを20本も30本も打つような選手じゃなかったからね」 「平均20点とか獲らないと、基本的に次のレベルではプレーでき ないと考えがちだしね」 「大学で平均10点以下でドラフトされる選手はあまりいない んだよ」