たまには、こんなこともある





水を飲みに足を踏み込んだキッチンで、サンジがへばっていた。
 
珍しいこともあるものだと、ゾロは珍獣を眺める目つきでしげしげとサンジを見下ろした。
僅かに首を傾けてサンジを見やるゾロに気づいていながら、コックは床から起き上がるつもりはさらさらなさそうだ。コックが遠慮なく寝転がる床は、どんなに綺麗に掃除をしていても、埃っぽさはどうにもできない。上着だけは脱いでいるが、黒いボトムは所々が白くなっていた。
 
ついに死んだのか。
 
一応、目だけは開けてゾロを見上げているが、動く気配はない。ごついブーツの先でゾロはサンジの横腹を突付いてみた。

「死んでるか」
「・・・・・・・・・あほ」
「マットじゃなかったのか」
「クソうるせーんだよ、てめえは・・・」
 

無遠慮に乗っているゾロのブーツを気だるく落とし、のろのろとサンジは身体を起こし・・・・
そのまんま、ごろりと寝返りを打ってしまった。
ゾロが喧嘩を売っても無視している。あちらに向いた背が頼りなく映った。
減らず口は叩いているが、どうにも覇気が無い。
これは一生に一度見られるか見られないかの珍事だ。

 

本格的に見物するべく、ゾロは寝転がるサンジの頭の辺りに腰を据えた。 床を乱暴に鳴らすゾロの音に、軽く目は上げたがどうにも動きたくないらしい。投げ出した腕が床に伸びて、指先はざらつく床に伸びている。

ゾロの性格から野次馬根性丸出しでいるのは、分かっているはずだ。いつものサンジであれば黙ってこの状況を受け入れるわけがない。
それなのに、この力なさはいったいどうだ。
ゾロを誘っているのではない。からかっているのでもない。興味本位で腰をすえたゾロであったが、こうなってくると些か事情は違ってくる。わずかばかりの不安を剣士が抱いたとしても、今の料理人の姿は仕方ないほどであった。

「どしたよ?」

頬まで清潔とは言い難い床にくっ付けるサンジの髪をゾロは無骨な手で梳いた。真夏の最中であっても冷たいそれは、指の隙間からさらりと零れ落ちる。
「ん〜・・・・・なんか、だりぃ・・・」
力の無い声をして、軽く深呼吸をする。
呼吸と一緒に埃まで肺に吸い込んでいるんだろうが、日頃から人体に有害な煙を取り込まれてばかりいる器官と臓器は、埃ごときに負けないようだ。
鍛え方の違いを妙なところで実感するゾロである。

常から白いサンジの顔は、本日は一段と白くなっている。血の気を失って、やはり死体と変わらない。一応は動いているから、ゾンビってところだ。
綺麗なゾンビが埃を吸いこむのが嫌で、ゾロは振り払われるのを覚悟で床と頬の間に手を滑らせた。

支えた頬から伝わる、異様に冷たい体温を感知して舌打ちしそうになる。
外は汗ばむほどの陽気だというのに、この体温の低さはヤバイ。
元からゾロよりは体温が低い男だが、女みたいな冷たさはなかった。それが今は、ナミ以上に肌が冷たくなっている。

さらりと滑らかな頬に掌を当てて、ゾロは少しでも体温を分けてやらなければいけない焦りすら覚えた。低体温症を引き起こしても、たかが貧血と変わらない。温めて寝かせておけば、サンジの体力なら速攻で起き上がってこれる。
その回復力やら体力を知らないわけではないし、疑いも持っていない。承知の上で、心配をしてしまうのは人情だ。仲間というのもあるが、それ以上の感情を共有している相手を気遣ってしまうのはゾロの甘さだった。。
ゾロの手を素直に受け入れ、大人しく目を閉じて甘えるサンジなど、滅多にお目にかかれないのも優しくしたい素因でもある。


ゾロはサンジの不調の原因をはっきりと知っていた。
いや、ゾロだけでは無い。この船の全員が、サンジが不調になるのを知っている。分かっていないのは本人だけで、体調が悪い自覚もない男に寝ておけなどと言う人物はひとりもいない。言っても無駄なことなどしたくもない。
ここ半月ほどのサンジは、いつも顔色が悪かった。遠目で見ていると、歩いている最中に時々、奇妙な方角へ体が傾ぎかけていることもある。喫煙量は倍に跳ね上がり、ますます顔色は悪くなっていく。

「寝てねぇだろ」

そしてゾロは正しくサンジの不調の原因を言い当てた。
「あぁ?」
ぼそりと言うゾロに対して、今にも蹴りが飛んできそうな声をサンジは出していた。だが、体を動かすのは億劫だったとみえて、声のリアクション以外は何も返ってこなかった。 ただし、ぎらりと光った青い片目だけが、恐ろしく剣呑で底光している。気力だけは負けたくないらしい。

素直に甘えてきているようだが、やはりサンジはサンジだった。
それでも、ゾロを振り払おうとしないのは、それだけ身体が動きたくても動けないでいるからだ。これで戦闘騒ぎでも起きれば、コックは無理をしてでも表へ走り出し大暴れをする。そして何事も無かった顔で笑っていながら、陰に隠れた途端に蹲ってしまうのだ。

  サンジの顔色が悪くなり、喫煙量が上がるのは、大抵が睡眠不足が原因だ。普段から身体を動かすのを厭わないコックの持久力は、実はゴム船長だけでなく、魔物剣士までもを超えている。
  乗員分の数倍はある食事を一手に引き受けているコックは、僅かな休憩時間以外は、暇さえあればキッチンでなにかしら料理に関する仕事をしている。それがサンジの仕事であり、彼がやりたいことのひとつなのだから、誰も口を挟もうとも思わない。ただ、遣りすぎる帰来はある。
  早朝から深夜まで。コックがいつ眠るのかを知る者はあまりいない。
  こんなに少ない乗員で、狭い船にいながらサンジが眠る姿を見る機会は殆ど無いのは、驚異的なことだ。時折にゾロだけが、サンジの眠る顔を見れる幸運にありつけるようだが、それは上陸したときに限られている。
 サンジに少しでも眠る時間を確保させるべく、ゾロはこのところ一度もサンジを抱いていない。
 身体が欲しくないといえばウソになるが、そこまでゾロは切羽詰ってもいなかった。性欲なんぞひとりで処理できる。見境なくがっつく頃はひとりで放浪している最中に過ぎてしまった。
何より、一度でもサンジを腕にしてしまえば、そこから暴走が止められない自覚もあるだけに、ゾロは滅多にサンジと船上ではセックスをしようとしない。普段は本当にこの二人は好きあっているのかを周囲が疑問に感じるほど、彼らは喧嘩ばかりをしている。
 今のように ゾロがサンジに触れて、サンジが黙って受けいれている光景そのものが充分に珍しかった。
 
 剣士の手は分厚く、お世辞にもスキンシップに適しているとは思えないものだが、穏やかに料理人の冷たい頬を親指で撫で摩っていた。
 瞼を閉じて頬を預けるサンジを静かに見下ろす表情は、温かみがある顔をしている。このまま眠らせてしまおうとする剣士の意図は、料理人には筒抜けだろうが、サンジは嫌がっていない。むしろ、いかにも落ち着いた顔つきで、大人しくされるままでいる。
  しばらくはサンジがゾロが触れるに任せていたために、静かな時間が流れた。

  だが、気分屋のサンジが大人しい状態をいつまでも続けていられるはずがない。不意に瞼がぱっと開き、次には上半身を起き上がらせたコックの片腕が、勢いをつけて剣士の喉下へ叩き付けられた。

「うわっ!!」

  突如の変化に虚を喰らい、ゾロにしては不覚にもサンジの容赦ないラリアットを綺麗に決められた。モロに体重を掛けてくるサンジと攻撃の勢いで、コックが倒れこむのを受け止める形で、後頭部から床へと派手に打ち付けられ、詰まった息をげほげほと咳と一緒に吐いた。

「て・・・・がはっ・・・てめっ・・・げほっ・・・」
「よし」

  苦しさに涙まで滲ませるゾロを真下にして、サンジは満足そうに笑った。
  ちょっと前までくたばっていた男に、どうしていきなり技をかけられないといけないのか。何かサンジの気に障ったことをしたのかもしれないが、あんなに落ち着いた顔をされて不機嫌を悟れるわけがない。それよりもナニよりも、いつもなら即座にゾロを潰しに掛かろうと行動するコックは、どんな考えか、いまだに咳を断続的に続ける剣士の上から退くつもりもないようだ。

 ナニが『よし』なのか。
 サンジだけが分かる理由に、ゾロはようやく声が喉に戻ってくる感覚に口を開こうとしたそのとき

「俺は今から寝ることにしたからな」
  胸元からサンジの偉そうな声が上がってきた。

 脈絡が分からない。
 多くの言葉をマシンガンのように垂れ流すコックだが、その言葉に必要な内容はあまり組み込まれていない。その場を流れて去っていくだけの、下らない台詞ばかりをこの男は製造している。無口なイメージがあるゾロは、上っ面を剥いでも本当に言葉が少ないのだが、必要最低限の言語を発するだけ、サンジよりずっと言葉の意思疎通は容易かった。多くの不必要な言語を駆使して話を巧みにはぐらかすサンジから、彼が隠そうとする言葉を探る努力をゾロは放棄していた。

「てめぇは枕だ」

 ぶっきらぼうに命じて、サンジはゾロの腕をがっしり捕らえて固定する。
  嫌も応もなく。妙に嬉しそうに聞こえる声でもって起き上がろうとするゾロを阻止してしまう。
 どうなっているのかも分からず、ただただゾロがあっけに取られている間に、サンジはその腕の本来の所有者である剣士の戸惑いも眼中にせず、頭が落ち着く場所を即座に見つけた。
「一時間経ったら、起こせよ」
 まだゾロの喉元は苦しさの感覚を残している。しかし、投げ出した右腕の上部に乗せられた頭の感触は嫌いではない。
 首を持ち上げてサンジを見やったゾロは、眠る体勢に納まったコックの姿を視界に納めた。

 埃っぽい床の上で、男が男に腕枕をされて眠っている。
 笑える構図だと思った。こんな偉そうにされて腕を貸してやる道理もないとも思った。
 だが、久しぶりに身近にしたサンジの身体は冷たかった。胸の上に載せられているサンジの腕はゾロに抱きついているようにも感じた。
「やれやれ・・・・」
 ほんとに素直じゃない。相変わらず、ややこしい男だ。
 

 サンジの寝不足は毎度のことだが、今回ばかりはゾロもその原因に一役買っていたらしい。なんてことはない、横柄なばかりのコックであってもたまには人肌が恋しくなるようだ。確かに、半月もサンジを抱かないでいたことはこれまでも何度もあったが、その殆どが食糧事情が思わしくなくなっていたりする頃だ。前の港を出てからそれほど時間が経っていないために、料理人がそれなりに食料配分に気を使っていても、まだ眠れないほど悩む時期でもなかった。
 停泊した島で際限なく肌を合わせてしまえば、それで次まで満足した状態を保っていられるわけでもない。ゾロにしても、時折に飢えた劣情を覚えて、夜中のキッチンでひとりでいるサンジを抱きしめるときもある。ただし、その遣り方は隠し事ができない剣士らしく直情的な遣り方だ。

 一方のサンジは、遣ること成すこと全部が捩れている。優しさをもっているのに、乱暴な態度と言葉に隠してみたり、甘えてみたいのに、今みたいな突然の暴挙に出たりする。喧嘩をやけに売ってくると思ったら、単にスキンシップを求めているだけだったこともあるくらいだ。
 
 サンジはややこしいながら、その捩じれ具合が彼らしい。
 ゾロは眠り始めた男を見つめて小さく笑った。

 もっとも、サンジが素直に甘えてくるような性格であれば、ゾロとしても対処に困っているはずだ。こんな強気で乱暴な行動を取られて、いったい何人が甘えているのだと悟れるのか。
ゾロは深く息をついて、サンジが眠りやすいように身体の向きを変えて金髪の頭を抱き寄せた。
そのときコツコツとロビンの靴音がキッチンに続く階段を上がる音がした。

 サンジを抱き寄せる腕を解きもせずにゾロは、ドアが開かれるのを待った。
「・・・・・何しているの」
 無遠慮にドアを開いた考古学者の視線は、自ずと床で寝転がっている二人の男に注がれた。
 男二人が抱き合っていようが、ロビンは戸惑ったりしない。幼少の頃から賞金を首にぶら下げられ、暗殺を生業として生きてきた女だ。まだこの船に乗ってから日数はそれほど経っていないが、彼女は顔色ひとつ変えず、寝転がる二人を眺めていた。

「寝ちゃったの?」
 それでも、幾分か声を潜めたロビンは、ゾロの腕に半ば隠れているサンジを窺うように覗き込んできた。
「ついさっきな」
「そう・・・」
  抑揚もなく相槌を打つ。
  つい、と片手を伸ばし、そっと頬に掛かる金髪を払ったその顔は、先ほどのゾロと酷似した静かで優しいものだった。何を考えているか判り難いロビンだが、彼女にしてもサンジの不調は意識に引っ掛かるものであったようだ。表情に乏しい女でありながら、明らかな安堵がそこにはある。
「・・・強情な子なんだから・・・・」
「しゃーねぇ、ぶっ倒れてないだけマシだ」
「それもそうね」
  言って立ち上がったロビンは、冷蔵庫から氷を二つ取り出し、ひとつは自分の口に、残りのひとつは枕となっているゾロの口へと放り込んだ。

 「丁度いいから、このまま寝かせておいて。この先に地図にない島があったの」
すごく小さい島だから、何もないかもしれないけど。ルフィが黙ってはいないでしょ。冒険になるに決まっているから、お昼ご飯は遅くしてって言いにきただけよ。

  言いながらガリガリ氷を噛み砕き、ロビンは随分と母性的な笑いを浮かべて、もう一度だけサンジを見遣るとそのままキッチンを後にした。
  弁当をルフィに持たせてしまえば、確実に夜になるまで戻ってこない。それを見越して、最近は冒険に出たルフィを確実に捕獲するために、昼食は必ず船に戻って食べさせるようになっている。
 
  ロビンが開いたドアの向こうは眩しい光が溢れていた。甲板では騒々しい船長と狙撃手と船医の声がする。すぐに静かになったのは、ナミが得意の鉄槌を彼らに下したためだろう。
  ゾロは氷を舐めて溶かし、重みを増したサンジの頭がずり落ちないよう固定した。その動きが眠りにあるサンジの意識に触れたのか、胸元にある腕の力が少しだけ篭められ、脱力する。
  さらりとする金色の髪を指で梳くと、ますます預けられる重さは大きくなる。それをゾロは単純に愛しいと感じて、低く笑いを忍ばせた。


  ま・・・・・たまにはな。サンジだって、甘えてみてもいいだろ。










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