ウテナは夢を見た。
アンシーを助けることが出来ない夢。
自分の手からアンシーの指が離れていく。
「姫宮ー!」
底知れない闇へと転落していくアンシーがなにかを叫んでいる。
でも、もうその声を聞くことが出来ない。
…なんと言ったの?…

アンシーは『逃げて』と叫んだのだけれど、ウテナの耳にはついに届かなかった。
絶望のなかで、ウテナはゆっくりとその気配に気づく。
空を埋め尽くす何か。
まるで小魚の大群のようだ。キラキラと光りながら集まっては広がる。
渦巻きながら、身を翻し、なんども行きつ戻りつするその群れの正体が次第にハッキリしてくる。
それは幾千万のヤイバの群れ。
その全てがウテナを目指して津波のように押し寄せて来る。
「ああッ!!」
ウテナはこのときアンシーがひと時の絶え間も無く感じていた痛みを初めて理解した。
…君と同じになるのか…
諦めに心が麻痺していく一方で、別の何処かでは必死に生き残ろうともがいていた。
もう思い出せないと思っていた父と母の顔。あれほど朧げになっていた幼い日の記憶が鮮明に溢れ出して来る。
…あの子は誰だろう…
蘇った父母と過ごした最後の日の記憶の中に不思議な光景があった。
自分とそっくりな少女が父や母と楽しそうに話している。
自分も笑いながらそれを見ている。
幸せな記憶。
自分ともうひとりの自分。
…あれは誰?…

もう終わりが近い。自分に向けて殺到するヤイバの風を切る音さえハッキリと聞こえる。
…かあさん、助けて…
ウテナは誰かが自分を庇うように覆いかぶさったことを重さで悟る。
「ああああああああああああああああァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
長い悲鳴があたりを震わせた。
少女の声だった。
でも、自分ではない。
「ああ」
その呻き声は今度はすぐ耳元で聞こえた。
目に見えない誰かがウテナを庇い、身代わりとなってヤイバを受け止めてくれている。
目の前の空中に視野を埋め尽くすほどのヤイバの群れが小刻みに震えながら静止しているのだ。
そして、それらはもう既に目に見えない何かに突き刺さっていることがなぜが判るのだった。
「間に合って良かった」
声だけの人は言った。
その声は少し震えているようだったのに、とても力強かった。
「もう誰も、姉様に髪の毛ほども触れることは赦しません」
「姉様はわたしだけのもの…」

視界を埋め尽くすヤイバが全て激しく震え出した。
痙攣しているように見える。
事実それらは断末魔の苦しみに身悶えしていたのだ。
ひとつひとつのヤイバが真っ白に凍りついて粉々に砕け散っていく。
代わって空は何枚もの白い大きな翼に覆われていき、
それらが砕け散ったヤイバの破片を掃き清めて、空は青さを取り戻す。

誰かがウテナを抱き上げ歩き出した。
王子さまにしてはか細い腕で、柔らかい胸をしていた。
夢はそこでおわり、ウテナは再び深い眠りに落ちていく。

その2その4
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