『愛しい人。薔薇の園で待っています』
そして時刻だけが書かれた便せんを封筒に戻しながら、私の意識は混濁していた。
高等部に進んで間もない私でも、薔薇の園と呼ばれる場所は知っている。
高い植え込みが迷路のように入り組んだ、逢い引きには格好の場所。
いえ、ここは女子校だから『逢い引き』とは言えないけれど。
でも自分の下足箱にあったものの相手にはまるで心当たりがない。
姉妹の申し込みでもされるのかと思ったが、、いきなり『愛しい人』だなんて。
無視しようかと思いながら、でもリリアン育ちの性なのか無下にもできず。
結局放課後のその時刻に足を運ぶことにしてしまった。
かばんを置き、かわいい封筒を手に相手を待つ。
春よりも初夏に近いせいか、花よりも葉の新緑の輝きの方が美しかった。
姉妹の申し込みか何かはわからないが相手の好意を無視するのは失礼だから。
と考えると急に『好意』という言葉を意識し出して、ちょっと鼓動が早くなる。
そして人の気配が近付くと、鼓動はもっと早くなる。
植え込みの影から現われたのは見覚えのある二年生で、手には同じ封筒。
え?でもこの人って、、!
お互いびっくりしながら顔を見合わせていると、突然大きな叫び声があがる。
「お姉さま!どういうことですか!」
第三者の登場。それは私と同じクラスの一年生。
この二年生と契りを結んだばかりの初々しい妹。
この後彼女はわんわん泣き叫び、正に修羅場になってしまった。
「今日は朝からお姉さまはなんだか落ち着きが無くて」
「お声をかけても御用があるからっておっしゃって」
「ちょっと不安になって影から見守らせていただいていたら」
「お手紙を手に薔薇の園へ入っていかれて」
「そこで真美さんと密会していたなんて」
「お姉さまどういうことですか一体どういうことですか」
「真美さんお姉さまをとらないでわたしに返して」
断片的に語られる中の聞き捨てならない言葉にちょっと割り込ませてもらう。
「私、そんなつもり全然ないわよ。だって」
「でも真美さん、お姉さまと同じお手紙をお持ちじゃない」
「これは…」
「中を読ませていただけない?何でもないなら見せられるはずよ」
まずい。『愛しい人』なんて書かれてあるのを読まれたらもっと誤解される。
彼女のお姉さまはあたふたしたままで頼りにならない。
ど、どうすれば!絶体絶命!
突然場違いな声が響いた。
「真美〜待っててくれたのね!」
そこに現われたのは、学園のあちこちを駆け回るポニーテール。
唖然としている私達に彼女はまるで当事者のように寄ってきて。
そして二年生からひょいと手紙を摘み上げる。
「ゴメン、これ私宛のよ。真美も下足箱間違えないでよね?」
そういって私を見る目。瞳の色。そして唇の端に浮かぶ笑み。
そうか、そういうことか。
「はい!お姉さま、すみません!」
私はポニーテールの人と一緒に薔薇の園から緊急離脱。
おっとその前に。
「そういうことだから、誤解させてごめんなさい」
『だから、これからもお姉さまと仲良くね』
雨降って地固まる、かな。
一緒に正門に向かって歩く。
「先程はありがとうございました」
「いえいえ、私が間違ってあなたのところへ手紙を入れたせいだから」
そう、私とあの一年生は下足箱が隣りだから。
「なんかあの姉妹、五月病状態だって聞きつけてね」
「で、あそこで引き合わせてまた仲直りさせようとされたのですか」
「そうよ。まだ始まったばかりの姉妹の関係が失われるなんて良くないもの」
「で盗み聴きを記事にするおつもりだったんですか、『新聞部築山三奈子さま』?」
「これじゃボツだけどね。でもきっとあの二人、これでまた上手くいくわよ」
突然三奈子さまは二三歩先を行き、そこでくるりと半回転。
先を制された形になって私も仕方なく立ち止まる。
「…まだなにかあるんですか?三奈子さま」
「いやね、真美さん。私が何か仕掛けてるみたいじゃない」
さっきのは違うのか、と思ったけれど失礼過ぎるので顔には出さない。
そんな私の間を読んでいたかのように三奈子さまはさらりと、こういわれた。
「本当に私の妹にならない?」
息が止まる。そして深く息を吸い、ゆっくりとはく。
どういうつもりだろう。
唐突にそんなことを言うなんて。
あんな騒ぎを起こしておいて、迷惑をかけておいて。
いえ、だけど。
三奈子さまは本当にあの二人を記事にするつもりだったんだろうか。
『愛しい人』だなんて一歩間違えば最悪の結果を招きかねない手紙だ。
でもだからこそ手紙は人の心を操る力を得ることができた。
そう、手紙に導かれ二年生も私も薔薇の園に引き寄せられていった。
そもそも手紙は本当に入れ間違えられたのだろうか。
そんな手紙、二人がお互い見せ合えばすぐ第三者の捏造とわかる。
誤解を生み、仲直りどころか逆に破局するだろう。
しかし入れ間違えられた結果は。
妹の嫉妬を煽り、姉妹の仲直りのきっかけを与えることに成功し。
そして目的を達した手紙は二通とも三奈子様の元に見事に回収されてしまった。
そしてそれらを可能できたのは、三奈子さまが私を妹に仕立てて。
本当は私達の手紙だったことにしてしまったから。
三奈子さまにすれば私が機転を利かせることまで計算済だった。
打ち合わせも何もなし、手違いで偶然居合わせただけの筈の私が、だ。
手紙を持たない一年生までが『薔薇の園』に現われたのも絶対偶然ではない。
三奈子さまが誘導してあの修羅場をでっち上げたのだ。
これは本気で怒っていい話だ。
ご自分の目的のために、何の事情もわからない私を操ったのだから。
偶然あの一年生の下足箱の隣りだっただけ私を、騙したのだから。
でも、だからこそ。
だからこそ、そうなのかもしれない。
この人はきっと、もう私のことをよくご存じなのだろう。
そうでなければこんなたくらみを企てることなんてできっこない。
この人はこんなかたちで、私にご自分を紹介されたのかもしれない。
そしてこのたくらみには私の存在が必要不可欠であるように。
この人は私のことを必要だといって下さっているのだ。
つまり三奈子さまの本命は。本当はこの私なのだ。
心を動かされる。
いいえ、もう決めている。
こんなにも誰かに、自分を乞われたことなんて今までなかったのだから。
でも今後のこともあるし、せめて一矢を報いておかなければ。
それまでの沈黙を打ち消すようにちょっと咳払い、そして返事をする。
「お姉さま、私も新聞部に入部したいのですが」
「大歓迎よ」
次の瞬間、またヤラレタと思った。
丁度そこはマリア像の前で。
お姉さまはご自分のロザリオを襟元からではなく。
差し出しやすいポケットから取り出されたのだから。