Night piece





   夜に響く金属音が、サンジの浅い眠りを断ち切った。
 傍らには、ゾロの高い体温がある。さっきまで、腕に抱きこめ散々に啼かした男の身体の安定感に気持ちが和んだ。日常で神経質に細かく寄せられている眉根が解けた料理人の顔は、本人が預かり知らぬところで、驚くほどに優しい綺麗さを見せている。
 すぐ側にある温もりが心地よく、引きずり込まれる眠気に意識が蕩けそうになる瞬間、また、宿の部屋にカチンと音がはじけた。

 ゾロの、刀のような音だ・・・。

 ぼんやり瞳を開き、視線を漂わせた室内は薄く暗い。
 空気中に混ざるタバコの匂いに、サンジの意識ははっきりと覚醒する。
 布擦れを立てて振り向けば、同じベッドに身を寄せて眠っていたはずのゾロは、座った高みからサンジを見下ろしている。

「まだ、早いぞ」

 さっきので少しばかり声帯がやられたのか。声が艶っぽくかすれている。
 柔らかなかさつきを残した、イイ声だ。ちょっとだけ高い音の部分が途切れてサンジを煽る。
 寝返った体勢から戻らず、片腕だけ目元に乗せて。
 サンジは腕の下からゾロと視線を合わせた。

「ゾロこそ、珍しいじゃねえの。俺より先に起きているなんてさ。何かあったか」
「別に・・・・。久しぶりの陸のベッドで身体の勝手が違うんだろ。巧く寝付けねえよ」
「オマエ、ホントにゾロか。ナミさんに聞かせてやりてえコト言ってんぞ」
 喉の奥で笑うサンジの声は、嫌な音ではない。
 神経に障らないリラックスした笑い声に、見下ろすゾロの口元も柔らかにほころぶ。緩く弧を描く口元に引き寄せられ、サンジは目の上にかぶせていた腕を伸ばした。
 半端な闇の中から白い指が頬に触れようとしたところで、ひくりと止まった。
 
 あまりに馴染んでしまったこの匂い。いつもは自分からしか発せられない、タバコの匂いが強くある。嗅覚に優れたサンジであったが、寝起きであることと、ゾロが口にするはずのない嗜好品の不自然さに気付くのが遅れた。
「なんだ?」
 当然に触れてくるだろうはずものが停止した不自然さに、逆にゾロが問う。覚え込んでしまったサンジの指の感触だけが頬に蘇り、物足りなささえ感じた。
「タバコ・・・吸ってるのか?」

 単調な、確認するためだけの問いかけだ。だが、見つめてくる蒼い双眸は、真剣だった。
 見返すこちらの鼓動が跳ね上がる。

 存外に男っぽいその顔つきに、なぜかゾロは恥ずかしさまで感じた。身体の奥が熱くなる。
 聡いサンジだ。ゾロが巧く隠し遂せたと思っても、容易く性的なこの反応に勘付いてしまう。
 負けているような気にさせられ、ゾロは視線をサンジからタバコを挟む指先へ移した。
 右側に眠るサンジを避けるために、自然とタバコを持つのは左手となっている。普段から欲しいとは思わないモノだったが、なんとなく今夜だけは興味があった。日ごろの疲れから開放されたコックが、目を覚まさない手持ち無沙汰もあった。
 少しの人の気配で飛び起きる男が、ゾロの傍らで丸くなって眠り続けている。
 珍しい寝顔は、起きているときには分からない強い疲労が残っていた。目の下には、くっきりと隈が浮いている。この眠りを妨げたくはない。
 密かに願った。もう少しだけ、眠っていてくれと。他愛ないことを祈った。
 
 ゾロが長い腕を伸ばして、サンジを通り越してタバコを取り上げても身動ぎひとつしなかった。
 吸ってみて、うまいとは正直感じない。喉の粘膜をひりつかせる煙や、頭がくらりとする感覚に、いったいどれほどのキツイタバコを吸っているのか。苛立ちすら覚えたというのに。
 眠りを断ち切られたサンジに対して、ゾロのほうが罰の悪さを感じてしまう。不条理だと思う。
 それでも、タバコに興味を引かれた根底にあるのが、強烈なまでのサンジへの執着だ。認めるには時間が要ったが、そうなのかと引き込んでしまえば、存外に大きいと思えた塊は容易く呑めた。
 ただ、それをサンジにまだ言えない。
 傲慢なようでいて、対人関係に臆病なところがある料理人に、相手が潰されるほどの自我を叩きつけてもいいのかどうか。推し量っている。
 
 まだ、言わずにいるべきなのか。
 もう、切り出してもいいのかどうか。
 ゾロにもよく分からないでいる。だからサンジから目を逸らす。
 
 目線を逃がしたゾロの動きに、サンジは諦めたような笑い方をする。さっきまでの暖かなものとは全くちがう。異質な笑いだ。
 身体を起こし、ベッドボードに上半身をもたれかからせるゾロの真正面に、白い顔が迫った。
 怒っているのでもない。からかってやろうという性質の悪いものでもない。
 戸惑っている。それが一番しっくり当てはまる。
「おまえさ、タバコって嫌いじゃなかったっけ?」
 一方で、ゾロがいきなりタバコなんぞに手出しした理由が分からないサンジは、現状が把握できず、いつもの調子を取り戻そうと必死になっていた。
 人がタバコを吸っていれば、とにかく嫌な顔ばかりをしてきた男だ。
 いつもゾロに煙たがられるのが面白く、わざと紫煙を吹きかけることはあった。目の縁に涙を溜めて、睨みつけるその顔に、何度も不埒な欲が沸き起こったものだ。その度に、猥雑な目つきでゾロの身体を衣服の上から舐め、意味深な視線の動きにゾロが怒り出していた。
 どうせなら、今もそんな形でこの話は終わらせたい。どこかで画策している。

「好きじゃあねえな」
「じゃ、なんで吸っているんだよ」
「別に・・・・暇だったからだろ」

 誰の話をしているのか。
 行きかう台詞は、二人の間に音と一緒に落ちる湿った呼気よりも重みがない。
 それでも、ゾロの精一杯の反逆は、ときどきに応じてサンジに敵愾心を抱かせたり、言葉にできない温かさを覚えさせる。ほんの僅か、声に孕む音に甘さがあることを聞きとめてしまえば、猛烈な庇護欲を掻きたてられた。持ち上がって行く口角の動きが止められなかった。
 あの胸の味を知っている。
 耳の直ぐ下を舐め取れば、乱れる呼吸を堪える姿を知っている。
 戦慄いて持ち上がるペニスに口付けた。
 柔らかに解れた後孔はサンジをあっさり飲み込んだ。
 とても辛そうに眉根を寄せて耐えていながら、必死で引き結んだ口元からは、突き上げのたびにいやらしい声が切れ切れに漏れ出ていた。アーチ型に反り返る背中や、引き寄せる腕の強さが、瞬時にサンジの記憶に呼び醒まされる。
「人の顔見て、にやついてるんじゃねえ」
 徐々に露になっていく人の悪い笑みに、ゾロは不満いっぱいの表情で横を向く。
 そっぽを向いて横顔だけを晒していた男は、やがて開き直ったのか、おもむろに左手を口元へ持ち上げた。それに順じて、ゾロの目がサンジに固定される。

 独特の赤が動く。
 蒼い目を見据えたまま、輪郭を滲ませたタバコの白がゾロの唇に挟まれる。
 
 どこか挑戦的なその目を受け止めて、サンジは片眉だけを軽く引き上げてみせた。
 ゆっくり、大きな傷の走る胸が上下する。深く深くまで、紫煙がゾロの肺に染みていった。
 吐き出される紫煙の香りは、サンジが知る香りとは微妙に変わっている錯覚に陥る。
 薄く開く口元が卑猥に映る。息が詰まる。
「てめぇには、似合わねえよ」
 止めておけ。
 呟いてゾロの口元に、冷たい指が触れた。
「コレは俺だけでいいんだ」
 低い囁きは耳を澄ましていなければ聞き取れない。吸いさしをフィルターぎりぎりまで燃え立たせ、これ以上にゾロには渡す気はないと。態度だけで言ってよこす。
「なんでだ。俺が吸っちゃ拙いことでもあるかよ」
 憮然とした口ぶりで、サンジを見る男の目はとてつもなく真っ直ぐだ。
 生き方も、夢に向かうその姿も。
 食べるにも、セックスするにも。喧嘩をしても、闘っていても。
 ゾロは対象物に対して真摯だ。あまりに一直線すぎて怖いくらいだ。自分がこうと決めたことは、誰が止めても突き進む。愛されて育ったのだろう。
 人に愛されることに迷いがない強さがゾロにはある。
 だからサンジはゾロがいい。
 常に迷いや誤魔化しを胸に燻らせている自分の弱さは、ゾロが持つ強さには跳ね返される。
 肌の温もりだけが欲しかった。誰かと優しい時間を共有したかった。
 だが、サンジは自分が持つ負の力を知っている。それが他人に及ぼす影響を知っている。
 よほどに自身を強く持っている相手でなければ、遊びであろうが肉体関係すら結べない。女に声をかけては適当にあしらわれるのは、気楽だ。
 引きずらない関係でいようと、船の中でさえ仲間たちとは一歩引いた場所にいる。
 キッチンは絶好の逃げ場所だ。
 料理中のサンジには誰も接触してこないから、料理に一日没頭する。
 ゾロの意志の強さは半端ではなく。その目がよそに逸れることがない。たぶん、サンジがいきなり消えてなくなっても。ゾロは気にせずに進んでいってくれるだろう。だからゾロがいい。

 そのゾロが、自分を偽るために使っているタバコを戯れでも吸うのは、内部から綺麗な男を汚しているようで嫌だ。言いたいことがあっても、本音が漏れ出そうになっても。バラティエで夢に焦がれる自分を封じるための手段に、タバコを口にするようになっている。
 今も、その悪癖は続いている。毒を身体に入れるのは自分ひとりで充分だ。
「大剣豪になるんだろ。こんなもん吸ってたら、闘っている最中でもタバコ咥えてないと苛々するようになるぜ?三本刀のオマエでも、刀とタバコの両方は咥えられないだろ。止めとけ」
「もうなってるぞ?」
 混ぜ返す上っ面の言葉だけで、ゾロを誤魔化そうとしていたサンジは、思わぬ返答にまじまじと薄い瞳の奥底を覗き込んだ。
「なに?」
 返すサンジのなんと無防備なことか。
 狡猾なようでいて、サンジはたまに素を晒す。本人には自覚はない。ただ、その顔は頻繁にゾロと二人きりでいるときに見受けられる。
 間抜けなツラでいるサンジに鼻先ひとつだけで笑って、ゾロは先ほどサンジが自分にしようとして果たせなかった動作で、白い頬に手を当てた。
「だから、よ」
 真っ向から、こんな台詞を言うのが気恥ずかしい。
 だが、サンジには言ってやらないと分からない。
 もう言ってやってもいい頃合なのだろう。どうにも危なっかしい波動を漂わせているコックには、恐ろしく頑丈な枷が要る。それがないと、勝手にどこかへ消えて行きかねない。

「てめぇのタバコ。近くにないと苛々するって言ってる」
「な・・・んだよ、それ」
 笑って横を向きかけるコックの頭を強引に自分へむける。
 ゾロだって恥ずかしいのだ。サンジが逃げるのは卑怯だろう。
「今日な、俺の誕生日だ」
「うん、知ってるけど?」
 ゾロの誕生日に島へ到着できて、喜んだのはサンジだ。さりげなく何か欲しくないかを尋ねたサンジに、素っ気無いまでの冷たさで、面倒くさいと応じられたのは航海中の出来事だ。他の連中に知れてしまえば、どんな騒ぎが待ち受けているか。熟知しているだけに、賢明なかわしかただった。だが、島に着いたのであれば、仲間たちには知られずに、堂々と祝ってやれる。
 酒でもいい。上等の宿で丸々寝こけていてもいい。そう単純に思った。
 それなのに、上陸して二人きりになった途端、何もして欲しくない。誰にも言うなと言った割りに、今日一日はゾロは何かとサンジに誕生日なる単語を連発した。その都度、普段なら通りもしない剣士の意思は、あっさり通されてきたのだ。
 ある意味、ゾロに振り回された一日であったと、サンジは頭の片隅でこっそり反芻する。
 そして、ゾロの誕生日だという免罪符は、いったいつまで有効なのかとも思う。
「てめえ、俺にナニが欲しいかって、しつこく聞いてきやがったよなあ?」
「そりゃあ・・・・なあ・・・」
 仲間たちには露とも見せない意外な我侭ぶりを発揮するゾロは、サンジを喜ばせもしたが、しまいには勘弁してほしいとさえ思わせるほどの無謀ぶりだった。
 品物で片が付くなら、いっそのことすっきりと楽になる。
 他人に振り回されるに慣れている男が音を上げるほど過酷な一日であった。
 それが、まだ続くのか。突っ張ればいいことを譲歩してしまう自分の体質に嫌気が指す。
 微苦笑を浮かべるサンジの頬から頭へ片手を差込み、ゾロはそっと唇を重ねた。
 タバコの匂いが、新鮮に伝わってくる。
 舌先を舐め取り、ゾロを深く貪ろうとするサンジをじらすように、つい、と頭を離す。だが完全に引きはせず、唇の表面が触れる微妙な距離だ。
 真っ青なブルーが欲情している。ゾロを貪り尽くす色に魅入りながら、ふっと小さく笑ってやる。
 引導を渡してやるなら今しかない。絶好の近さだ。
「俺が落ち着いていられるよう、てめぇずっと俺の側でタバコ吸ってろ。俺がてめえを貰う」
「・・・・・・・・・っ・・・・・・!」
 予測もしていなかった独占の言葉に。引かせない指の力に。
 頭の中が真っ白になった。退路ばかり探している背後に、突如として落とされた分厚い壁は、あっという間に八方を塞ぎ、全ての道を断ち切った。進むのはたった一つの場所しかない。こんなにもあっさりと、サンジの思う場所に堕ちていいはずがない。
 即座に言い換えそうとしたが、どれもが安っぽい薄さしかないものばかりだ。
 こんなにも近くから、言う台詞ではない。逃げられない。逃がしてもらえない。
 一緒に居ていいはずない。ゾロの歩く夢とサンジが探す夢は、交差する接点すらないのに。
 この男は、側にいろと命じてくる。
 懇願でも、希望でもない。島についてからこちら、ずっとサンジに言いたい放題の我侭を通したのと同じ声で、一生のことをシンプルに命じてくる。簡単に口にしてはいけない物事は、ゾロが言えば、とても容易いと錯覚させる力がある。
 とんでもない男だ。
 ゾロは真っ直ぐすぎる。
 一直線に貫き通す彼の白刃にも似た、鮮やかな切り口が、サンジの胸底まで突き通る。
 強い光を湛える目に縫いとめられてしまえば、逃げ場もない。後が無い。誤魔化しも回避も許してくれない。
 ゾロと同じ道を歩きたい。当の本人から簡単に寄越された自分の思いは、いったいどうやって宥めてやればいいのだろう。混乱しすぎて心臓が痛い。
 つきりと通る痛みが、ゾロが発した音の刀を受け止めていた。こんな馬鹿は知らない。
 もうどんな反応だってできない。黙り込むコックに、ゾロは得意満面でいた。
「どうだ、安いもんだろ。俺にしちゃあ破格の譲歩だぜ」
 にんまりする剣士に対して、諦めと怒りと悔しさと。それ以上にやられたと打ちのめされる。
 完全に負けた。即座に言い返せないでいる時点で、サンジはすっかり負けている。
 だが、認めるのが悔しくて。そして目の前の男の言い分に完全に欲情した自分もいて。
「てめぇが言うんじゃねえ。俺は安くねえ。大剣豪になってから、もう一度オーダーしろ」
 素直には応じてもらえず、むっとして反論しかけるゾロに気付き、サンジは慌てて口を封じる。
 舌を滑り込ませ、覚えてしまったゾロが感じる場所を舐め取り、ベッドにあった片手はダイレクトにシーツに隠れた下半身へ落ちて行く。
 ひくりと跳ね上がる筋肉質の身体に、サンジの身体もざわめく。
 激しさが欲しいゾロが自分からサンジの頭を抱え寄せ、もっと深くまで探れと催促する。
 絡めた舌は、タバコの味がうっすらとあり、なんだか互いの境界面が薄まったような気がした。
「とりあえず・・・俺の、モンになっと、け・・・・」
「てめぇなあ、俺の誕生日になったら取り返させてもらうからな」
「そんときは、俺をオマエにやるよ、サンジ」
 
 
 名前を久しぶりに呼んだからと。一年の一度のバースデーだからと。
 いつまでも免罪符が有効であるなんて、思っているんじゃねえぞ。
 覚えていろと思いつつも、どうしてもサンジの口元に貼りついた笑みが消せない。
 陳腐なプレゼントだ。男に男が貰われるなんて、実に下らない。
 その下らなさは、しかしとても大切な明日の始まりの合図だ。

 上機嫌のコックに、ゾロは朝から早速に無理難題を降りかけてやる心積もりに気分が爽快になっていた。企む胸のうちは覆いかぶさってくるサンジの首筋の窪みで隠し、ゾロはにやりと笑いをこぼす。ゾロの誕生日の免罪符は無期限・無差別で有効となっていた。

                                                       end    



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