放課後月子はひとりフルフェイスヘルメットをぶら下げて、
黒のライディングスーツに身を包み自分のバイクが置いてある鳳学園の駐車場へ向かっていた。
パーティ会場の飾り付け用の花を選びに出かけるのだった。
免許があるとすぐこの手の使いっ走りをさせられて愚痴のひとつも言いたくなるが、
会場の仕上げに欠かせないフラワーディスプレイを全てひとりで決定して良いということは信頼されている証でもあった。
月子のバイクは旧い水冷4気筒エンジンを剣の兵器工廠で焼き上げたカーボンフレームに搭載したワンオフ。
その無塗装の黒い車体は世界にこれ一台しかない代物だったりするが、
まあ、エンジンと駆動系はどこでも手に入るパーツなので多少手荒に扱ってもさして問題にならない…。
駐車場に着くと思いがけない人が、自分用のヘルメットを持って待っていた。
「ひとりでお使いって、つまらないかなーと思って、今日は付き合わせてください」
「ウテナさん!!」
ウテナをリアシートに乗せ月子は飛ばした。
同乗者がいる時は当然安全運転を心がけるべきなのだが、どうしたわけかウテナを乗せていると気分が高揚した。
この数日は浮かない気持ちが続いていたから特にそう感じるのかもしれない。
月子が守るべき人は、実は自分を守ってくれている人だった。
先日の怪物の襲撃で以前からそうではないかと疑っていた事実が月子にもハッキリと判った。
考えたくはないが、あの事件は反会長派によるミツル暗殺計画だった可能性が高い。
敵は剣の社内にいるのだ。
誰も信じることの出来ない剣財閥という魔窟では、
武術の修練を積んでいるとはいえ、子どもの集団である自分たちは足手纏いに過ぎないのだと自覚させられた。
そう思うたびに気持ちが淀んでしかたない。
しかし、ウテナと話している時だけは不思議とそんなことは忘れることができた。
その天真爛漫さ、楽観的なモノの見方、潔さ、素直さ、裏表の無さ、なにもかもが月子を和ませる。
ミツルがこの人になぜあれほどこだわるのか、判るような気がした。
最近、ウテナが根室記念館にあまり居着かなくなったことが残念でならない。
照明の灯り始めた逢魔ヶ時の高速道路を鳳凰市の市街地に向けて走りながら、
月子はウテナに対する自分の気持ちをじっくりと味わった。
…わたし、この娘と友だちになりたいんだ…
月子とウテナが街で最も大きな生花店で、
設宴に必要な大量のフラワーディスプレイを全て発注し終えたころには、
鳳凰市の市街地は完全に夜の帳に覆われていた。
その市街地を見下ろす、港の見える丘の公園に先週からサーカスが公演を始めている。
ポスターが街中に貼られ、その巨大な黒いテントにはキラキラとした照明が夜通し明滅している。
月子とウテナは帰り際にその美しい光の前を通るとき、思わず路肩にバイクを寄せ時を忘れて見とれた。
ウテナは驚くほど大人びた表情で、長いこと街の夜景を背にしたその光を見つめていたけれど、やがて呟くように言った。
「前に暁生さんに連れて来てもらったときより綺麗」
「誰?」
「好きだった人」
ウテナはもう恋を知っていた。
月子は何か尖ったモノで胸の真ん中を突き刺されたような痛みを感じた。
…誰も彼もわたしを置き去りにする…
陽子と水晶が奥義を会得し心の宝剣を抜き放ったのを知ったとき。
ミツルが社内の保安部のある特殊な部署を使って、現社長で義理の叔父にあたる光彦さんと争っていることを知ったとき。
そして、生き別れの姉を捜し出してどこからか、ひとりで連れ帰ったとき。
何もかも悔しかった。
誰かに滅茶苦茶に八つ当たりしてやりたかった。
でも、目の前にはウテナしかいない。
月子はすでにウテナの人柄を知ってしまっている。
…そんなことは出来やしない…
だからただ「もう帰ろう」とちょっとツッケンドンに言うだけだった。
「エーもう?」
「門限、間に合わないよ」
ウテナは渋々年長者の言うことに従った。そして、ふたりがヘルメットを冠ろうとした時その声が響いた。
「剣ミツルと托塔月子だな?」
月子は囲まれるまで気付くことが出来なかったことを恥じた。
自分の心が乱れていたせいだろうと考えたからだが、実際にはそうでは無かった。
相手は超常空間から出現したのだから気付くことなど無理だった。
その6
その8
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