夕食の後片付けを終えたキッチンで、サンジは全身を耳にしていた。
 タバコの味はもはや分からないほど舌に馴染んでしまっている。それでも何かしていないと落ち着かないとばかりに、惰性で煙を吸い込んでは吐き出していた。
 食事が終わった直後に新しくしたタバコはそろそろ一箱が尽きる様子だ。
 残すところ後6本。これを吸い尽くしたら、今日はもう終わりにしておかないとストックが危なくなってくる。思っていても早い速度で紫煙を吐き出すリズムは乱れなかった。いらいらとして床を踵で小刻みに鳴らし、指がテーブルをこつこつ叩く。
 あと二本で打ち止めとなりそうな時間に、ようやくゾロがキッチンに偉そうな態度でやってきた。
 


 眉間の皺の深さで、確実に実年齢より10歳は上に見られる顔つきで。全身から発せられる空気は仲間内であっても剣呑この上ない。仏頂面も健在なところに、険悪な目つきが加われば、ウソップでなくてもそれなりの形で警戒もしたくなる。サンジとて例外でなく、横柄が服を着ているゾロの態度と口調、その他もろもろに刺激を受けたクチだった。
 警戒すると即座に退避の構えにはいるウソップとは違い、サンジはとりあえず喧嘩を売ってみる厄介な男だ。もう少しマシな詮索の仕方もあるだろうが、育ちが育ちだけに、ある意味これは正しい成長の成れの果てであるのかもしれない。
 だから迷いもせず、相手の力量を推し量るためにもサンジはゾロに喧嘩を売った。ルフィの底力は見ていたし、ウソップに関しては失礼にも眼中にもない。ただゾロだけは、いまひとつ分からないところがあるだけに、警戒心は反発となって表現されるようになったのだ。
 もっとも喧嘩をしてみると、これほど楽しい相手もいないのも確かで。すっかり警戒なんぞ必要がなくなった現在も、サンジの喧嘩はもっぱらゾロ専門に売られるようになっていた。そして、その喧嘩をことごとくゾロは買って買って、買いまくる。まさに独占市場の様相を呈している。それも実に下らない内容が圧倒的に多い。
たとえば港から町までの買出しをするのにゾロとサンジが同行したとする。
身長は明らかにゾロのほうが高いが、ならば脚の長さはどうか。コンパスはお前の方が短いに決まっているとサンジが言えば、ゾロはそりゃテメェの方だろうと言い返す。かくして、ものすごい勢いで、船着場から町まで並んで歩くバカ二人の姿があったりするわけだ。

酒瓶を片手で何本持てるとか。逆立ちして船の中を何周できるとか。息を何秒間止めていられるかとか・・・。

上げへつらえばキリが無いほどあほらしい勝負が繰り返されていた。唯一、安心できるとすれば、これらのバカ勝負の殆どが、他の乗員が居ないときに限って頻発することぐらいだ。
いつもは冷静な皮を被っているゾロは、ジェットエンジン型の瞬発直情タイプだった。些細なことでも負けるのが大嫌いのガキ大将だ。対して、サンジは日頃の姿を裏切らぬ、ロケット噴射式にキレやすい。こちらも負けを認めるのは死んでも納得できない意地っ張りだ。

そんなこんなで、小さな勝負は喧嘩とはまた違った形で、そここで勃発していた。
そのうちに相手が本当は見かけや日頃の虚勢を退ければ、とんでもなく幼い部分があると知れるのにさほどの時間は要しなかった。
窒息しそうな真っ赤な顔で、早く諦めろと目が合ったと同時に盛大に噴出したのは、つい先日だ。それから僅かずつ、年下の仲間たちには見せられない姿を晒せるようになってきた。
19歳と言っても、まだその精神は完全ではない。それでも世界はそれを彼らに許してはくれなかった。また、そんな中でしか生きる場所がなかった二人でもある。存外に隠しているものは、まだ子供な部分も多くあり、それを見せられる相手ができたことは二人の間を親しくしていった。
肩の力を抜ける、気の置けない存在は、張り詰めてばかりの彼らには必要なものであった。
そして、サンジは知ってしまった。
大人びたゾロの外見に自分は騙されていた。親父臭い服装と生活スタイルに隠れて分からなかったが、ゾロは見かけよりも遥かに子供の部分があったのだ。本人はまったく分かってない様子だが、密かにゾロのほうが絶対に自分よりも幼い。
よくよく見ていれば、かっぱり大口を開いて無防備に眠っている姿は、まさに子供のあどけない寝顔そのものだ。人が多いところでばかり寝こけているのも、周りに誰かいないと寂しいと泣いている子と同じだ。さらに観察してみると、仏頂面は仏頂面でなかったことだ。これには驚いた。
僅かだが、ゾロはちゃんと表情筋を使って感情表現をしている。怒るか、皮肉な笑いばかりの男だと思ってたが、機嫌がよければサンジと目が合っても、在るか無いかの笑いを微かに目元に漂わせる。誰かが、そんなときにバカをやれば大爆笑したりする。和道一文字を静かに見つめて、ひどく懐かしそうな顔もする。そして何より、時折に甘えた顔すらしてみせるのだ。

それが甘えだと分かったのは、寝倒すゾロをいつもの如く蹴り起こしてやろうとしたときだ。なにしろゾロの寝起きはとてつもなく悪いので、手を使ってやろうとは一度もサンジは思わない。これまでにも、寝ぼけ半分・マジ切れ半分で何度か抜刀されている立場からすれば、いつでも臨戦の構えに入るために蹴るのは必然となっていた。
ゾロの腹を小突き、食べるのかを尋ねたサンジに、珍しく大欠伸だけが返ってきた。これで応じなければ放って置こう。そう決めている料理人に、剣豪は邪気の欠片もない目線を寄越す。
『わりぃ・・・後で食べるから残しておいてくれ・・・・・・・・・』
 なんでどうして、そんなに眠いのか分からないのだが。
 寝起きの子供と同じ仕草で目元を大きな手で擦り、少しばかり舌足らずに訴えられてしまった。これがサンジのツボを突いた。嵩に来た態度とか、命令口調であったとか。そんな可愛げないゾロであれば、フザケルなの一言で取っ組み合いに発展できた。
 だが、現実は無駄にデカイ図体の男が。凶悪ツラが売り物の元海賊狩が。常からサンジ以上に人をバカにした態度でいるゾロが。
 ころりとサンジの足元に寝返りを打ち、料理人の脚に額を寄せた猫みたいな体勢で眠りに戻っていったのだ。そこに当たった相手が誰であるかくらいの判別は寝惚けていても分かるはずなのに、あえてゾロは寝場所を移動もさせず、ひっつくみたいにしている。
 あどけないと称するに相応しいゾロの寝顔と姿に、度肝を抜かれたのはサンジだ。
 思わずへなへなと崩れたところに、丁度いいとばかりにゾロの頭が乗っかってきた。あれよと思う間もなく、サンジはゾロの枕にされていた。
 頭の中では、そりゃもう罵詈雑言が千と渦巻いた。

 叩きオロスぞクソ野郎。トチ狂ってんじゃねえよ、マリモはげ。気色わりぃんだよっ!俺がてめぇにどうして枕なんだ。カビはカビらしく船底にでもへばりついていやがれ・・・等々。

 ちゃんとあったはずなのに、サンジの片手はゾロの頭がずり落ちないようサポートまでしてやっていた。いくら罵声を浴びせようと思っても、気力は根こそぎ萎えていて、心境としてはやけくそに近いものもあったかもしれない。
 年端もいかぬころから荒くれに囲まれて育ったサンジだが、少年のサンジに彼らが向けるまなざしは、父親のそれと変らないものがあった。あのゼフですら、生意気な小僧であるチビに深い愛情を悟らせる表情をしていたこともある。漠然とであるが、サンジはそれらの感情だけは跳ね返してはならないと思っていた。海賊上がりの男たちやならず者の彼らには、人には言えない大切なものが居るのだと。それを彼らは一応にサンジに見ているのだと。普段はどんなに生意気で、反発してばかりのガキであっても、彼らのこの感情だけは傷つけまい。そう決意させられた。
 それらの決意は、成長して周りと軋轢を起こしていても絶えず古参とサンジの間には存在し続けたものだった。
 だから思ったのだ。
 どんなに魔獣と恐れられている男だろうが、仲間であるゾロが無防備にできるところが、ひとつくらいあってもいいだろう。その場所が、サンジの近くにしかないのなら、これだけは受け止めてやるべきだ。サンジとて同じ年のゾロのすべてを受けてやるなどできないが、不得手な物事ではない。飢餓の経験は、その後サンジの生き様に大きな影響を与えている。餓えとは違っていても、人の痛みを鋭く察知してしまえば、それを突っぱねることはできない。どんな形であろうと、自分が持つもので軽減できるのであれば、迷わずにサンジはそれを差し出せた。差し出さずにはいられない自分もいた。
ゾロの食事は後で別に作ることに決めたサンジが、他の乗員たちのための支度に取り掛かるぎりぎりの時間まで、結局、コックは安眠枕に甘んじてやったのだった。  


「俺の飯は?」  まだ寝たり無いのか、寝すぎてさらに眠気がアップしているのか。欠伸と言葉を一緒に紡ぎだす。警戒心なんてさらさらないゾロは、サンジの年不相応な保護欲を強く刺激していた。しかも、本人に自覚なく、ゾロはこの手の懐き方はサンジにのみ発揮している。方向音痴のゾロが無事に生き延びてこれた理由がうかがい知れるというものだ。自身を受け止めてくれる人物をゾロは本能で嗅ぎ分けている。すでに野生動物のレベルに達している。
 そして、サンジは懐いたものに対して躾は厳しいながらも、絶対に手放したりできないタイプだった。ずるずる椅子に座って、テーブルに顎を乗せるゾロの頭を退けろと掌で押しやりながら、その片手には小鉢がいくつも乗ったトレイがある。
「ちゃんと手は洗ったのか」
「なんで」
「飯の前には手は洗うモンだ!」
 牙を剥くサンジの勢いにあっさり負けて蛇口に向かうゾロは、食べ物を前にしてかなり未練がましい。しょんぼりと項垂れた犬みたいにも見えてしまえば、過保護な性分はむくむくと沸き起こる。
「んな顔すんじゃねえよ、ほら、クチ開けろ」
「んあ・・・?」
 バカ正直にゾロがクチを開いたところに、鍋から摘み上げた鶏肉を一切れ放り込んでやる。
「味見だ。旨いか?」
「ん・・・・旨い」
 こっくりと素直に述べるゾロはやはり幼い顔をしていた。そうなると所詮、甘えてくる対象物に弱いサンジも、反射的にさらに付け入られるような笑いを浮かべてしまう。

 どうしようもないわな・・・・。
思いつつも、魔獣と恐れられる男の可愛らしさに、どっぷり嵌りこんでしまったコックと。
 なんだ・・・こんなツラもできたのか。
 凶暴が売りの男の穏やかすぎる笑いに気持ちが和む剣士だった。

 その後、この一度の餌付けが仇となり、毎晩のようにゾロの口に『味見』と称する一切れを放り込むサンジという、世にも不可思議な光景がこっそりと繰り広げられるようになった。それがどんな関係に発展していくのか。その秒読みは始まったばかりなのだった。


                                                        END







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