サンジがよろよろ甲板を斜めに歩いてきたときから、嫌な感じはしていた。
頼むから、こっちを見るな。 見えない空のお星様にまでお願いしたが、そんな遠くまで願いが到達するより早く、険悪に隈を浮かせたコックの顔が、ぴたりと狙撃手をロックオンする。 内心で、青ざめるよりげんなりして。 ウソップは態度に出さずに天を振り仰ぐ。 なんてこった。また、おれかい!! 今回はチョッパーに泣きついてくれるとばかり思っていたのに、どうして連続してコッチにくるかな馬鹿野郎。 思いつつも、コレでこの騒ぎが終了するならたやすいことだ。 気のいい自称船長は、重い気持ちと手をよっこらしょと持ち上げて、近づくコックに挨拶した。 ここ数日。 GM号の野獣2匹の機嫌はすこぶる悪い。特に、現在のサンジは食料庫が底を尽きかけているストレスで、普段の20倍はデリケートになっていた。 おかげで、寄ると触ると喧嘩するのはいつものことだが、真夜中、キッチン、風呂場、夜明け前に見張り台の上と。 所かまわず時間を厭わず。 なにがきっかけなのか疑問に思うくらいなネタでもって、二人はぐるぐる唸りあい、取っ組み合う。それこそ、仲間たちに被害が及ばないのが不思議なほどに、ゾロは大事な三つのおもちゃを振りかざし。サンジは癖の悪い足を振り上げる。 原因かなんて知らないが。とりあえずは、発端はどちらかが言い出したちっぽけな言葉なんだろう。 睦言なのか、酒の席での二人の会話なのか詮索するのもアホらしい。 アホらしいが放置もしておけない。 見かけの粗雑・乱暴・凶悪からは考えられないことだが、二人そろって存外にナイーブな精神構造をしているから始末に悪い。 先だっては、サンジがゾロに自分が世話になったおっさん海賊の話をした。 たったそれだけだったのに、ゾロはサンジが傾けているゼフへの信頼に嫉妬した模様で、荒れた男の機嫌の悪さは当然敏感なコックへ伝わった。挙句、喧嘩台詞の文句には、ジジコン、ファザコン、ロリコン、フェチ野郎と。低俗極まりない罵声が飛び交った。 おかげで純真に育っていたチョッパーは、あっという間に耳年増になっていく。 今回はいったいなんだろう。 とりあえず、現在の喧嘩が以前よりマシなのは、例のアホらしい罵倒がないことくらいだ。それ以外は、むしろ船がところどころで破壊されいてる被害が大きく、これなら口争いの方が良かったのか。いやいや、アレはアレで精神衛生に良くなかったなどと。二者択一の難しさに周囲を悩ませている。 そんな最中、サンジがついにウソップに泣きついた。 最年長者の男たちは、癒し系のチョッパーとウソップに痴話喧嘩のつど癒されにやってくる。別称、懐くという行為だが、本人たちには自覚はない。 話を聞いてくれる。アドバイスもしてくれる。 親身になってくれる相手を本能的に嗅ぎ当てる彼らは、愛すべきも手がかかる馬鹿野郎たちだった。 案の定、サンジはウソップにずいずい近寄るだけ近寄って、逃げられない甲板の隅まで追い詰めた。奇妙な迫力で懐くサンジに恐れをなしたウソップは、倉庫の壁を背中にぴたりと貼り付けながら、果敢にもコックを迎え撃つ。そうして、ようやく相手の動きを封じたコックといえば、まじまじウソップを覗き込んでくる。近くなるサンジの瞳は、とてつもなく蒼く深い。 こんなんで、ホントに見えているのかよ。 いつもいつも、この瞳を前にすると思う疑問は、もはや条件反射の逃げ思考だ。 なにせ、直後にはセクハラもどきのサンジの攻撃がやってくる。 「なあなあウソップ・・・・なあ、聞いてくれよぉ」 両手を壁に貼り付けて、ウソップを囲い込むようにしている男は懇願する。 なんだ、と顔を向ければ。 もう限界寸前のサンジのアップがそこにある。 元が白すぎるほど肌の色がないだけに、寝不足と堆積した疲労で青褪めた顔が、とても危なくみえる。 今回の喧嘩ではサンジがダメージを多く与えられているらしい。 まあ、どの争いでも。 存外にぐるぐる巻いた眉とおなじく思考を迷走させるのが得意の男なので、音を上げるのはゾロより早い。それにしても、この顔色の悪さはどうしたものか。 こりゃ、それほど長く相手をしないでもめでたく昇天しそうだ。 あたりをつけてしまえば、ウソップも少しばかり気軽に呼吸ができる。 なので、 「なんだよ、いったい」 言って、本人には自覚はないぐらぐら揺れる背中に手を当てる。そのまんま、子供相手と同じ要領で、サンジを軽く引き寄せてやれば。 「おれはアイツにゃ、着いて行けねえよ」 燻っていた弱音がらしくなくもコックの口から漏れてくる。 こんなもんだ。 誰だって、ひとつやふたつ。 互いの夢の大きさに、ついていけずに焦ってしまうこともある。その場に置いてきぼりにされているのは自分ばかりと、焦って前を見るのも嫌になるもんだ。 「そうかヨ、そりゃゾロも気の毒なこった。お前くらいしか、あんな男の子守は無理だろ」 「分かってる。けど、よ・・・。おれの必死の決意を知ってるくせに、何て言ったと思うよ」 そんなこと知るかい。 っつーか、知りたいワケねーだろ。 てめぇらの仲良しこよしな喧嘩なんざ、どうせその程度のレベルの低さだ。 とてつもなく冷静にウソップは思ったが、振り捨てるわけにも行かない。 なにせ、このコックとあっちの剣豪は、自分の胃袋を満たし、なおかつ戦闘ではけっこう使える連中だ。自己中心な考えだろうが、どうせ人のことなんて眼中に入ってないサンジとゾロだ。こっちが利己的になって何が悪い。 ちら、と甲板を見渡せば。 あっちじゃチョッパーがゾロの枕にされている。 道理でサンジがこっちにきたわけだ。なんてことない、おれたち二人はこいつらの精神カウンセラーになっている。 「ウソップー、聞いてるかよっ!」 「あー、はいはい。聞いてる。聞いてますってば」 「おまえ、冷たいぞ。冷たくしたら、お前の今後の飯は全部きのこフルコースだからな。分かってるだろーな」 わがままな男はこうやって、自分の思い通りにするために食卓をも人質にする。 これが“食べたいやつには食べさせてやる”コックのやることか。 反論の余地は満載だったが、反論すればサンジが拗ねる。拗ねると自分だけでなく、食卓の被害は全員に及んでくる。 船の安全確保を一身に受けて、ウソップはサンジの背どころか肩まで抱いて、ぽんぽんあやす。 こうなると、気分はガキの子守と同等だ。 「ちゃーんと聞いてるから、ほら。続きはどーしたって?」 「ああ、だからな。アイツはミホークを倒して世界一の剣豪になるんだろ。で、おれはオールブルーを探して店を出す。どうやっても、アイツはおれといつまでも一緒に居られるほど落ち着きゃしねえだろうし。おれだって、アイツと一緒に世界を相手にするなんざやってらんねえじゃん」 「まあ、そりゃそうだな」 そんなもん。そのときにならなきゃ分からないだろう。 だいたい方向音痴のゾロを誰より心配しているのは、ひそかにてめぇじゃねえか。 絶対に、おめーら二個一で動くしかねえって。 そーでなきゃ、おれらは安心して暮らしていけねえ。 口とは裏腹のつぶやきは、今度はサンジに悟られなかった。 ウソップに凭れ掛かったサンジの重さは、ますますだらしなくなっていく。実際、いっくら細身だろうが、着やせするだけの男を支えるのは辛いんだが、とにかく落ちるまで後一歩だ。気を抜いている場合じゃない。 「だから、おれはお前とは居られねえって言ったんだ。もう終わりにしようってよ。おれだって好き嫌いだけで、言ったんじゃねえんだぜ。アイツに一番いいと思ったから、あいつを縛るものなんて、これっぽちも許せなかったから別れようって・・・」 「言ったのかい」 「言った」 「そりゃ、ゾロだって拗ねるってーの。で、アッチはなんて?」 「おれの首に縄かけてでも、離してやらねえだと。何様だ、あの筋肉アホは!」 「ゾロさまだろー。いいじゃねえか。お前はアイツについていかねえ。アイツはお前の傍から離れらんねえ。どっちも好きにしたらいいだろ。お前に着いてくるのは、アッチってこった」 「・・・・・・・おまえ、やけに簡単に言うじゃねえか」 「そーゆーこったろ。お前が行くんじゃねえ。アッチが来るんだ」 「なんか・・・・誤魔化されている気がするんだがな」 「言い回しの違いだけだ。けど立場はまるっきり違うだろ、お前の優勢だ。別れりゃいいじゃねえか。 それも自由だ。ゾロがくっついて回るのも、そりゃアイツの自由なんだし?とりあえず、まだ起こってないことで喧嘩するんじゃねえ」 「喧嘩じゃねえよ。おれはちゃーんと悩んでたんだ」 「ぐだぐだ悩むって柄かい。てめぇ、きっちり寝ないでいるからアホなところでけつまづくんだヨ。もうちっと気楽にしてろ。そーでないと、潰れるばっかじゃねえかよ」 簡単明瞭。 ウソップのアドバイスは、料理人が胸中深くに抱いていた考えを見事にコトバにしたらしい。それが証拠に、サンジの表情は先程とは比べようのない穏やかさだ。 もっとリラックスしてりゃあいいのに。 記憶しているよりも違和感のあるコックの体つきに、ウソップですら静かな怒りを禁じえない。以前よりも格段に体が小さくなっている。 いったい何日喰ってない。どれほどの焦燥感をひとりで噛み潰し、眠れずに神経ばかり昂ぶらせてきているのか。 食料庫のことだって、ひとりで背負いこまないで周りを頼ってみればいい。 悶々と悩んで食事を抜いてした男の体は、随分とゴツゴツして体温が低い。燃やすものがないんだから、当然なんだが、こんなサンジは見てられない。 ゾロが傍を離れないと断言する気持ちが、ウソップにはよく分かる。 懐かれている自分が発作的にでも思うほどだ。サンジが自分たちに隠している部分をゾロは多く知るだけに、もっと怒っただろうし、ひとりで居させる不安を感じただろう。 無茶苦茶するコックが食べる行為にだけは生真面目になりすぎて、自身を追い詰める行動にあるってことを自覚してくれりゃあ、アホくさい喧嘩も取っ組み合いも減るんだが。 これが女だったら、何もかもを受け止めてやるから着いてこい。それくらい強引にでも言えただろうし、口説き文句にもなったんだが。 問題があるとすれば、サンジが男で他人を護るに自己犠牲を欠片も厭わない性格にある。護られているよりも、護っていたいのは男として分かりすぎるほどに分かるんだが、頼むから、ひとりで全部を持とうとしないでほしい。 本当に頼ってやらなければいけない相手に、ことサンジは意地を張る。 どうしてこんなに、厄介なヤツに育ってくれたんだ。 遠く離れた海上レストランのオーナーに恨みが募る瞬間だ。 ぐい、と強引に体を引いて、ウソップはサンジを強く抱きとめておく。 言うだけ言ってしまったコックは、柔らかく全身の力が抜けている。ずりずり体重が下がって落ちて、そのままコトリとウソップの腰近くで頭を落ち着けた。 どうなったと覗き込めば、人騒がせで手間のかかる男はリラックスして眼を閉じてる。 軽い金髪頭をノックして、 「言うことはよ?」 「んー、とりあえず。愛してるぜ、くそ野郎」 そりゃ言う相手が間違ってるだろ。ついでに、おれは礼を言うように催促したんだがな。 派手に嘆息して上を向いた狙撃手が視線を戻せば、僅かの間にきっちりコックは眠ってる。 安眠枕にするんじゃねえ!ビンテージもんのジーンズによだれを垂らしやがったら、毎食のデザートは全部プディングを要求するぞ。 心の中には罵詈雑言が吹き荒れたが、安息するサンジを見ているとエキサイトするのもむなしくなる。 ま、とりあえず・・・。 ウソップはアホな男の頭を軽く撫でてやり、さくさく寝ておけと激励した。 寝ないで頭ばっかり回してるから、煮詰めすぎて焼け焦げた喰えない結論しか出ないんだ。 それにしても・・・・と、ウソップは重みを増してくる頭に恐怖した。 まさか、このまま熟睡爆睡するんじゃねえだろうな。 おいおい、コイツってば何日寝てねえんだ!? そろそろコックが乗せてる膝辺りにしびれを感じ焦るころ、ようやっと人影が頭上から差してくる。 「おせーんだよ」 そこに立ち尽くすのは、先程までチョッパーを枕にしていたゾロに他ならず。ウソップを見下ろすのは、余裕を粉微塵にしてしまった情けない顔を晒したごく普通の男だった。 「おら、さっさとコッチに座って持ってけ!重いってーの!」 ぼやぼやするゾロのズボンを引っ張り、強引に隣に座らせる。催促しないでも、ゾロの手はそろりとサンジに伸びて、大事なものを受け取った。 「聞いたぞ。お前、コイツがナーバスになってる時期に持ちかける話じゃねえだろ」 「けどよ・・・あんまり見てらんねえ顔するからよ」 ぺしっと緑頭を張り飛ばし、ウソップはこわばっていた足の筋を長々伸ばした。 「タイミングだ、タイミング。おめー、物の呼吸が取れるようになったんだろーが。そんな便利な機能をどーしてココ一発ってとこで、使わねえんだよ。いまの船の状況を見ろって。サンジのどこに余裕が持てるんだよ。あんまり追い詰めてやるんじゃねえ」 憮然とする鼻先に指を突きつけ、ウソップは片目ひとつでゾロを強くにらむ。 「分かったか?」 「・・・・・・・・・分かった」 「なら、いい。とりあえず、大事に抱っこして寝かせてやれ。どーせ船には食料がそうねえんだ、サンジが遣ることなんざ無いんだしよ。ま、島も近いって話だし?それまで寝かせとけよ。起きたらうるさくてなんねえ」 まくし立て、ウソップは役目は終わったとばかりに背を向ける。 「ウソップ」 「なに、今日のおれの相談室は終了したんだ受付ねえぞ」 「おれは・・・やっぱコイツが大事だ。好きでたまんねえんだよ」 「そーかい。それを聞いて安心したぜ」 好き勝手に話して完結して。 まったくもってアホな連中だ。 どーして決意表明をおれにするかな。 頼むから、おれやチョッパー相手にするんじゃねえよ、と。 甲板にへばって動けない船医を助け起こしに行きながら、ウソップはやれやれと息を吐いた。なんて手間のかかる連中なんだ。これだから、放っておけないんだよ。 肩越しに振り返って確認した先では、サンジの頭をそぅっと抱きしめたゾロが、神妙な顔して座ってる。 ココ最近の殺伐と尖った空気とは違い、とてもいい光景だったので。 今日のところはアレで許してやるか。 そう心の優しい狙撃手は結論して、チョッパーを担いで退散した。 6666番を踏んでくださった彼夜さんから『USっぽい話』。 だったんですが。うちのウソって、めっさ可愛げないんですよぉーーっ! でも、今回もひとり楽しくたのしく。 暴走してイってしまってます。ウソップに膝枕してもらってるサンジってのが。自分的によっしゃだったはずなんですが。どこがよっしゃだったんだろう。今となっては突っ込み満載なブツですが。よろしければお受け取りください。(正座) |