アンシーは鳳学園に戻ってから、ずっと複雑な思いを抱いていた。
あれほど思い悩んだことがまるで空振りだったから…。
…兄はわたしが戻ったらどう出るだろう?…
ウテナが必ず現れると聞いて一も二もなく復学することにしたのだが、
兄の暁生のことはひと時も頭を離れなかった。
愛した。憎んだ。何もかも捧げ。何もかも奪ってやった。
永い永い間、世界は兄と自分のふたりだけで出来ていた。
ウテナが現れるまでは…。
でも、8年前のあの日、何もかもが変った。
完全だったふたりの世界は、不完全なモノとなり、脆く崩れ易く、同時に煌めくように美しいモノになった。
ウテナのいる世界。
美しく、狂おしい世界。
そこには暁生とウテナが一緒にいることは出来なかった。
どちらかを選ぶよりなかった。
アンシーはウテナを選んだ。

もし、暁生が学園に戻ったウテナに再び手を伸ばすようなことがあれば、
決して赦すまいと心に誓っていたのだ。
ところが、ウテナとアンシーが鳳学園に戻ったというのに、暁生から一切の接触がない。
2学期が始まってから、もう2週間以上になろうというのに不気味なほどに学園長は動かなかった。

この何日かウテナが、朝迎えに来てくれる。
東館の2階のサロンでウテナとジャンヌと3人でお茶を飲んでから出かけるのだ。
アンシーにとっては、夢のような時間だった。
薔薇の花嫁の痛みに耐えることも無く、何の屈託もない友としてウテナと会うことが出来る。
どれほど、望んでも決して叶わないと思っていた願いが、
毎朝、決まった時間に訪れる愛おしい人によって叶えられる。
これ以上、何も要らないほどだった。

けれど、アンシーには判っていた。
この幸せは余り長く続かないだろう。
たとえ、このままずっと暁生が何もして来なくても、
もうそれは些細なことにしか思われないほどに、
世界の有様は変ってしまったのが判ったから…。

アンシー自身がこのひと月で、驚くほどに変ったように、
ウテナもこのひと月で、まるで変ってしまっていた。
と言っても別に本人が変ったわけではないのだが…。
ジャンヌがこの世で最悪の魔女であると呼んだ伝説の魔物が、ウテナの側に居る。
とぐろを巻く蛇のようにウテナを抱え込み、鎌首を擡げてこちらを睨んでいる。
その蛇の顔はウテナにそっくりだ。

ジャンヌの言葉を信じない訳ではなかったけれど、実物を見るまで実感が湧かなかった。
ウテナとともに歩くその姿を見るまでは…。
…最悪だ…
ウテナは太陽のように、そいつに微笑みかける。
そいつはウテナと同じ顔をして空々しく微笑み返すのだ。
アンシーには薄らとだが、そいつのアストラルボディが見える。
ウテナと同じ形をした人型の後ろに連なる、巨大な長虫。
ぬらぬらと光る鱗を纏った胴。
あまりに長く、あまりに太く、どれほど続いているのか判らない。
アンシーはジャンヌから聞いた。
「あれは永久凍結地獄にまで繋がっている」
「あれの兄であり夫である者のところまで」

そして、今朝、
アンシーにとって掛替えの無い平和な時の終わりを告げる招待状が届けられた。
よりによってウテナ自身の手で。

それは、淡い青の封筒に瑠璃色の封蝋で閉じられていた。
アンシーとジャンヌそれぞれに。
剣からオルレアンへの明確な宣戦布告であった。
その12 その14
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