望んでも望んでも、決して適えられないから。
憎まれることにした。 どれほどに思っても、悟られてはならないことだから。 いつまでも憎悪されることにした。 このところ、ゾロの殺気は確実に俺へ集中している。 『仲間』なんて、カテゴリーのせいでヤツは迂闊に俺へと刃先を向けられない。その悔しさやもどかしさは、戦闘になるとよく分る。 ルフィの延びる腕や脚に巻き添えを食わないよう、俺もアイツも自分の持ち場を守っているが。 ちらと見遣った視線の先には、忌々しい顔つきのゾロがいる。 薄い色をした瞳の鋭さは、半端じゃない。 今にも辺りの敵を薙ぎ払い、俺へと突き進みたそうな面構えで。瞬間合わさった視線が、これ以上に篭められない殺気を帯びている。 浴びせられる殺伐とした波動に、俺は口元が緩むのが止められない。 それを目敏く見つけたゾロの顔は、ますます険しさを増していく。 可哀想にね、ゾロ。 俺なんかに気に入られたばっかりに、そんなにも苛立っている。 溜まりに溜まった俺への積年のうらみは、もう完全な殺意にまで増長している。 切り殺してしまいたいだろう。 戦闘のドサクサに紛れて。 深夜の船で。 人気のない夜道で。 お前はいつだって、俺を殺せるチャンスはあったのにね。 どれもが、たった一つの陳腐な単語に歯止めをかけられる。 最後の敵を蹴り倒し振り向いた俺の目に、ゾロの至極、残念そうな表情が飛び込む。 自分ができなければ、せめて他人に殺して欲しかった。あからさまに顔に出す。 なんて正直な男だ。大剣豪になっていながら、お前は取り繕うこともしない。 お前が寄越す憎悪という感情。 どんなに俺にとっては慰めになるかなんて、知りはしない。 憎しみの感情が、どれほどに根深いか知っている。 だから俺はお前に憎まれたい。 お前の嫌悪感が募るほどに、俺は深くふかく安堵する。 睨み付ける男に、平然と笑ってやれば、さも嫌そうに鼻梁に皺まで寄せてみせる。 それすら、俺にとっちゃ媚態に過ぎない。不埒な考えを抱く俺をお前は知らない。 俺が船を降りれば、それでお前は楽になれた。 お前が船を降りてしまえば、こんな思いはしないで済んだ。 ルフィが海賊王になり、お前が大剣豪になった話を知らないやつはもういない。 引きも切らない海賊狩りや賞金稼ぎ。海軍将校クラスの連中は、目立つルフィとゾロを格好の的にして、大挙して押し寄せる。 どの敵も、お前らにとっちゃあ不足のない戦闘能力を持っていた。 鍛錬なんてしなくても、そいつらを相手にしてりゃ、嫌でも腕前は上がっていくなんてことに、気付かなきゃよかったのにな。 でかいガレオン船に、累々と死体と重傷者が転がる中。 ルフィは意気揚々と船へと引き上げる。 後に続くゾロは、背中だけで俺に近づくなと威嚇を放ち、GM号へと戻っていく。 血の匂いが濃厚な甲板で、遠くなっていく男の背をただ見つめる。 剣士の誇りだと断言した通りに、ゾロの背中はいまも綺麗だ。 傷ひとつとしてない、滑らかで張りのある背はいつでも真っ直ぐに伸びている。 俺がいま、いきなりお前を抱き締めたら。お前は俺を叩き切ってくれるんだろうか。 無理矢理に口付けたら、俺を殺してくれるか? 俺とゾロの恒例だった喧嘩は、随分としていない。正確には、アイツがミホークを倒す少し前から、ゾロは俺の何もかもが煩わしくなっていき、最低限度の接触すら避けようとしていた。 三度の食事にしても、GM号に新しくコックが加わらなければ摂らなかっただろうと思う。 食べる心配もなくなり、仲間たちに不審がられることもなくなってから、ようやくにゾロはその敵意をむき出しにできるようになった。 ゾロから仲間だと認識されている俺が嫌悪されるまでに、そんなに長い時間が掛かってしまった。もっと早くに、憎まれると思っていたのに、お前は存外にも優しすぎた。 無防備に眠るお前に口付けたいと。何度、思ったか分らない。半裸で鍛錬をするゾロを押し倒し、思うさまに貪りたいと願ったことか。 お前が不寝番の度に、俺が見張り台を見上げていた本当の理由なんて知りはしない。 お前をからかうために見ていたんじゃない。 ふとした何気ない仕草や目線の動きに、俺は数えられないほど欲情した。 もう何年も、何年も。 俺はゾロを焦がれている。 抱きたいのか。抱かれたいのか自分でも分らないが、お前に知れてしまうには危険すぎる考えばかりが頭をいっぱいに支配する。 「サンジ、早くしろーーっ!!」 船から聞こえるルフィのデカイ声に、片手を上げて応じてやる。 「・・・・・・・・ツっ・・・」 途端に、激痛が抉られた脇腹から全身に広がり声が漏れる。 噛み締めているタバコの味も、分らない。 無様に倒れたりなんかしないように、俺は船へと戻っていく。 GM号からは、あれから数時間が経過しても血の匂いが消えていない。 いや、止まらない出血の所為で俺の鼻が馬鹿になっているのか。 「どーしてアンタって、そんなわけ?!無茶するのもいい加減にして!」 キッチンに直に寝転がされた俺の頭の上で、ナミさんは恐ろしい剣幕で怒鳴りつけてくださる。 床には、ぶちまけた料理や皿の欠片が散らばって。 食い物とガラスが混ざったアレは、さすがにルフィだろうが食わせられない。 それほど酷くないとばかり思い込んで、適当に傷口は縛っておいた。どうやらソレが拙かった。 なんだか料理をしているときから、おかしな具合だとは感じていたんだが。まさか、倒れるとは予定もしてなかった。小腹が空いたと訴えるチョッパーのために作った食事は、間抜けな俺の失態で全部がぱあだ。ナミさんのために淹れた紅茶も、床にカップと一緒に飛び散っている。 ジジイに知れたら、即座に海にぶち込まれているところだぜ。 間抜けなことをつらつら思う。 ナミさんに知られたら、また怒られるんだろうか。 「そんな怪我していて、なんで動き回ったりするの!」 いや、大した傷じゃあなかったんですよ。ちょっと血が止まらなかっただけです。 言おうとしたんだが、なんでか喉から出るのはヘンに擦れた空気の音ばっかりで。ちょっとでも頭を動かしたら、世界がでんぐり返って気持ち悪かった。コレが噂の貧血か。 目を開けていたら、天井がぐるぐる回る。頭がおかしくなりそうで、ついでに焦点を合わすのも難しい。これまで意識したこともない船の揺れ具合に、今にも吐きそうだ。 キッチンの明かりまでが網膜に痛い。頭の後ろに真っ黒なトンネルがあるみたいで、そっちに行くほうが身体がラクに感じた。 「サンジッ、サンジ!!寝たらだめだ!起きろ!!」 トナカイ!俺は寝てるんじゃねえっ!医者のくせにそのくらいの区別もつかねえのか! 「サンジくん!寝たら罰金、一億ベリー払ってもらうわよ!!起きて!」 麗しいナミさんの仰ることは、是が非でも適えたいところなんですが。 なんだか、勝手に目だけが閉じてきちゃうんですよ。 「サンジくん!」 少し気が緩んだら、いつの間にか目を閉じていたらしい。 きつく、鋭いナミさんの声が震えて上擦る。掠れた高音域にあるのは、紛れもない不安だ。 打ち付ける声の強さよりも、悲鳴みたいな音に、ぼんやり意識が引き戻される。 ちかちかする視界に、泣きじゃくっているナミさんと。今にも泣き出しそうなチョッパー。 覗き込む二人の肩越しには、新入りのコックに呼ばれてやってきたらしいゾロが、のっそりとドアを開いて入ってくるところだった。 睨み付ける目つきでもって。不機嫌丸出しのあの顔は、いつも俺に向けられていたもんだ。 そうだよなあ。いい加減に疲れているところに、この騒ぎだ。ソコへ来て、俺が元凶ときたら腹も立つよな。 「いったい、何の騒ぎだ」 ぼそりとした声に、はじめて二人はゾロがキッチンへ入ってきたのを知った。 弾かれたように振り向いたナミさんは、ゾロに手早く説明する。 俺が昼の戦闘中に怪我をしたのだとか、なんとか。 わざわざ言ってくれているんだろう。 ちらり、流れた鋭い目線が底冷えする色を湛えていた。 明らかな非難に、俺はゾロには絶対に悪かったなんて言ってやらない。 気が狂うほどコイツを思ってきた俺が、どのツラ下げて詫びを入れるってんだ。どんな台詞だって、コイツには安っぽくしか聞こえない。そんな口ばかりの言葉なんて、欲しいわけじゃない。 今度こそ、俺が居なくなってくれはしまいか。 期待したくなるよな。 なにしろ、この海域には島がない。どこを探しても海ばっかりで、数週間は陸地は見えない。 輸血をしなくちゃとか、なんとか、チョッパーが錯乱しているが・・・・。 医者だろーがトナカイ、忘れたか。お前、ドラムで言ってたじゃねえの。 血液型がマイナスだとか、なんだとか。さっぱり分らなかったが、俺の血は誰にも分けて遣れない。そうだったよな。 だから、輸血なんて出来るわけねえじゃん。 大量の出血だけはするんじゃない。チョッパーは口煩く言い聞かせてくれていたのにね。ま、海賊なんて稼業だと、そんな悠長なことも言ってられねえ。 そうだよな。 同意を求めて縋った先では、ゾロの興味深々の顔つきだけがある。 俺が死ぬのを知りたい。 それしかない。 俺だって、どうなるのかを知りたいさ。 その前に、納まらないこの吐き気と寒さは、どうにかならないのか。 こんなに近くにいるのに、まるで遠くに居る人みたいにして、声を限りに叫ぶナミさんとチョッパーに薄く笑って、大丈夫だとだけ言ってやりたいんだが。 だんだんと二人の声もゾロの顔も遠くになる。 抜けていく力に逆らう気力がなくなっていく。 希薄になる意識に妙に鮮やかに浮かぶのは、どうか俺を憎んでいてくれと。 そんな勝手な望みしかない。 愛情よりも、もっともっと強く思っていてほしい。 俺にまつわる何もかもを、愛する以上の激しさでもって思い出してくれ。 絶対に言えない思いだから、俺はお前にそれだけを願っている。 間延びするナミさんの声、チョッパーの声。 遠くかすかになり始める全部を置いて、俺は焦点が合わさらなくなっていく。 どうやっても保っていられない意識が落ちていく端で、なんだかゾロが呼んでいるみたいに思ったが、きっと錯覚だったよな。 都合のいい、俺の頭の中は真っ暗になりながら、久しぶりにゾロに名前を呼ばれたんだと。そんな幻聴に浸されて、遠く消えていく。 いつまでも、俺に憎しみだけをくれ・・・・・・・ 他には何も要らないから。 頼むから俺を永遠に、憎んだままでいてくれよ。 |
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