「黒手組が勝手に出動しただとォォッーー?」
「責任者呼べ!バレンシア公に直ぐに止めさせろ!」
黒いテントの楽屋は外観からは有り得ない広さを持つ巨大な空間だ。
そこに団長代行のジルの怒声が響き渡った。
「王国到来号の連中め!越権が過ぎる」
ラ・ピュセルが留守の間にこれでは示しがつかない。
…バレンシアめ!いくらラ・ピュセルが呼び寄せたとしてももう赦せん…
だが、ジル・ド・レイが居室に押し掛けるよりも前にバレンシア公は自らジルの前に現れた。
…嫌みな奴め…
…田舎者…
「これはこれは副師団長閣下!」
「黒手を直ぐに引っ込めろ」
「さあ、わたしはなにも指示は出していませんがねえ…」
王国到来号艦長はその漆黒の長い髪を軽くかきあげて、すっとぼけて見せた。
が、現場責任者のジルの前から立ち去ろうという際に漸く言った。
「まあ、もし、勝手に行動した者が我が隊にいたのなら直ぐに処罰しますよ」
気障で無礼なイタリア男はハハハッと笑って自分の艦が係留されている狭間の世界の闇へと戻っていった。
ジルも最近のラ・ピュセルの生温い対応には少しイライラしていた処であった。
そのため、バレンシア公の独断専行をそれ以上追求せず、保留しておくことにした。
月子は確信した。
いま、自分たちを囲んでいるのは剣の手の者ではない。
ウテナとミツルを間違える剣の刺客など有り得ない。
…何処の者か知らないが、わたしの機嫌はすこぶる悪いぞ…
月子はウテナを庇うように立ち、そして今度は躊躇うことなく内なる奥義に手をかけた。
「古式剣流(こしきつるぎりゅう)禁呪式解放!」
「我が問いに応えよ!数珠丸!」
ライトアップされた夜の公園の光を失わせる閃光が辺りを覆う。
「月子さん!!」
「ウテナさん!わたしの後ろから離れないで!」
ウテナは瞬時に危機を察知し、月子の判断に従ったけれど、
先日の決闘広場に続いて、二度までも月子に庇ってもらうことに納得いかない気持ちがあった。
しかし、ウテナが強く念じても今回はディオスの剣は現れなかった。
恐らく決闘広場以外の場所に出現することはないのであろう。
囲み手は黒尽くめの男たち。
顔にも黒い布を巻き目だけがギラギラと光を放っていた。
なかでも特徴的なのは全員が黒い革の手袋をしていることだった。
見るからに暗殺団という出で立ちのとても判り易い連中でちょっと可笑しかったけれど、
その実力は心の宝剣を抜き放った月子には笑っていられるようなモノではないことが、
ヒシヒシと理解出来た。
剣財閥の秘密部署である超常の力を操る人々と、
剣の家の奥向きの警護を担当するお庭番の間には直接の繋がりはない。
月子はミツルがそういう怪しい部署とひとりで交渉していること自体が嫌だったけれど、
よく考えれば月子自身も超常の力を持つ異能力者である。
剣家や剣財閥が遥か昔からこういった人智を超越した力を手に入れて裏側から世界を支配して来たことは、
長く剣家に仕える自分の一族の存在そのものが証明している。
一族の掟通りにお庭番の役職に就いた月子が、ずっと求めて来た自分の存在意義は、
剣以外にも、超常の力を振るう敵が存在することで初めて示すことが出来るのだ…。
月子は、漸くそのことに気付き始めた。
…わたしが、本来、戦うべき相手が初めて現れた…
…なんの情けも容赦も必要ない相手…
…そして、なんの情けも容赦もかけてくれない相手…
…こいつらと戦うためにわたしの生はあり、この力があるんだ…
月子は、前回、ただ宝剣を召還しただけという体たらくに終わったこと恥じていた。
いま、初めて数珠丸の切っ先にまで自分の血が通うのを感じた。
そして、数珠丸の力の本質が月子の中に大河のように滔々と流れ込んで来る。
…我が末なる者。理解せよ…
…地との繋がりを断つのだ…
…魄気の束縛を斬り…
…哀れな者どもを地上より解き放て…
数珠丸を通じて月子は見た。
自分たちを囲んでいる者たちの正体を。
…肉体は既に朽ち果てている…
…魄気の力だけで動いてる亡者…
普通の武器でこの者たちを倒すことなど不可能だった。
解き放たれた矢のように一の太刀を打ち込む。
それは相手の身体とは見当違いの虚空を斬った。
別のひとりが月子の踏み込んだ場所へ、ダガーの連射を投入するが、
月子は、その到達より早くさらに敵の懐へ飛び込んでいく。
ウテナは月子の神速の突進にも全く遅れる事無く伴走し、
ダガーの雨さえも避けながら、黒い群れのなかに同じように突入していく。
月子の剣は常に相手とは離れた空間を斬っていくが、
その軌道はまるで光の糸を空間に張っていくかのように見えた。
黒い群れを抜け、月子とウテナは振り返った。
ふたりの通った後に何かが出来上がっていた。
黒い群れを捉える網。感知不能の構造物…。
黒い群れは一斉に向きを変え月子とウテナに再び襲いかかろうとした。
しかし、そうはならなかった。
既に勝負は決した。
あとには薄い煙を漂わせるべとべととしたシミが点々と芝草の上に残っていた。
月子の空間に置いた気の刃の網に掛かって、
魄気の緒を切断された亡者は、肉を維持出来なかったのだ。
その7
その9
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