石岡はいま、本来の自分の目的とは正反対の行動をとっていた。
漸くミツルが、リリスとしての本性に目覚めようとしているのに、
それを押し止めんとする暁生を、手助けしているのだから…。
暁生をウテナのもとへと送り込み、さらにはウテナと暁生をミツルのもとへ送り込む。
…面白そうだから、言われるままに手を貸したが、またとんでもない方向に勢い付いたものだ…
とはいえ、もう後には退けない。悪魔にも信義があるのだ。
…やると約束したことはやる…
そして、超常空間の回廊を走って行くウテナと暁生の前に扉を開いてやる。
ふたりは、真黒に花開くリリスの夜の翼の真上に出現した。
暁生はドレスの裾を青白い流れ星の尾のようにたなびかせ、
ひしとウテナをかき抱いたまま、リリスの中心部へと落下して行った。
恐らくは、何が出来るのか暁生自身にも判らないまま突っ走ったのだろう。
ふたり揃って、ただ犬死にすることになるかも知れないのに…。
ミツルがいまだに、姉を認識出来るのかどうか。
石岡には甚だ怪しく思われるのだった。

ウテナは自分でも呆れていた。
…お人好しにもほどがある…
剣の本宅でミツルに言われたことを今更ながらに思い出していた。
「ミツルがとんでもないことになる」という、なぞの美少女の言葉を真に受けて走った。
そして、光に包まれ、この世ならぬ超常の回廊を抜けて、いま夜空に放り出されている。
地上に激突すればたぶん命は無いだろう。
…ボクは、こんなところで死ぬのか?…
…ミツルは、怒るだろうなあ…
ウテナは柄にも無く自嘲気味に思う。
夜の大気が頬を打ち、髪を激しく震わせる。
もう、地面は近いはずだ。
だが、覚悟した衝撃は来なかった。
激突する代わりに、何か、真綿のような、マシュマロのようなモノの中に落ちた。
包み込まれるように。

そのマシュマロの内部は真黒だった。
墨汁の中にでもいるようだ。
不思議なことに全く濃淡の無い真の闇のなかに取り込まれているのに。
…遥か彼方まで見渡せる…
目で見るのではなく、直接感覚が伝わって来る。
だから判る。
いま居るところは…。
…誰かの心の中だ…

ウテナはひとりになっていた。
自分を導き、守るようにして一緒にここに落ちて来た少女の気配は無い。
しかし、心配要らないように感じたし、恐怖も感じなかった。
…ここの秩序は、ここに来た者を傷つけたりしない…
ウテナには確信と言っても良いほど、深く確かに感じられる。
この漆黒の心の持ち主は、とても優しい。

どれくらいの時間が経過しているのか、全く見当がつかないが、
なにも見えない、聞こえない状態であるにも拘らず、恐怖や不安はやって来ない。
ただ、安らかに闇のなかに浮いていることが出来た。
時間の感覚が完全に失われたころ、
ついに、その小さな小さな声が聞こえて来た。
ふたりの人が話している。
ひとりは性別も年齢も全く想像できない、不思議な声。
もうひとりは、ウテナが良く知っている声だった。
その27 その29
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