融の書斎にある鍵のかかる書棚。
ガラスでない扉から蔵書の背表紙は読むことはできない。
しかし鍵自体はかかっていない。
鍵は書棚の前に立つ者の心そのものゆえ。
融はよき父であり、よき夫。
妻を愛し、娘を愛し、小笠原家を愛している。
融自身そんなことは微塵も疑っていないだろう。
しかしというか、だからこそというか。
同時に融は紳士だった。
紳士は嗜みを持つもの。
それは葉巻であれ洋酒であれテニスであれ。
そして女性であれ。
そう、融にとって妻以外の女性は嗜みのひとつ。
だからそんな女性達と過ごす時間であっても紳士であることには変わらない。
そしてこの書棚に収められた本。
洋書だったり豪華な装丁だったり、古臭い雑誌だったり分厚いグラビアだったり。
かなり趣味性の高いポルノ。
しかし同時に鑑賞に堪える蒐集品でもあった。
その扉の前に立つ。
扉を開ける。
一冊、取り出す。
まだ融が戻るには随分と早い時間。
ぱらり、と開く。
女性をオブジェと化す皮の拘束具。
隠すべきところとそうでないところが逆転したかのような黒のドレス。
磔のための大きく禍々しい台座。
宝石のように煌く器具。
しかしそれらは女性を飾るためでなく苛むためのもの。
そんなものに囲まれ包まれしている女性は平凡な顔かたちをしていたが美しかった。
最初は興味本位だった。
後ろめたい気持ちや嫌悪感はあったが、すぐにそれらから美しさを見出すことができた。
それから何日かかけて読み耽るうちに自分のお気に入りができてきた。
何度も読み返すうち、やっとそれが今まで自分が秘めてきた嗜好なのだろうと気付いた。
そんなオブジェ、の写真がはめ込まれた裏表紙を見つめて少しひたる。
持ち替えてそっと元の位置に戻す。
背表紙を押した人差し指を少し横に滑らせ、お気に入りの一冊を取り出す。
特にお気に入りの一冊。
表紙はスーツを着た女性。しかしその本のタイトルは忌まわしいもの。
ぱらりとめくる。
その女性のスナップ写真。
住宅街らしい風景。
女性はある館の敷地に入る。
庭園からサンルームに進み。
一枚一枚。
逆光気味の中、衣服を脱いでいく。
豪華なレースの純白の下着。
白いストッキングとガーターベルト。
そんなフェティッシュなものも、なにもかも身から外し。
女性は首輪をつける。
自分の意志でつけた首輪にはいつの間にか紐がつき、その端には飼い主がいた。
飼い主の前で床に置かれた皿でミルクを飲み。
お手をし。
ちんちんをし。
片足をあげ小用をし。
飼い主の投げたものを咥えて戻ってくる。
ぱらぱらとめくっていけば、他にも数名の女性が写されている。
ヘアスタイルも体格も様々。
衣服も普段着だったりセーラー服だったりスーツだったり。
屋外だったり部屋の中だったり。
飼い主も男性だったり女性だったりした。
しかしいずれも自分の意志で犬になっていく。
そして愛玩されようとふるまい。
飼い主に奉仕し。
最後にご褒美をいただいていた。
ぱらぱらとお気に入りのところまでめくる。
グラマラスな他の女性に比べ胸が薄い少女。
お尻も張り出していない。
こんな写真集のモデルだから未成年ではないだろうが、まだ未発達の少女に見える。
長い髪をツインテールにしているからまたそう見えるのだろう。
質素なブラウスにシンプルなプリーツスカート。
笑顔を浮かべているがそれには華やかさはない。
しかしこの子もまた、館に吸い込まれてゆく。
犬に変わってゆく。
首輪を牽かれながら庭を散歩する。
緑の中の白い裸体が美しい。
粗相をしてしまい、泣きそうになる。
それを飼い主に片付けてもらい、恥ずかしそうに感謝する。
お返しに一生懸命ご奉仕をする。
少女の飼い主は長い美しい黒髪を持つ女性。
少女と対照的に大人びた感じだが、目は常にフレームの外。
唇は微笑んでいたが、それは見ているのが少女だからか、犬だからかはわからない。
本を開いたまま夢想していたことに気付く。
たった今思い描いた景色に少し、まよう。
自分がこの少女に誰をみているのか。
それは最初に見た瞬間にわかっていた。
何冊か読むうちに、こんな世界があることを認知できるようになった。
変な例えだが、余裕をもって読むことができるようになっていた、というか。
それでもこの少女を目にしたとき、衝撃を受けた。
いや、それは衝動だった。
黒い衝動。
甘い衝動。
どろりと、身体の中で鎌首を持ち上げた。
自分の身体の中に、いつの間にこんなものを飼っていたのだろう。
少女のページが終わり、本を閉じる。
元の位置に戻す。
書棚の扉がかちゃりと閉まり、書斎を後にする。
おもたせの菓子箱を持ち替えインターフォンのボタンを押す。
緊張しながら挨拶をすると、スピーカーから喜びに満ちた返事が返ってきて、照れる。
開いた門から館の敷地へ。
少し歩くと、後ろから扉の閉じた音が聞こえる。
まだ館は見えない。
福沢祐巳は歩く。
出迎えてくれたのは執事さんでもお手伝いさんでもなく清子小母さま。
リビングに向かう廊下で、今日は使用人はみな出払っていることを聴く。
だから、ふたりで祥子をびっくりさせましょうよ。
そう、いたずらっ子のように笑う。
この人にはやっぱり、かわいらしい、って言葉が似合う。
使用人がいないってことは食事を作る人もいないってこと。
食べに行くか自分達で作るかしかない。
びっくりさせるって、、小母さまとふたりで食事の用意をすることかな。
だとしたら大変だ、小母さまは料理はお上手だけどすごく時間がかかるって。
う〜、私もがんばらなきゃ。貸していたけるような料理の本ってあるかな。
そんなことを考えていると、ふと小母さまと目が合い、にこっと微笑まれる。
もしかして、また百面相?見られた?またやってしまった、、。
真っ赤な頬を見られたくなくて、うつむき目を伏せる。
そのとき、頭のてっぺんから声が聞こえる。
祐巳ちゃんは祥子のこと好きよね
えっえっとっ、はい、もちろんです!
顔を上げる。
そこにいたのは、清子小母さまとは別人としか見えなかった。
その人は小母さまの声で話を続けてきた。
祐巳ちゃん、、うちの子にならない?
余り祐巳ちゃんに会ったことはないけれど、でもそのなかの印象で。
そして毎日、祥子から聞く祐巳ちゃんの話をたくさん紡ぎ直して。
なにより、たった今、目の前の祐巳ちゃんの反応で。
祐巳ちゃんは祥子が好き。
でもその、好き、は決して祥子には知られたくない。そんな、好き。
祐巳ちゃんは、祥子に告白したの?
祐巳ちゃんは再び目を伏せる。
でも、真っ赤ではなく、蒼白になってる。
頭の良い子ね。
祥子は、まだ祐巳ちゃんの本当の気持ち、知らないのね
握り締めた両手が、膝の上で震えてる。
知っちゃったら。祥子が祐巳ちゃんの気持ち知っちゃったら、どう思うのかしらね
誤解です、私はお姉さまを尊敬し、ご指導いただいているだけです
棒読みの返事。でも必死さはぬぐえない。
私から祥子に話してあげる。あの子ならどう思うかしら
もう会いません!
もう二度とお姉さまに会いませんから!
やめてください、やめてください、、、
やめてください、やめてください、と何度も繰り返す祐巳ちゃん。
いいことを思いついた、という感じで手をそっと合わせる。
祐巳ちゃん、うちの子になればいいのよ
えっ、、
そうすればいつも祥子と一緒にいられるわ。私も祐巳ちゃんと暮らせたらうれしいわ
で、でも、
祐巳ちゃんは私も好きよね。いやだ、もちろん祥子みたいでなくてよ
え、は、はい、、
じゃあ、いいわね、
大事に飼ってあげるわ。祐巳ちゃん
私の言った、かう、と言う動詞がどんな漢字なのかわからなかったみたい。
でも、また顔色が変わった。ちゃんとわかったのね。
祐巳ちゃんは本当に頭の良い子。
、
祐巳ちゃんはなにか言おうとしたけれど、言わせない。
祥子と一緒にいられるわよ
ずっとずっと一緒
あなたはどれだけでも祥子に甘えていいし
もちろん祥子もたくさんあなたを可愛がるわよ
だって祥子はかわいいあなたの飼い主なのよ
もう悩まなくていいのよ
祐巳ちゃんと祥子の間には何の障害もなくなるわ
すばらしい新しい関係が作られるのよ
でも、
祐巳ちゃんが拒まなければ、だけど。
冷たく、口答えを制する。
拒否は許さない。
祥子の部屋に招待する。
祐巳ちゃんは祥子のために生まれ変わるのだから、やはり祥子の部屋で。
祥子を喚起させるこの場所のほうが祐巳ちゃんの心に深く残る儀式になる。
全て脱ぎなさい。
従順に、でも歯を食いしばっている。
脱ぎながら衣服をたたむ。
下着も丁寧にたたみ、衣服の間に差し込む。
命令されて裸になろうとしているのに、下着を隠そうとする恥じらいに胸が高まる。
そして最後にロザリオを一番上に置く。
ああ、こんなシーンはあの本にもなかった。
祥子のベットにあがるようにいう。
あえて今朝からシーツは換えさせなかった。
うつぶせに寝かせる。
まだ祥子の髪の香りが残っているだろう。
祐巳ちゃんは枕に顔を埋めている。
それでいい。犬なら飼い主の匂いを覚えてなくちゃ。
手足に黒い皮製のグローブとブーツをつける。
といってもぴらっとした細長い袋のようなものが四枚。
先端はただ円錐形に閉じているだけ。
途中からスリットが入り、それに沿って紐を通す穴が開けてある。
まず両足。
尖った部分をつま先にして履かせ、穴に紐を通しながらコルセットのように絞り上げてゆく。
少しずつ拘束されていく祐巳ちゃんに、つい必要以上の力が入る。
腿までのブーツが完成する。
シーム有りのストッキングの様にも見える。
膝の裏や腿の後ろが網目の間から覗き、かわいいと思う。
そして両手。
かわいい手に最後のキスをする。
つま先と同じように、尖った部分に手を入れ、また絞り込んでゆく。
腕の内側が網目になるようにして。
こちらも二の腕まで。
完成した祐巳ちゃんを仰向けにする。
もう両手は使えない。
自分で脱ぐことはできない。
もう足で立つことはできない。
トゥシューズのように不安定につま先立つか、
犬のように四足になるしかない。
手は既に前足と化している。
シュッシュッと全身にスプレーをする。
目等に入らないように、吸い込まないように。
祐巳ちゃんの表情が曇る。
匂いから、虫除けスプレーだと気付いたよう。
それから錠剤を飲ませる。
これはね、アレルギーの薬
もし虫刺されとか草木で痒くなったりかぶれたりしたら大変だもの
これ結構いいのよ、痒くなったり赤くなったりしないの
私も庭に長く出るときは飲むことがあるの
準備ができた。
散歩の準備ができた。
いや、まだ。
私は首輪を取り出す。
祐巳ちゃん、祐巳ちゃん
祥子と私で、ずーっと、ずーっと
大事にするわ
首輪が締められ、紐がかちゃりと付けられる。
祐巳ちゃんは横を向いたままだった。
ベットから転がるように降りて。
ドアは私が開ける。
祐巳ちゃんは四足で廊下に出る。
まぁ従順なこと、と思ったけれど。
でもそれは早く祥子の部屋から離れたかったということらしい。
誰もいないとわかっているのに、廊下の端を選んで歩く。
時計の音、戸外からのちょっとした物音にもびくんとする。
顔は上げない。廊下をずっとみたまま。
でも、歩みを止めることはない。
私が引くと、その方へ進む。
ふと今きた廊下を見ると、転々と濡れている。水滴がぽたりぽたりと落ちた感じ。
祐巳ちゃんが泣いている。
泣くことなんてないのに、泣いている。
この涙を止めるには。
これからたくさん愛してあげて、かわいがってあげるしかない。
そんなやさしい気持ちになって、裏口に着く。
ドアを開けると、眩しい光に満ちていた。
ここにも日傘を置いていて良かった。
祐巳ちゃん、さぁお散歩よ。
抵抗の素振りはみせたものの、祐巳ちゃんは私の後に続いた。
祐巳ちゃんを先に歩かせるようにして庭を散歩する。
勝手に進もうとすれば紐を引く。
とたんに祐巳ちゃんは方向を変える。
何も言わなくても、こんなに従順。
私の思うがまま。
塀のそばまで来た。
人の話し声が聞こえる。
歩みが止まる。
その声と気配が遠ざかるまでの祐巳ちゃん。
まだ犬になりきれない祐巳ちゃん。
それもまたかわいらしい。
ゆっくりでいいのよ
ゆっくりでいいの
私達は祐巳ちゃんに自分から犬になっていって欲しいの
祐巳ちゃんの意思でよ
そうでないとダメなのよ
私達は祐巳ちゃんをかわいいペットとして可愛がって
祐巳ちゃんは私達をご主人様って甘えられるようになって
そうやって新しい関係を築いていくの
今までの関係を新しい関係へ変えていくのよ
お散歩は終わり。
手足の土をきちんと落としてあげて、リビングに連れてゆく。
祐巳ちゃんはかわいいし小さいからお外で飼うのはかわいそうだもの。
ソファーのそばでちょっとぐったりした祐巳ちゃん。
四つんばいでだいぶ歩かせたので疲れただろう。
お皿に牛乳を入れて、そばに置く。
そして、微笑を忘れず。じっと見つめる。
何か言いたげな表情、でもよろっと肘をついて。
お皿に顔を埋め。
舌でぺろ、ぺろ、と牛乳を掬う。
うれしい。
ちゃんと飲んでくれている。
もしかしたらこんなにも心が弾んだことは初めてではないだろうか。
両手でお皿を抱え込むようにして、私の与えた牛乳を飲む。
舌で掬ってだから上手く飲めないだろう。
でも、だからこそ一生懸命にならなければ飲めない。
私はソファーに座り、そんな祐巳ちゃんを見ていた。
すてき、すてき、すてき!
うっとりと見ていた。
廊下からドンッと物音がして。そのまま荒っぽい足音が続く。
このときが来た。
ひぃっ
祐巳ちゃんはお皿から顔を上げ、慌てだした。
あらあらお口もあごも汚したままなのに。
そんなはしたな素振りをしたかと思うと、ソファーの後ろにばたばたと逃げ込んだ。
でも、私は紐を放さない。
お母さま!
お帰りなさい、祥子さん
祐巳、祐巳が来ているんでしょうか、お母さま!
すごい慌てようよ祥子さん
だって、だって、私の部屋に祐巳のらしい服が下着まであって、それに、、
手の中の宝物に目を落とす。
この、、ロザリオまであったのですもの!お母さま、何かご存知なら教えてください!
祥子さん、聞いて
今、私達家族に新しい仲間を迎えたところなの
共に苦楽を共にし、慈しみ会える仲間よ
祥子へのプレゼント。
あぁ、びっくりする祥子が目に浮かぶ。
そして喜び、私に感謝するだろう。
すねていないで、あなたもご挨拶しなさい。
ソファーから立ち上がり紐をぐいと引くと。
蛙のような声を上げて祐巳ちゃんが転がり出てきた。
祥子は驚愕した。
妙に目の据わった母。
その手には紐が握られ、その先につながれているのは白と黒の生き物。
見たことのあるような、ないような大きな異形の生き物。
それが、さっきまで探していた祐巳であることに気付いたのは。
それがわぁっと声を上げて、手ならぬ両手で顔を隠しながら廊下へと駆け出そうとし。
母に再び首輪を牽かれ、後ろに無様に転がってからだった。
なんてこと、なんてこと、なんてこと!
慌てて祐巳のそばにしゃがみ込み、母を睨みつける。
紐を強引に引き、祐巳を母の手から開放する。
祐巳ちゃんが望んだのよ
?
祐巳ちゃんにね、ずっと祥子さんと一緒にいられる方法があるって教えてあげたのよ
裸にすることがその方法ですか!
祐巳ちゃんはね、祥子さんと私のペットになるの
そんな、
私達がいっぱい可愛がってあげて
そんなこと、
祐巳ちゃんも私達に思う存分に甘えるの
そんなこと、許される筈ありません!
だって祐巳ちゃんだって許されないことをしているんだもの。
その瞬間。
絶叫。
そして号泣。嗚咽。
駆け出すことも隠れることも許されない祐巳が出来ること。
それは、膝を抱え、まるくなって、小さくなることだけだった。
そのまま小さくなって、ちいさな粒になって、消えてゆきたかっただろう。
祐巳の抱いた罪悪感。
何かわからないがそれに付けこんで。
しかも私のためと称して。
自分の母が。
こんなことを。
祐巳にこんなことを。
かろうじて祐巳を抱きかかえ、自分の部屋に連れてゆく。
紐を緩め拘束を解き、シャワーをさせる。
迷ったが元の下着をそのまま履かせ衣服を整える。
小笠原のものは身につかせたくなかったから。
電話でタクシーを呼び、続けて福沢家へ自分が一緒にいることを連絡する。
電話をかけるためには再びリビングに寄らなければならない。
母はまだちょこんとソファーに座っていた。
表情は見えなかった
祐巳と一緒にタクシーに乗り、小笠原家を出発した。
ロザリオはまだ祥子の手の中にあった。
(授受に続く)
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