西園寺の前には、白金の装甲に身を包んだ乙女がふたり立っていた。
前衛に立つ乙女は、人の身の丈ほどもあるツーハンドソードを顔の正面に垂直に構えている。
西園寺も抜刀しこれに応えた。
ピタリと正眼に構える。
旋風が巻き起こり薔薇の花びらが激しく舞い狂った。
これはかつて馴染んだデュエルの情景に間違いない。
けれどこの戦いは、以前とは異なる秩序の上で行われている。
『世界の果て』でさえも及ばない何者かの意思…。
ここでもまた、西園寺は蚊帳の外だった。
『世界の果て』が仕組んだデュエルも、秘匿されたことばかりだったけれど、いまはもっと酷い。
誰が何のために、こんな大仕掛けな決闘広場の模造品を作り出したのか。
そんな力が何処から来るのか。
新たなデュエリストがどうやって選ばれたのか。
『世界の果て』はどうなってしまったのか。
判らないことだらけだ。
それでも、西園寺は戦うと決めた。
実際、理由なんて、もうどうでもいいのだ。永遠にも興味はない。
ただひたすら、惚れた女をこの手に取り戻したい、そのためだけに戦うのだ。
それだけだ。
「西園寺恭一!参る!」


ウテナが身を乗り出して、西園寺の突進を視線で追った。
やはりアンシーのことが気になるのだろう。
…心配しなくても大丈夫だ…
あの人が薔薇の花嫁を勤めているというのに、王子が負けるはずが無い。
長い戦いの末に、自分の心の剣を抜き放つことが出来なくなって、自身が王子であることを辞めても。
暁生に生きる道を示した人は、いまだ畏怖の念を抱かせるだけのカリスマを発散していた。


西園寺の突きの一閃が、アンシーの薔薇を捕らえようとした時、電光が辺りを切り裂いた。
「人の礎たる我ら、虜を解き放たん」
「世界を革命する力を!」
西園寺の身体は、突然、動かなくなった。と言うより世界自体が動かなくなった。
無数の薔薇の花びらが、空中にピンで刺し留めたように浮いている。
全てが凍り付いたなかで、自分の意識だけが時の経過を感じていた…。
…なんだ!これは?…
その西園寺の意識に直に語りかけて来る声があった。
…先輩、この件に関わるのは、これで終わりにしてください…
…若葉さんが、悲しむところは見たくありませんから…
…相手は『世界の果て』よりも、ずっと不安定で、ずっと気まぐれで、しかも圧倒的に強大です…
…人が触れて良いモノではないのです…
凍りついた世界に響くアンシーの声は、この異常な現象のなかで、ほの暖かい篝火のように思えた。
西園寺は、漸く自分からもアンシーに語りかける事が出来るのではないかと気付いた。
…な、ならば、どうしろと言うのだ、アンシー…
…勝ちを譲ってください先輩…
…なにを言ってる?!…
…ただそのまま、ちょっと止まっていてくだされば良いのです…
…待てッ!待ってくれッ!アンシーッッ!…
…オレはッ!!オレでは、駄目なのかッ!?…
…オレでは、おま…
言い終わらぬうちに、西園寺の意識も速度を失っていった。
思考が、ゆっくりと、緩慢に、なっていく。
…え、の…
アンシーとジャンヌの身体から影のように透明な分身が離れ出た。
そして、突進の前傾姿勢のまま固まっている西園寺に近づき、そっと胸の薔薇に息を吹きかけたのだった。
西園寺には判った。アンシーの息がかかった辺りだけ、時が動き出したことが。
アンシーはそのまま薔薇の花びらにそっと口づけした。
西園寺の胸の辺りが、カッと熱くなる。
薔薇の花びらは、倒れたコップから流れ出る水のように、舞散っていった。
時間が動き出す。
「それまでッ!勝負ありッ!」


東西のデュエリストが無事に退場して行くのを見送って、ウテナはほっと胸を撫で下ろした。
「誰も怪我しなくて良かった」
「アンシーはやっぱり優しいな」
ウテナの言葉に、暁生は一瞬だけ酷く苦い笑いを浮かべる。
…西園寺!ホントに報われない奴だよ、おまえは…
いまの戦いの全てを読み切ることは出来なかったけれど、その残響を拾い集めて再構成する事は出来た。
哀れな元自分のデュエリストに、少しだけ同情した。
以前なら、嘲り笑ったことだろう。転げ回って喜んだかも知れない。
でもいまは、全然そんな気分にならない。
西園寺と自分に、どれほどの違いがあるだろうか。
…慰み者だな。お互いに…
俯いた暁生の顔を、いつの間にか、ウテナが首を傾げるようにして覗き込んでいた。
「さっきから聞こうと思っていたんだけど…」
「アキラさんみたいに綺麗な女の子が、どうして自分のことを『オレ』ッて言うのかなって?」
「ボクが言うのも変なんだけどさ…」
暁生は、今度こそ苦笑した。
「ハハッ!確かに君に言われるのは、心外って気もするな」
ウテナは笑わなかった。真剣な顔でじっと暁生を見つめた。
「でも、アキラさんがボクの思っている通りの人なら…。そのままの方が良いかも」
吸い込まれそうな瞳。
…こんな恐ろしい目をしていたんだ。ずっと側にいたのに気付かなかったよ…
これほど騙し易い娘もいないと、思っていた。
けれど、本当は誰よりも真実を見抜く力を持っているのではなかろうか?
暁生が黙って見つめ返していると、今度は、ウテナが少し照れたように頬を染め目を逸らした。
その仕草は暁生の胸を掻き乱したが、以前のような残忍な支配欲や征服欲は湧いて来なかった。
暁生の脳内物質の配分は、大きく変わってしまったのだ。
暁生はもう、雄でなくなっていた。
過去の自分の感情には、まるで実感がない。時代遅れのドラマを見ているようだ。
過去の執着も欲望も、なにもかもが、意味を失っていく。
指の間からすり抜けていってしまう。
雄であったころの暁生ならば、間違いなく怒り狂っていたはずなのに…。
…忌々しい魔物ども…
…これ以上オレをどうするつもりだ…


薫幹は、自陣の花道を進み待機位置と思われるあたりで止まる。
対戦相手について、直前に冬芽から得た情報が頭の中を駆け巡っていた。
とても整理出来そうにない。
それに、冬芽がどうやってそれを知り得たのかも、かなり気になった。
幹の情報網では、まずアクセス出来ないレベルの話も多く含まれていたから…。
冬芽は言った。
「剣家というのは、二千年以上にわたって、占と呪術を司って来た家系だと言われている」
「超常の力をもって、時々の支配者に仕え、戦を勝利に導いてきた…」
「そして、その『力の源』というのが『薔薇の花嫁』らしい」
「剣家は人工的に『薔薇の花嫁』を作り出す術を編み出したんだ」
「要は、代々、娘を生け贄にし『薔薇の花嫁』に仕立て、その力で社会を裏から支配して来た」
「それに加えて『薔薇の花嫁』の身辺の世話係と警護者を兼ねる特殊な能力を持つ者たちが生み出された」
「それが『お庭番』だ」
「何代にも渡って剣家に仕えている血筋の娘たち」
「その生き血の上に、剣家の繁栄は築かれて来た」
「まさに現代の魔窟だよ」
「実際、剣財閥本社ビルはその筋では『万魔殿(パンデモニウム)』と呼ばれているらしい」
「剣ミツルは、その跡取り娘で、本来は『薔薇の花嫁』なるべきだった存在」
「だが、何らかの理由によってそれが先延ばしになっているか、なにか別の状態になったかということらしい」
「ウテナが剣家の娘である事を秘されていたのも、それに関係があるのかも知れない」
「が、それは、まだ判らない」
「確かなのは、君の対戦相手のお庭番、柴又陽子が恐ろしく強いということだけだ」
「あの青龍刀の重さと速さは、尋常ではない」
「だが、戦っている間、あの娘には通常の思考が出来ないのではないかと思われる節がある」
「なにか仕掛けるとしたら、そこを突く以外に無いと思う」
「健闘を祈る」
…祈られてもね…
冬芽の話は幹が以前本物の決闘広場で見た出来事を裏付けているように思われた。
剣家の中で内紛が起こっている。
…それも、気休めだな。相手の強さはその人、個人のモノだから…
場内に次の対戦者がコールされた。
「青龍の陣より、剣家お庭番、柴又陽子」
「白虎の陣より、鳳学園生徒会、薫幹」



その39 その41
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