ウテナたちは、根室記念館の裏口から入り、下階を抜けて3階でこっそり着替えてから、夜会の会場へ戻ろうとしていた。
けれど、当主ミツルの行方不明という緊急事態にいきり立っていたお庭番たちに見咎められない筈はない。
「ミツルッ!ウテナさんッ!いったいどこ行ってたのッ?」
月子が声を荒げた。
陽子など、そっぽを向いたまま口もきかない。普段なら考えられないことだ。
ミツルはいつものように平然としていたけれど、ウテナは気が気ではなかった。
「ご心配かけましたけれど、わたしもねえさまも無事です」
「ですから、直ぐにそれぞれの持ち場に戻ってください」
いくら主であっても、突然姿を消して周りに迷惑をかけた人物としては、あまりに無礼な釈明だ。
その上、お庭番を出し抜いてウテナを連れ去った少女を伴って戻って来たのだから堪らない。
「こちらの暁生(あきら)さんに助けて頂きました」
ミツルの傍らへ招かれて、その野性的で美しい少女は、微かに会釈した後、素っ気なく言った。
「先ほどは失礼した。急いでいたもので、少々礼儀を失していたと思う」
剣家お庭番は、この娘に完全にコケにされた格好だった。
「あなたがお嬢様方を連れ出したのだとしたら、ただでは済まさない」
「この場で償ってもらう」
低く怒気を込めた声で、ふたりは暁生に迫った。
この時のふたりは、夜会の主催者側現場責任者として、著しく適正を欠いていたと言えるだろう。
「そちらがお望みならば…」
暁生は端正な美貌の上に、驚くほど凶暴な表情を露にした。
こちらも事を荒立てる気満々だ。
「止めて!月子さんも陽子さんもッ!お願いだからッ!代わりにボクが謝るから!」
ウテナはとうとう耐えられなくなり、割って入った。
「ミツルも何とか言いなよ。皆、怒ってるじゃないか」
ミツルが応えようと、微かにウテナの方を振り向いた時、新たな声が根室記念館1階ホールに響き渡った。
「宴の主が中座したまま消えてしまうとは、随分と失礼な話ではないかな?」
凛とした鈴のような少女の声音。
血のように赤いドレスの裾を見事に捌いて、オルレアンの長がホールの向こう岸からこちらへ渡って来る。
その後ろには、白い小鳥のようなアンシーが付き従っていた。
ウテナは唇を噛んだ。
…なにも、このタイミングで…
先ほどのミツルの言葉の意味を、この場で知らされる事になりそうだった。
地下室へ運び込まれる途中、草時は傷の痛みをおしてその男に話しかけた。
「ミツルは我々を集めて、全面戦争を始めるつもりなのか?」
男は前を向いたまま小声で答えた。
「肺と心臓に穴が開いている。あの方の力で一時的に塞いだだけだから、あまりしゃべらん方が良い」
「そうか。道理で動けない訳だ」
草時を抱き上げて運びながら、男の息づかいには全く乱れがない。
機械のように一定で、夜の森のように静かだった。
男は暫く無言で歩き続けたが、草時の意識が再び薄れて行こうする時、自分から話しかけて来た。
「先ほどの質問だが、既に全面戦争は回避された。ウテナさんのおかげで…」
「30分ほど前、この世界は破滅するところだった。しかし、残念な事にそうはならなかったのさ」
「残念?」
「聞くだけで、返事はしなくて良い」
「あのままだったなら、リリスの真の力は目覚め、我らの望みも叶った」
「けれど、オレがリリス覚醒の現場にウテナさんを送り込んだから、あの方は『なにか』を思い出してしまった」
「そして、リリスの真の力は目覚めずに代わりにオレたちを集めることにしたのだ」
「オレはあの方に直に仕えることが許されるなら文句はないけれど」
「『他の連中』からは苦情が来そうだ」
馬宮が地下室への隠し通路を開くと、男は階段を二段ずつ降りたが、草時の体には驚くほど揺れは伝わらない。
馬宮が用意した棺桶型の寝台に草時を寝かせると、男は草時に初めて名乗った。
「剣財閥本社社長室長の石岡という。以後はともにあの方のために働く事になるだろう」
本格的な治癒呪文を練りながら、石岡は少し渋い顔をしていた。
光彦社長にこの事が知れた時の報いがいかなるものか知っていたから。
けれど、ミツルがとうとう自分に『力を貸して欲しい』と声をかけてくれた事に比べたら、
契約不履行の刑罰など取るに足らない。
…恐れることァない。ちょいと肉片にバラされてピクピク震えながら生き続けるだけだ…
それも『裁きの日』までのこと。
たとえ今夜そうならなくても、その日は近い。
その31
その33
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