暁生は敢えて敵意を隠さない。
もともと工作員を送り込んで鳳学園を占領したのはこの男だ。
良い顔をしてやる必要などない。
握手を求めて近づく剣光彦の面に一発食らわせてやろうかとも思ったが、
流石にそれは大人げないので、ただ綺麗に無視するだけに留めた。
無視され行き場を失った右手をそのままにして光彦は暁生の耳元に顔を寄せて囁く。
「やせ我慢は止した方が良い。力が必要なのでしょう?」
光彦は暁生の心の内に突き刺さる渇望の棘を見透かしていたが、
暁生には別段、自分の心の飢餓を隠しているという覚えもなかった。
…あんたに言われるまでもなく、オレはいつでも、いつでも、いつでも、餓えているさ…
「リリンの血を濃く受け継いだ者の宿命ですな」
「……」
さらに憮然とした表情で顎をそびやかし、そっぽを向いている暁生に、
光彦は漸く諦めたように右手を引っ込めると、二、三歩退いて改めて向き直った。
そして、目を細め、蛇のように笑って言った。
「『世界の果て』など止めしまえばいいじゃないですか」
「剣財閥ではあなたのような優秀な人材はいつでも大歓迎ですよ」
暁生は相手の言葉に反応しないですませることが出来なかった。
目を見開いて驚愕の表情を現わしてしまったことを後悔したが遅い。
光彦の口の端は邪悪な笑みに耳まで裂けたかと思われるほど…。
そして、さらに続けて畳み掛けた。
「リリンの血を受け継いだ者は、優れた才能を持っていながら、百凡の人間に理解されることは決して無い」
「その優れた力を世界のために役立てたいのに世界の方から拒絶される」
「そして彼らはやがて思い通りにならない世界を憎むようになる」
暁生はもうとぼける気は無くなった。
憎悪も露に言い返した。
「あんたはそうではないとでも言うのか?」
「どう見てもあんたは…」
その言葉は光彦をもっと喜ばせた。
人として生まれた筈だがその笑顔はほとんど悪魔のそれであった。
「そう、わたしのリリンの血は君よりも濃いくらいだ」
「だがね、幸か不幸か君のようにはならない」
光彦はそこで両手を広げ世界全体を示すとでもいうような仕草をしてから続けた。
「君は何年生きている?百年か二百年か?それよりも長くか?」
…たかだか三百年ほどだよ…
暁生は心の中で毒づく。
「それだけ生きてなにか成長したか?」
「まるで子どものままだろう…」
「世界に対する恨みにしがみついて死ぬことさえ出来はしない」
「同じところを檻の中の熊のように『永遠』に回り続けるんだ」
光彦の言うことは酷く暁生をイライラさせる。
暁生から見れば、ほんの子どもなのはこの男の方だから…。
もう、怒鳴出す一歩手前だった。
「何が言いたい?」
暁生の方が二百年以上長く生きてきたのだが、どうやら完全に光彦のペースだった。
「憎しみの永続は、組織に任せてしまえ」
「人間は有限の時間を楽しんで生きれば良いのさ」
「剣一族は遥かな昔にそのことに気付いた」
「永遠など薔薇の花嫁と受肉者たちに任せておけば良いのだよ…」
「剣家というシステムはそうして、裏から世界を支配してきた」
「『世界の果て』がひとりで意地をはってどれほど生き長らえても…」
「決して手に入らないモノを幾つも持っているのだ」
…世界の殻を作ってオレたちを閉じ込めいるのはコイツらだったか…
「無駄だよ。リリンの子が持っている程度の超常の力では、受肉者にはどう足掻いても及ばない」
「君はわたしに手をかける前に、そこの石岡に抹殺される」
「今度こそ煉獄に引っ掛かっていることも出来ずに地獄行きだ」
「君たち『世界の果て』が受肉者の間でなんと言われているか知っているかね?」
「『吊られた男』だ。タローの札にあるあるあれさ」
「実にマトを得た例えだと思わないか?」
「地獄に行くこともならず、生きたまま煉獄に吊るされ続ける訳だ!」
暁生は視界が怒りの為に真っ白になった。
煉獄の痛みさえもう感じない。
暁生は叫ぶ。

「世界を革命する力を!」
手の中に灼熱の痛みを感じ、胸は張り裂け、体中の血が沸騰している。
しかし、

…こいつは殺す…

いったい何時以来だろうか?
ディオス自身がディオスの剣を引き抜くのは…。
何か判らない言葉を叫び、
暁生は、ただの人間のままでありながら、何の対価も支払わずに、
悪魔を使役することで世界を牛耳っている一族の長に切り掛かった。

だが、遥かな昔、魔女を倒そうとして立ち向かった時と同じだった。
暁生の剣はそいつには届かない。
何かが、まるで蠅でも打つように暁生の存在を上から叩き潰した。
暁生の意識は、巨樹の枝の上に叩き付けられ、
その間を突き抜けてイカロスのように墜落した。
エレベータシャフトの中を何処までも墜ちて行く。
急速にあのエレベータホールの床が近づいて来る。
…あの絵は…
床に描かれた抽象的なデザインの意味が、突然理解出来た。
…裁きの日の光景だ…

グシャ!
暁生は自分の頭蓋骨が真っ平らに砕かれる音を聞いた。

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
凄まじい叫び声を上げて、暁生は跳ね起きた。
腕も足も首も硬直している。
体中が恐怖で縮こまり、丸まってしまっている。
掌を開くことができると判るまで、『世界の果て』として苦しんだ永遠の時と同じほどに長かった。
自分が何処にいるのか判るまで、さらに果てしなく感じた。

「気がつきましたか?」
その声にまた叫び声を上げたのだが、声にならなかった。
自分を覗き込んでいるのは石岡だった。
退屈そうな顔をしている。
暁生がいるのは、あのリムジーンの後部座席。
そこに胎児のような姿勢で横たわっていた。
暁生は完全に敗北した。
ただの人間相手に…。

剣家とは人が人のままで、超常の力を行使する為に生み出されたシステム…。
ひとりの『世界の果て』がその長い生を通じて経験から学ぶことを、
一族の知恵として伝え行くことで補い蓄積して行くのだ。
その当主は、幼い頃からただひたすらにそのために教育されるのだろう。
暁生は、『世界の果て』に成り果てた時の絶望を再び味わっていた。
その11 その13
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