○ベストPG バロン・デイビスはジェイソン・キッドとの対決で、 ニュージャージーネッツにトリプルダブル寸前の活躍で 勝利した。(ホームはニューオーリンズだったが) 知らなかったかもしれないが、バロン・デイビスは公式に エリートポイントガードとなった。 スティーブ・フランシス? まずチームの勝利を優先してくれないとね。 ステファン・ジャクソン ボールをまわしてください。 スティーブ・ナッシュ? そう思うかい? 5シーズン目、デイビスはNBA最高のシーズンを送っており、 ホーネッツをひっぱり、レイカーズやネッツよりもいい成績で スタートしている。 ☆ティム・フロイドHC 「彼はエリートレベルでプレーしていると思う」 「彼はドリブルも上手いし、周りを生かすこともできる」 「そして恐るべき守備力も兼ね備えている」 ☆デイビス 「俺はいつも年上の子供達とプレーしていた」 「俺は小さくて、彼らの中でプレーできないはずだったが、 俺の従兄弟がスティールができるといってやらせてくれた」 それはリーグ1位のスティールのデイビスのエピソードとしては 特に驚きもないことだろう。 デイビスはいまや素晴らしいNBA選手としての体格をもってい るが、いつもそうだった訳ではない。 高校1年のときは5フィート3インチ125ポンド。 ただジャンプ力があった。 1年生のとき、彼の高校は4Qでリードを奪われていた。 ☆デイビス 「小さかったし、相手のファンは俺のことを「おむつ」と 呼んでいた」 「俺はコーチにいった」 「俺をだしてくれ」 「チームは負けているし、あらゆることをしようと」 「コーチは出場させてくれた」 「そして俺は次の7点を奪い、4連続スティール、そして勝った」 デイビスはネッツに対しても同様の自身を持っていた。 止められないようなスピードで相手ディフェンスを切り裂いた。 ☆デイビス 「ウィングでボールをもらえば、誰が相手でもボールを網棚に おくことができるよ」 「もし俺が決めれば、みんな俺に守備を集めてくる・・・」 「そうしたら俺の仲間が3Pを沈めてくるんだ」 2年生になり、彼は5−5まで成長したが、まだまだ小さかった。 ナイキサマーキャンプでも当然小さい選手だった。 ☆デイビス 「出られるとさえ思っていなかった」 「小さかったし、学校も弱かったし、人々はそんなにいい選手 だと思っていなかったみたいだしね」 「俺はそこに出て、下級生の中ではトップ10の選手と評価 された」 デイビスは3年になると5フィート9まで身長が伸び、カルフォル ニア1のPGになっていた。 9月にはUCLAから口頭でオファーを受けた。 しかしその2日後、彼の姉妹が当時のUCLAのコーチジム・ ハリックからかなり安い値段でブレザーコートを購入する 不祥事が発覚した。 NCAAは調査を始めたが、特に問題はみつからなかったが、 ハリックの解雇につながった。 デイビス自身はUCLAでいいシーズンを送った。 1997年のカルフォルニアの高校卒業選手にはいい選手がたくさんいた。 クリス・バーゲス、ケニー・ブランナー、そしてジェイソン、 ジャロン・コリンズ、シチェア・コットン・・・ コリンズ兄弟はともかく、残りの選手は消息不明であるが。 ブランナーはデイビス以上のPGといわれていた。 バーゲスは止められないビックマンといわれ、コットンは 素晴らしいウィング選手といわれた。 なぜ彼らは活躍できなかったのか。 ☆デイビス 「友達だからあまりいいたくないけど・・・」 「人によっては異なった道をいく」 「望みどおりの道を歩めるわけじゃない」 「俺やキッドよりも優れた能力を持った選手がいただろうし、 NBAでプレーしていたかもしれない」 「俺は素晴らしい祖父母がいて、正しい道を歩いてきた」 「いい学校に通い、悪い道を歩むことがなかったんだ」 いまの彼はすべてのNBAPGにとって、悩みの種になって いるだろう。