Conscious conscious







「サンジーッ!腹へったぁーーーっ!!」
 キッチンから足を踏み出すと同時に、ルフィの雄叫びが船首から船尾まで突き抜けていった。
「うっせーっ!!あと10分待て!」
 首を長く伸ばして振り向く船長に、料理人は青筋を額に立てて怒鳴り返してやる。
毎回、ルフィの第一声は決まっている。この時間帯に応じるサンジの答えも、このところは判で押したようにきっちり同じであるのだが、一日に一度、二度三度・・・・。
 とにかく叫ばないとルフィの気が治まらない。付き合うのもいい加減、慣れてくる。
 まだ、ぎゃあぎゃあと文句を垂れるルフィに苦笑が洩れた。懐から取り出したタバコを口元に運ぶ瞬間に感じた視線に、手馴れた動きをとるサンジの口元は、曖昧な笑いの形に引き上げられていた。海風に消されぬように両手を添えて、タバコの先端に火を点ける動作の最中であっても、コックの注意はあらぬ方角へ向けられていく。
 こちらを伺うようなゾロの視線が、肩甲骨の辺りに集まっていた。
 やんわりと伺うような感触には鋭さの欠片もない。そろりと背筋を撫で上げていく気配は穏やかで柔らかかった。気づかれていないとでも思っているのか、この男にしてはやけに無用心な視線だ。だが分かっていても敢えてそちらを向いてはやらない。少しでもサンジが気づいているのを勘付かせれば、途端に剣士の眼差しは外されてしまうのが惜しくて、絶対にサンジはゾロを振り向かない。


 ゾロの注意を引き寄せるのは正直、楽しい。
 自覚もせずに、絞り込まれた照準はサンジの背中を捕らえて離さない。
 

 視線に温度があれば。物理的な力があれば。
ゆるゆると広がる熱にとっくの昔に呑まれている。背中から胸を貫く穴がぽっかりと開いてしまっているだろう。
 
 下らないながらも密かな自分の考えに、サンジの口元に刻まれた笑いは一層に深くなった。タイミングを見計らったようにして、今度はルフィに代わってナミの声がかかる。
 僅かな甘えを含んで、喉が渇いたと言う彼女は可愛らしかった。
「ご希望はありますか、レディ?」
 わざとゾロには向かないよう気をつけて、サンジはにこりと違う笑いを漂わせた。



 早朝から昼下がりまでキッチンに詰めていたサンジの一日の中で、この僅かな時間帯だけが小休止となる。
 人知を超える船長の食欲もさることながら、彼の旺盛を通り越した型破りな食いっぷりに引き込まれて、乗員たちは揃いも揃って健啖家ばかりだった。料理を作る側としては、皿に盛った食事がパンの欠片ひとつ、肉の一切れまでもが綺麗さっぱりなくなっている状態は非常に嬉しい。これが海上でなければ、これほど料理人を幸せにしてくれる連中はいないと心底から思える。だが現実は、積み込んだ食料の配分を常に意識に置き続けなければならない。いかに限りのある食材で、化け物染みた彼らの胃袋を満たしてやるか。サンジは毎食、頭を悩ませていた。
 底なしの胃袋を持つ連中を満足させ、尚且つ食料を一日でも長く持たせる。
 必然的に課せられた課題もあって、サンジは一日のすべてをキッチンで過ごさなければならなかった。その結果として、働きづめになるサンジが一息つけるのは、一日のうちでも15分もあれば良いほうだ。

 料理人の姿を視野に捉えるや否や、パブロフの犬よろしく肉を連発する船長。
 サンジの顔を見れば即座に用事を言い渡す航海士のおかげで、僅かな15分の休憩は無いに等しい。
 もっとも彼らにしてみれば、キッチンに篭ってばかりのサンジと日常的に触れ合える唯一の時間は、この小休止しかない。この時間を逃してしまえば、サンジはすっかりと料理人の顔になってしまい、軽口を叩きながら営業用の笑いを浮かべてばかりとなる。素の男になっている時間はあまりに短い。
仕方ない事柄であっても、存外に年上に甘えたいルフィとナミは、サンジの短すぎる小休止に必ずどちからが彼に声をかけてくる。自覚もない甘えは、常に奇妙な我侭めいた行動となり、サンジはそんな感情が嫌いではない。むしろ年齢に不相応な働きをする彼らを懐かせてやりたかった。
 反対にウソップとチョッパーは、働きすぎる男を労わる事を知っている。彼らの方がよほどに友人の扱いには長けていた。
 立ち仕事ばかりの料理人に声を掛け、自分の傍で会話を交わしながらさりげなくその場に座らせてやることができる。法螺話やら仲間達の体調を話に混ぜ込み、今日の夕食のメニューの参考になるような情報を与えられる。
 ルフィに纏いつかれながらナミの用事を片付けて、ウソップとチョッパーと短い言葉のやり取りをするサンジをゾロは遠くから見ている。
 明るい日差しの下では一度としてゾロを振り向こうとしないサンジの背中に、その視線はじっと注がれている。

 少しの間、眠りから醒めたゾロは薄く開いた瞼の影で、サンジの背ばかりを見つめ続ける。料理人が果たしてそれを知っているのかどうかを判別するのは難しい。サンジは表情に内情を表しているようで、深くでは何を考えているのかとらえどころがない部分がある。たかが9歳の子供のときから10年間もの間、周囲の大人たちを欺いてこれた筋金入りの強情な男の心中など、不器用が服を着て歩いているゾロに図れるはずが無かった。
  ましてや料理に携わっているときのサンジは、夜の気配を微塵も残していない。白日の下で剣士に向き直るときは、たいていがゾロが何かしらのミスをした場合だけしかない。 
何を考えているのか悟らせず、背中だけを晒してゾロには顔を向けない料理人は、まったく二人きりでいるときとは別人だった。用がなければ、ちらりともこちらを見ない男の背中をゾロは丹念に視線で撫でていく。
 無視されている感覚は無かった。欠片の甘さもゾロには見せない男だったが、着痩せする後姿は実に雄弁であった。黒いスーツに包まれた背中は、無防備にゾロに晒されている。他の誰でもないゾロにだけ、緊張が取れた背中が向けられる。
 サンジが『料理人』でいる限りは、それで充分だった

 ナミに所望された飲み物を仰々しく供したサンジは、しつこいルフィの攻撃に根負けしたような風情で、再びキッチンへと戻った。短すぎる休憩は、タバコ一本分の時間しかなかったが、サンジは不満には思っていないのが動きの機敏さで察知できる。
 とりあえずは何か口に入りそうなものを作ってやるしかないとばかりに、大儀そうに、だが妙なやる気を垣間見せてタラップを上がっていく。身軽に段を上がり、サンジはドアを開く直前に抑えきれない笑い声を満足そうに発した。
 ゾロの視線は、まだ着いてくる。
 二人きりの時間が来れば、その眼差しを真っ向から受け止めもしてやる。だがそれは、乗員たちの仲間として動いているいまではない。いまのサンジは乗員すべての共有物だ。
 真っ直ぐに貫く瞳を受け止めるには、あまりに雑事が多すぎる。瞳の奥底まで見通せそうな澄んだ色に魅入るには、やらなければならない事柄がひしめきすぎている。 
 ゾロが寄越すその眼差しは、体の芯に常に熱を注ぎ、大きな存在の穴を穿っている。そんな大事なものを容易くは見せてやりたくない。
 誰もが寝静まる深夜に、料理から開放されてひとりの男に戻るまで、サンジはゾロには背中ばかりを見せ続け、ゾロの視線はサンジを取り囲む。


  例えば・・・・・。
  その視線に温度があったら、どれほどの熱さを保持しているのだろう。
  一直線に貫く光のように、この胸までもを貫き通していくのだろうか。

 元には戻らぬ傷口の痛みの上に、サンジはそっと手を当てた。


                                                          END




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