「車椅子はなんだか大げさだなあ」
「表を見たいとおっしゃったのは、姉様ですよ」
「部屋の外の空気を吸いたかっただけなんだよね」
ウテナが険悪になったミツルとの間の空気を嫌って、少し冷静に話せるように場所を代えようと提案したのだった。
それに、1週間もベッドにいたのでいい加減ウンザリしていたし。
廊下をミツルの押す車椅子に乗って少し移動するだけで、この屋敷の途方も無い大きさが判った。
分厚い絨毯が敷き詰められた廊下などお伽噺の中でしか知らなかったけれど、それが突き当たりが見えないほどにつづいている。
メイドさんが大勢、忙しそうに走り回っているが、皆、ミツルの姿を認めると深々と頭を垂れた。
そして、決まってウテナの顔を見て、目を剥いて驚く(ただし、声は出さない)
「祖父の部屋で話しましょう」
「それはもしかして!」
「先代剣財閥会長、剣光悦が使っていた居室です」
巨大な屋敷の中でもひときわ目を引く大扉のまえにウテナは連れて来られた。
「そうだ、わたしの友だちも紹介しましょう」
正直、ウテナは驚いた。
ベッドからミツルを見ていて、友だちという言葉とこれほど縁遠い人も居なかろうと思っていたから。
「といってもボディガード担当なんですけれど」
さもありなんとウテナはひとり納得した。
ミツルはジャケットから小さい携帯をとりだして囁いた。
「お庭番全員、先代会長室へ集合」
「ミツルはほんとうに姉上様をみつけのかな?」
音も無く廊下を走りながら月子は陽子に問いかけた。
「大奥のここ1週間の様子からしますと間違いないと思います」
…ミツルに本当に身辺警護など必要なのだろうか?…
月子はいつもの疑問に戻ってしまった。
…いつもひとりで何処かに消えて、仕事を片付けていつの間にか帰ってくる。ならばわたしたちは何のためにお側にいるのか?…
キララと水晶が合流した。先代会長室へあと角をひとつというところでルミナも加わる。
お庭番全員集合。
夏休み中だから全員私服だ。
自分の部屋で寛いでいたところをいきなり呼び出されて、皆、少し機嫌が悪そうだった。
会長室はいつも暗い。
そっと扉を開き、ひとりづつ流れるように室内へと入る。
どちらにしろ、体内に埋め込まれたパーソナルコードをセンサーが記録しているから、音を立てないことなどに意味は無いのだが…。
…わたしたちがお庭番などという大時代な呼び名であることと同じだ。意味など無い…
…ミツルの役に立つ事なんて出来ないんだ…
壁にかかる巨大な先代会長の肖像が厳しい目で月子を見ている。
奥のベランダのある大きな窓の側に自分たちを呼び出した人がいた。
もう8年も側に仕ているのにその本心を決して見せない主。
剣ミツル、様。
そして、月子はミツルといっしょにいる少女を見て衝撃を受けた。
…太陽がふたつ出ている…
ミツルに生き別れの姉がいるという噂は本当だったのだ。
内巻きにカールしたロングヘアが美しいミツルにそっくりな少女。
だが、髪の長さなどよりも、ふたりの持つ空気が全く異なっていることに、月子だけでなくお庭番全員がすぐ気付いた。
…可憐な人だ…
…ミツルとは大違い…
…かわいい…
…こりゃいける…
…キュート…
それぞれの印象を胸にお庭番は無音のまま整列する。
「みなさん、急な招集で申し訳ない。どうしても紹介したい人がいるので…」
「見ての通り、わたしの双子です。名前は天上ウテナさん。以後、わたしに接する時と同じようにして欲しい」
「とくに新学期が始まったら、学園内での身辺警護をよろしくお願いしたい…」
ミツルが言い終わらないうちにその人が初めて口をきいた。
「身辺何とかなんてめんどくさいことはどうでも良いよ。友だちを紹介してくれるって言ったじゃない」
その人は車椅子に座っていたのだが、ふわっと立ち上がったかと思うと、ただ一足でわたしたちとの間合いを詰めた。
本来ならお庭番たるものそのような接近を誰にも許してはならない。
だが、その人の殺気とは無縁の無邪気さと、裏腹の恐るべき体捌きがわたしたちにそれをさせなかったのだ。
…ミツルめ!笑ったな…
しかしどうして、われわれの側には身辺を警護する必要のなさそうなお嬢様ばかりなのだろう。
ラ・ピュセルは遠くを見るようにして話し出した。
「ディオスはまだ幼かった君を背に負ってわたしのところに来たよ」
「チュチュチュー」
「そうそうチュチュもいた」
「そしてこう言ったんだ『普通の人として暮らしたい』って」
「でも、リリンの血を受け継いだ者に普通に生きることなど無理だ」
「まして、彼はリリンの血が濃かった。超常の力は抑えがたいほどだったよ」
「だから、わたしは心の剣をどう扱えば良いかを彼に教えた」
「彼の中にあった王子の剣を解き放ったのはわたしなんだ」
アンシーは黙ったまま聞いていた。
ラ・ピュセルは苦しそうに話し続けた。
「人のためにその剣の力を使えと教えたんだ」
「なにもかも、裏目に出てしまった」
いつかトレーラーの列はユーラシアの東の端から海の上に出ていたが、まるで意に介さず海上を疾走している。
その7その9
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