○けっしてあきらめない ロードにおいて、彼らのロッカーはかなり密接している。 そしてみんなには理解できない愛称や言葉で会話を交わす。 スティーブ・フランシスとムーチー・ノリスは多くの点で共通 を持つ。 ワシントンDCの側で育ち、共に幼少期に両親を亡くしており、 そしてテキサスの短大に通い、ヒューストンのガードとして プレーしている。 多少の違いはあるが。 「それ(多少の違いと)はお金かい?」 ☆フランシス 「俺は試合前にはインタビューに応じないんだ」 ☆ノリス 「そう、だって奴は80ミリオンプレイヤーだからね」 しかし、そんなにでもないのかもしれない。 ノリスも1年3,6ミリオンの契約を持っている。 7年目のシーズンで2桁得点いっていない選手としてはなかなか のサラリーである。 それは単に個性にもよるのかもしれない。 ノリスはいつもベンチの一番手としてプレーしており、そして NBAに残りつづけている。 ノリスはワシントンDCの北西の郊外で育った。 フランシスの住まいであるメリーランドのタコマパークのすぐ 側である。 そのエリアはバスケのタレントがそろっている。 レジー・ウィリアムス、チャールズ・スミス、マイケル・スミス (ボストン)、ローレンス・モーテン・ジョニー・ニューマン (サンアントニオ)サム・キャセール(ミネソタ) ノリスはフランシスの師匠であった。 彼らはともに過ごした日々を覚えている。 ☆ノリス 「色々なジムなどで顔をあわせた」 「そしていっしょに色々なことをしたよ」 モントゴメリーブレア高校で、フランシスは2年になっても ほとんどプレーできない3番目の補欠だった。 ケネディー高校で1年としてまたプレーするが、足首骨折で 補欠のままだった。 ☆フランシス 「挑戦の一つだった」 結局3年としてモントゴメリーブレア高校に戻るが、移籍ルール にのっとり、彼はプレーできなかった。 さらに母親を失い、彼はストリートに出た。 フランシスのバスケのキャリアは厳しいものになったように 思えた。 ノリスは高校2年間プレーしていない。 そして高校を移籍した。 ☆ノリス 「みんな悪いことばかりしていた」 「どっかのストリートに群がってね」 家族を失った人間にとって、そういったストリートでの生活は 魅力的なものである。 放課後に自分の生活を支えてくれる家族もいないのであれば。 しかし、彼らはそういった状況から戻り、テキサスの短期大学で 新たなバスケットボール生活を作り出した。 フランシスは少し大きくなり、プレーが開花した。 すぐに多くの短期大学の目をひき、色々な賞を獲得した。 短期大学の2年間で彼は伝説的選手と呼ばれるようになった。 ノリスもオーバーン大学に入学する前にテキサスの短期大学で プレーしており、活躍し、他の大学に入学した。 ☆ノリス 「とにかく色々なところでプレーして名前を知らしめようと 思った」 フランシスはその後メリーランド大学に転入し、そしてドラフト され、2002年には6年80ミリオンの巨額を結んだ。 先日の試合でもそんな彼らしいプレーがあった。 前半だけで0−8で無得点。 3Q終わった時点で2−12。 しかし終盤に8得点を重ね、17点10R6アシストで勝利に 貢献した。 よく彼はボール大好き、シュート大好きなPGで、気分屋と 呼ばれる。 しかし彼は決してあきらめない選手である。