室内楽の演奏が静かに響いている。
人々の話し声がさざめき、
中庭に葡萄棚のように施された電飾がキラキラとした房を枝垂れさせている。
スプマンテのグラスが幾つも積み上げられ、
女性たちのシルクのドレスの衣擦れの音が密やかに響く。
そして、背の高い優雅な男たちが影絵芝居のような恋の駆け引きを繰り広げる。
鳳学園のどこかで週末ごとに繰り広げられる数多の夜会の例に漏れず、
剣の主催する夜会にも華やかさと同時に頽廃の香りが濃かった。

しかし、この夜会が他と大きく異なるところがある。
浮かれ騒ぐ来客たちの裏側で、学園の運命を決める会談が行われていたのだ。

百人の少年たちの遺影を背にその少女は座っている。
肘掛けに置いた両腕は二の腕までほとんどが黒いレースの手袋で覆われていたが、
反対に、そのドレスの胸元と背中は呆れるほど大胆に大きく開いていた。
滝のように流れる黒いドレープはぬるりとした絹特有の光沢を放ち、白い肌を際立たせる。
石岡はその白い胸元に、暗黒への扉が開いていないことを知って安堵した。
暁生はその白い肌に旅館の浴衣を着たあの夜のウテナを思い出す。
少女は大理石の彫像のような無表情でふたりの男を見ている。
「鳳暁生さんですね?ごきげんよう、初めまして」
少女はそう言いながら、眉ひとつ動かさない。
その両脇には御影草時と千唾馬宮が立っている。
ふたりはもう暁生を恐れている様子は無かった。
暁生は、被告席に立っているのは自分の方であることをこのふたりの表情から思い知らされる。
慎重にトーンを選んで返事をしなければならない。
「はじめまして、剣会長」
「このたびは、ご招待ありがとうございます」
背筋を伸ばし、会釈はほんの微かに留める。
慎重に答えるといっても、嘘やごまかしは一切、御法度である。
リリスは望みさえすれば、全ての真実を知ることが出来るからだ。
問題となるのは、本人の口からどんな物語として語られるか…。
それをリリスが気に入るかどうかだ。

「あなたは、姉様を傷つけ、薔薇の花嫁にしようとしましたね?」
暁生は思わずギクリとするが、それを否定することは出来ない。
いま、自分でも信じうる真実を答えるだけだ。
「それは、わたしがウテナを愛していたからです」
かなり、本当だ。
「彼女を永遠に独占したかった」
これも間違いない。

リリスの質問はこれだけ。
あとはただ長い沈黙が続いた。
暁生にはついに辿り着けなかった永遠を知る者の沈黙。
…剣の本社で死んでいた方が楽だったのか?…
ディオスの城のなかに残して来た過去の自分の彫像を見ているような気になる。
この娘は本当に石で出来ているのではなかろうか?
石岡から仕入れたリリスの力に関する情報を総合するとこれ以上自分に出来ることは何も無い。
この娘に都合の良いことを言って自分を売り込むことなど不可能だと判った。

この娘は、まさしく人に知覚できる全能者。
神は決して人にその存在を顕わすことはない。
ただ黙って、人が苦しみ、祈り、助けを請うのを見ているだけだ。
しかし、この娘はあらゆることを知り、あらゆること思いどうりにし、
そして、自分の気に入った者に現実の恩寵を与える。
さらに、受肉者たちにとっては永久凍結地獄に居ると言われる彼らの神に、
唯一、地上から声を届かせることができる者とされているのだ。

暁生は石岡から聞いた話を思い出していた…。
剣の先代当主、光悦は剣の当主の規範を逸脱した人物だったらしい。
先々の光綱は石岡や野辺菊乃たちを器として差し出し多くの悪魔の魂を呪縛した。
しかし、光悦はただのひとりの例外を除いて受肉者を造らなかった。
そのただひとりの例外が孫娘のミツルだった。
しかも、その魂は決して呪縛されることの無い、生きたままの巨大な魔物…。
リリス。
剣家先代当主がなぜそうしたのか?
暁生には、まったく見当も付かなかったが、
この賭けに勝ち、生き残ることができなら、
リリスに聞いてみようと思っていた。

リリスはほとんど閉じていた目を再び開き始める。
背面の壁にかかっている少年たちの遺影がかたかたと震え出した。
壁の中央にある火葬炉の鋼鉄の扉がゆっくりと開き中からオレンジの炎が吹き出してくる。
「暁生さん。あなたとはまたいずれ話さねばなりません」
「でも、いまは他のお客様をおもてなししなければ…」
火葬炉の扉が大きく開いた。
オレンジの光が地下室を覆う。
その光の中に映像が浮かび上がった。
夜会の風景だった。
アナウンスが聞こえて来る。
「ジャンヌ・ド・オルレアン様」
「姫宮アンシー様」
ミツルは立ち上がり石岡に退出を仕草で示す。
石岡は暁生の腕をとり、エレベータへと退がる。
その17 その19
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