ユーゴスラビアン・ブラデ・ディバッツ 1999年1月、ディバッツはFAで、キングスとサイン。 そしてストヤコビッチもサクラメントでのルーキーシーズンを開始していた。 ディバッツ30歳、ストヤコビッチ21歳の時に突然、チームメートとなった。 何10年前に会ったことはあったが、互いにほとんど認識はなかった。 トレーニングキャンプで初めて会うといった状態だった。 しかし、彼らは互いにはじめての出会いを覚えている。 ☆ストヤコビッチ 「彼は偽者の(レイカース)ジャケットを俺にくれたんだよ」 ☆ディバッツ 「そうだったね」 2000−2001年シーズンに彼らを含めたチームはピークを迎えた。 ウェバー、ダグ・クリスティー、ジェイソン・ウィリアムスの5人はチーム を一気にウェスタンカンファレンス1位に押し上げ始めた。 さらにもう1人のヨーロッパ出身のトルコ人、Hidayet (Hedo) Turkoglu は、キーリザーブとして頭角をあらわした。 その3人のヨーロッパ人はしばしばプレーコールをセルビア語で行う ことがある。彼らの共通語だ。 英語しかわからない相手ディフェンダーはなにをしてくるか理解でき ないのだ。 3人はプライベートでも一緒に食事を取るなどしているほど仲がいい。 ☆ディバッツ 「私は彼らにいってやったよ」 「こんなこと信じられるかいってね」 「昔は、同じチームに2人以上のヨーロッパ人がいることなんて 想像もつかなかったんだ」 ディバッツはユーゴからレイカース、シャーロットを経て、サクラメントへ。 ストヤコビッチは、ユーゴ出身で、ギリシアリーグのスタープレーヤーか らNBAへ。 Turkogluはトルコリーグから加入した。 彼らは各々自分の得意とするプレーを持つ。 そして、かつてのヨーロッパ人の特徴をも、もっている。 シュートができて、ボールハンドリングに卓越している・・。 「が!」 当たり弱い、そしてリバウンドが取れない・・。 まさにかつてのディバッツの特徴そのものであった。 しかし、最近を見る限り、ストヤコビッチ、Turkogluには当てはまらない。 ディバッツは彼らの加入にそれなりに負担を感じていた。 同郷として、なんとか活躍させてあげたい・・・ ☆ディバッツ 「ページャがここに来たときに、俺は少しばかり負担を感じていた」 「昔は、自分のプレーだけを考えていたのに、ページャのプレーの ことを第一に考えるようになった」 「彼が上手くやれるだろうかってね」 3人は兄弟のような間柄である。 ディバッツは、かつてストヤコビッチがサブSFとして苦しんでいる時も いつもどうやって長いシーズンを乗り越えるかなど、色々なことを伝授 した。 ストヤコビッチのポテンシャルの高さは皆わかっていた。 特にシュートレンジに関しては、今のプレーを見ればわかることである。 しかし、彼はギリシアのスターだったにも関わらず、サブSFだった。 それがストヤコビッチには辛かった。 ディバッツがとにかく彼を支えつづけた。 いつかチャンスが来るときがあると・・。 そして、コーリス・ウィリアムソンの移籍と共に道が開けた。 ☆ストヤコビッチ 「ディバッツが俺を本当に助けてくれた」 「彼は、他のベテラン選手から俺を守ってくれたし、本当にありがたかった よ」 ストヤコビッチにとって、ディバッツはTVの中の人間だった。 子供の頃、ベオグラードのチームで、クーコッチ達とプレーする ディバッツの姿をTVで見ていた。 彼の父はいつの日か、ページャが彼らのようになれるかもと伝 えた時も、ストヤコビッチはそんな可能性について考えることす らなかった。 彼らは雲の上の存在だった。 ☆アデルマンHC 「間違い無く、ディバッツのおかげによるところが大きい」 「どうやっていけばいいのかなどを入念にストヤコビッチに 伝えていた」 「ストヤコビッチにとって、ブラデの存在は計り知れないほど 大きなものだったよ」 ストヤコビッチの成功は、ディバッツの長いキャリアにおける 経験の蓄積があったからこそ、存在しているともいえる。 またディバッツも、ストヤコビッチを世話する一方で、自分の センターとしての質を高めていった。 1990年前半、多くの人々がディバッツはいつまでもNBAに 残れるような優れたプレーヤーにならないと思っていた。 レイカース時代から、マジック・ジョンソンなしではダメだという 意見が多かった。 しかし、彼は残った。 そして、さらに自分の役割(欧州の選手の面倒)を増やしてもいる。 間違いなく、成功したプレーヤーの1人である。 ☆ストヤコビッチ 「ディバッツは私の側にいてくれて、何が必要か教えてくれた」 「プレーのことだけでなく、プライベートにおいてもね」 「なにか必要があれば、最初に聞く人間が彼だろうね」 ☆アデルマン 「みんな、ブラデを頼っているよ」 「ブラデのような人間にはもう会えないだろうね」 「彼は自分のこと以上に、周りの人間のことを考えている」 「彼がチームにいたことが私にとって運があったね」 ☆ディバッツ 「ストヤコビッチの成功に貢献できたよね・・」 「俺がここ(アメリカ)に来たとき、俺は一人ぼっちだった」 「でも、ページャには俺がいたから・・」 「俺はただ、ここに家族みたいなものをつくりあげただけさ」 その家族はTurkogluが加入して、さらに大きくなった。 ストヤコビッチは、Turkogluを彼の家族と共に住まわせ、 そして、ディバッツは、アメリカでの経験をTurkogluに与えた。 既に、彼のためのサポートシステムは、確立されていた。 ☆アデルマン 「もう既に他国の人間のサポートシステムが出来ているよ」 「ブラデとページャの2人がいるからね」 「ブラデもページャも本当によく面倒をみてくれていた」 「Turkogluを毎日助けてくれていたんだよ」 ブラデ・ディバッツは、年齢的に考えても、そう長くNBAには 残っていないだろう。 しかし、彼の存在は彼がいなくなった後も残るであろう。 彼が作った他国の選手にとってのNBAの掛け橋は、彼が 残したストヤコビッチ達によって、途切れることなく続けられる ことだろう。