だらだら惰眠を貪ってた俺の上に、どすんっとガキが容赦なく乗っかってきた。
「げっ・・・・・ぇ・・・・っ!!」
「サンジーーーっ!!起きろよ!」
「ゾロ・・・・・・か・・・・」
 元気いっぱい力いっぱい。
 ゾロは俺を起こそうと、ゆさゆさ体を揺すってる。俺は馬か・・・・。
 昨日はゼミの飲み会で、俺の頭はまだふらふらするってぇのに。仕方ない。起きるか。
「何時だ」
「もうお昼ご飯、食べちゃったぞ。サンジ、寝すぎだよ」
 俺が身体を起こす動作にあわせて、ゾロもベッドの横に降りる。じーっと真下から俺の顔を覗き込み、ちゃんと起きたかどうか確認してた。兄貴が寝起きが悪いもんだから、こんないたいけな幼児なのに、要らない気遣いをさせちまう。
 大丈夫だぞ、ゾロ。
 俺はおまえの親父とは違って、二度寝する悪癖はねえ。だから、そんな真剣な目で俺を見るな。
「だいじょーぶだって。起きてる」
「そう言ってて、この前は寝ちゃったじゃないか」
「一回だけだろ。起きるって、信じろ」
 わしわし頭をかき混ぜて、ゾロの笑い声を聞きながら、俺はぼんやり考えた。
 いつからコイツ、来てるんだろ。
 昼を喰ったってことは、少なくても1時か回ってるってことだな。
 くわ・・・とあくびを一つしたら、つられてゾロもあくびをする。コイツは、小さい頃からよく寝る子だった。
 きっと寝ている俺のとこに来たはいいが、本人も眠気に誘われてるんだろうな。
 だいたい、俺が二度寝したのだって、ゾロが眠そうだからコッチに来いって布団を上げたら、中にもぐりこんで嬉しそうに引っ付いてきたのが原因だ。ゾロを抱きしめ、なんだか和んでいたら、えらく時間が経っていた。
 俺としちゃあ、眠そうなゾロを抱きしめていたいんだが。
 ”起きる”と約束した手前、起きないわけにはいかない。
 子供特有の正直さで。ゾロに取っちゃ“やくそく”ってモンは絶大で、守らないといけないもんなんだ。
 ベッドから降りて、ゾロに両手を伸ばしたら、当然みたいに手が首に巻きついてくる。
「ほら、起きただろ」
「うん!サンジ、おはよう」
「おはよーさん」
 言って、ちゅっと口にキスをする。
 なんだよ。いいじゃねえか。
 俺とゾロは、男同士だろうがこうやってチューする仲なんだ。ちなみに姪っ子もキスしてくれるんだが、ゾロにはそれが面白くないらしく。彼女にキスした後の俺に、連続10回チュー攻撃とかしてきやがる。
 独占欲なんだよなー。懐いてるんだよなーv
 ちきしょう!!いつまで経っても、可愛いぜ。

「なんだ、お前。居たのか」
「そりゃ、コッチの台詞だ」
 ゾロを片腕に抱えて、階下へ降りるとアホ兄貴が、人の顔見るなり言いやがる。
 やだねー。朝から・・・って昼か、もう。まあ、どっちでも構わん。朝だろうが昼だろうが、真夜中だろうが。問題は、どうしてコイツが居るんだってことだ。
 高校卒業と同時に、即結婚したヤツは。
 まだ22歳だが、二児の父親だ。ガタイはアホみたいにでかく、居るだけで暑苦しいヤツなんで、暖房器具は必要ねえ。むしろ、扇風機が欲しいくらいだぜ。
 しかも、K-1の世界に憧れて、ガキの頃から現在まで、道場に通い詰めている。格闘技の世界侵略は諦めた模様だが、ヤツが通っていた空手道場じゃあ今では師範と呼ばれてる。
 そんな男のマッチョ具合は顔を突き合わせるごとに、進んでる。脳下垂体にまで筋肉が侵食する日も近いだろうと俺は見てる。  
「お前、何時だと思ってるんだ。いくら休みだからって、だらだらしてるんじゃない!」
「へえへえ・・・・で、今日はナニよ」
 真面目に相手なんざしてられるか。
 俺はゾロを抱いたまんま、椅子に腰掛けた。
 キッチン方向には、ババアと義姉と姪がいるらしい。なんだか、やたらと楽しげでいい雰囲気だぜ。
 俺もアッチへ行きたいところだが・・・。行ったら行ったで、モンのスゴイ惨状を目の当たりにさせられそうで、ちと怖い。なんせ、居るメンバーがメンバーだしな。
 姪っ子は良しとして。残りの二人は非常に手先が不器用で、陣頭指揮を取っているのがババアかと思うと・・・。やっぱ止めとこう。俺はババアにこき使われるために居るんじゃねえ。
 後でゾロの好きなおやつでも作ってやろう。
 兄貴は無視して、ゾロの頬っぺたを突っつく。ん?って顔で見上げるゾロは、赤ん坊のときのまんまだ。
「なんか作ってやるよ。ナニが喰いたい?」
「ほんと!?じゃ、俺も手伝うから!!クッキーがいい!」
「よっしゃ、クッキーな」
 たしか前んときも作ったんだけどな。まあ、いいか。
 昔から手伝わせていた成果もあって、ゾロの手つきもなかなかだ。クッキーを型に抜き取ったり、飾りをつけたりと、かなりいい路線を行ってくれる。
 キッチンが空くのを待ちながら、ゾロが作りたいクッキーの話を聞いて、まったり過ごした。

 それから30分後、俺はババアが主に散らかしたキッチンを片付けねばならなかった。
 クッキーの下拵えをゾロにやらせながら、焦げた鍋を力いっぱい洗っているところに、なんと!兄貴が入ってきやがった!!
 この男。食べる分量は人の三倍だが、作るとなるとからっきしで、キッチンにヤツが入ってくる姿を見るときは、冷蔵庫漁りと相場が決まってた。しかし、今はいかなアホ兄貴といえど食えないはずだ。
 なんせババアが俺に出した昼飯の分量は、ちょっと待てと突っ込みたい分量だった。極太麺でうどんを作りたい気持ちは分かったから・・・。
 3玉を平気で入れるのは止めろ。ついでに、ほうれん草の根っこは綺麗に取っとけ。
 ちくわ、かまぼこと、練り物ばかりってのも許す。スクランブルエッグが乗ってあるってのは、流行か?ラーメンじゃねえんだから、ハムはねえだろ。モヤシが入っているにあたり、コメントは諦めた。

 ゾロのヤツ・・・・。こんな恐ろしいモンを喰わされたのか。可哀想に!!
 俺が絶対に、マトモな晩飯を作ってやるからな!!

 人間として食べるもんじゃねえ量と組み合わせのうどんは、俺に使命感を教えてくれた。
 使命に燃えた俺としちゃあ、当然のごとくゾロのために、まともなオヤツを用意してやりながら、ちゃんとした夕食を頭の中で組み立てていく。ゾロも姪っ子も好き嫌いはねえ。
 何を作るか考えながら、ゾロと楽しく過ごしていた俺としちゃあ、明らかに用事がないはずの兄貴なんざ邪魔以外の何モンでもねえ。
 ごみだ、ごみ。
 空手なんざしているくせに、片時もタバコを口から離さないってのも、俺には許せん。
 灰が落ちるんだよ、このクソ馬鹿兄貴!
 デカイばかりで役にも立たない兄貴に俺が容赦があるわけねえ。


「なんか用かよ。デカイ図体で入ってくんな!俺の動線を切るんじゃねえ!」
「ちょっと、話があるんだが・・・・」
「??」
 コイツが言いよどむとは珍しい。
 しかも、話があるときた。この光景は・・・・覚えがある。
 確か、義姉と付き合って間もないくせに、ゾロを妊娠しちまったんで、結婚を決めたとかなんとか。抜かした日のことだ。俺んところは父親の不在が多く、今もどこだったか海外へ行っている。だもんだから、速効行動型のババアへ連絡する前に、まずは兄弟同士の間で検討するってのが、習慣になっていた。
「おまえ、親父がどこに居るか知ってるか?」
 ナニを言うかと思ったら。そんなもん知ってる・・・・・・・・・・・・・・・どこだ?
 鍋を洗う手を止めて、タバコを銜えて考える。一服してみても、知るかよ、そんなもん!
 生きているのは確かだ。葬式も死亡届も出した覚えはねえからな。
「さあ、知らねえな。なんだよ、親父に用があるんならババアに聞きゃあいいだろ」
「いや、本題はそれじゃない。親父が居る国は知ってる。オランダだ」
「んじゃ、いちいち聞くな!なにもったいぶってやがるんだ。俺は忙しいんだ。手短に言え」
「分かった。オランダに再来月から行く」
「ふーん、行けば?」
 なんだ、そんなことで話かよ。って・・・・ちょっと待て。
「おい、一応は確認しておくが、てめぇ一人だよな?」
「いや、家族で・・・・・」
「ンだと、このやろう!!!!」

 続けようとしたヤツを俺が蹴るのは予測してたんだろう。軽く身を退いたヤツは、上段蹴りを片腕でブロックしやがった。ゴッツイ腕をしたたかに蹴ったが、岩でも蹴ったみてぇにびくともしねえ。くそっ、少林寺のフルコンで鍛えた俺の蹴りを・・・・っ!
 そんでもって、ヤツも遣られっぱなしの男じゃねえ。
 俺の蹴りが引くと同時に、こともあろうか正拳で突いてきた。俺らの喧嘩は、流派が違う武道と武道のぶつかりあいで、自分が慣れない型で攻撃を受けることになる。
コレは非常に面白い。今度の大会で、コレは使えるんじゃねえのか、とか。ああ、やっぱ突きが弱いな、とか。この辺りの筋肉を鍛えておかねえと。
 等々、つい自己チェックまで入っちまう。
 とりあえず、互いに上段者の帯をもらっているモン同士。相手が大怪我しない攻撃や、ダメージを少なくして受け流すのは自然と身に染みているんで、コレはストレス解消にもなるんだが・・・・。
 今日ばかりは拙かった。
 兄貴の拳が顔面を狙い、俺は中段を狙ったその瞬間。

「止めろ!!」
「ゾロ!?」
「あぶねっ!!」

 間に割って入ってきたのはゾロだった。
 寸止めの・・・・・・・特訓されてて良かったぜ・・・・。

 驚いたので、俺の怒りも一気に褪めた。兄貴はってぇと、俺とは対照的に怒髪天を突く形相だ。
 そりゃそうだ。
 あやうく息子に大怪我させるところだったんだ。
 親なら当然に怒るところだが・・・・。
「久しぶりに会ったのに、喧嘩するなんて最低だぞ!」
 ゾロは、もっと怒ってた。
 俺には背を向け、びしぃっと父親を指差し怒鳴る。
 自分より先に息子に怒鳴られ、それが真っ当な理由ときちゃあ怒れる立場じゃ、ねえよな。
「あ・・・・・う・・・す、すまん」
「パパはいいから、向こう行っててくれよ!おれがちゃんと話す!」
「そうか・・・じゃあ、頼む」
 口だけで、あの兄貴を負かしやがった!
 コレには俺も驚きだ。父親になって丸くなったのか、ゾロの気迫に押されたのか。
 非常に笑える場面だってのに、俺は笑うのも忘れてあんぐりしてた。
 遅まきながら、俺はようやく気付いた。
 ゾロは、身を呈して俺を守ろうとしていた、ってことをやっと気付けたところだった。

 それからゾロには俺も叱られた。
 大人同士のくせに、喧嘩なんてするんじゃない。手厳しく、難しい顔で言うゾロは真面目だった。
 だから、俺も真剣に謝った。謝るしかねえだろ。
 許してくれたゾロとクッキー作りを再開して、行くのかって聞いたら、コクンとひとつ頷いた。
 仕方ねえよな・・・。俺はお前の親じゃねえし、お前から家族を奪う権利はねえ。
「どーしてオランダなんだ?」
 クッキーの型を並べながら、ゾロに尋ねた。詳しい話なんて知らないだろう。思ってたんだが。
「おじいちゃんの知り合いが、道場しているんだって。だからパパが呼ばれたんだ」
「親父の差し金か・・・っ」
「サンジ、おじいちゃんを殴ったらだめだぞ」
 言われて、反射的に握った拳は引っ込めた。分かった、お前が言うなら殴らねえよ。悔しいけどな。
 それにしても、クソジジイめ・・・・・!
「サンジ」
 オープンを開き、天板を入れる後ろから、俺のエプロンの端を握ってゾロが呼んだ。
 タイマーをセットし、ゾロの高さにしゃがみこむ。
 ゾロにも、オランダに行くって言う意味は分かっているんだろう。どこにあるとか、どれくらい距離があるとか知らないまでも、頻繁にはもう会えないのは分かっているらしい。
僅かに下になった位置から見上げたゾロは、哀しみを堪えた顔をしてた。
「俺のこと・・・忘れないで」
「忘れるもんか。絶対にお前のことを忘れたりしねえよ」
 まだ二ヶ月も先の話だってのに、ひしひしと実感が沸いてくる。
 ぎゅっと抱きついてくるゾロを抱きしめて、おまえこそ俺を忘れるんじゃねえぞと、言いたいのを堪えた。
 子供の記憶がどんなに柔軟で残酷かは、ガキに疎い俺でもわかる。
 少しの間で、ゾロは俺のことなんて忘れるだろう。それは正しいことだ。分かってる。
 だけども俺は、コイツが大きくなっていく姿を見れなくなるのが残念でしかたない。こんなに愛しく思っているのに、あと二ヶ月もすればいなくなるなんて耐えられない。
 ぐるぐる回る俺には気付かず、ゾロは抱きつく力を込めた。
「サンジ・・・俺、サンジのこと一番好き」
「俺もお前のことが誰よりも好きだ」
「じゃあ大きくなったら俺と結婚してくれる?」
「いいぞ。結婚してやるから、ちゃんと帰って来いよ」
「やくそくだ。俺が帰ってくるまで他に好きな人とか作っちゃだめだぞ」
「わかった、約束だ」
 それが、寂しさから出てくる単純な言葉でしかないって分かってても。俺は嬉しかった。そんなに俺のことを思ってくれているこいつが、可愛くて愛しくてならなかった。
「うそついたら、針千本のまないといけないんだからな!」
 子供特有に綺麗な目は、真っ直ぐで力強い。
 コイツは、きっと強くなる。どこに行こうが、どんな人と出会おうが。こいつの純粋に綺麗なものは、決して穢されず、濁らせられず。ずっと一直線に信念を貫く大人になっていくんだろう。
「おまえもだぞ、ゾロ」
「俺は約束は守る」
 ただのガキの遊びなのに。小さい指を絡めて、ゆびきりげんまんと真剣な顔してゾロは歌う。
 歌うゾロの伏せた瞼に、コイツの睫毛は案外に長ぇな。なんて。
 他愛なことを思わされて、胸の奥が痛くて泣きそうな気分だった。

 俺は絶対に、お前を忘れたりなんかしねえよ。
 
 それからの二ヶ月間。俺はゾロとできるだけ過ごした。
 時折に、思い出したように結婚すると言い出すゾロに笑って頷きながらも。
 このまんま、掻っ攫ってとんずらしてやろうかなど。不穏な考えをめぐらせる毎日は、オランダへゾロが旅立つ日まで、延々と俺の頭で渦巻いた。 
 
 元気でな、ゾロ。
 ちゃんといい子で育つんだぞ。
                                                                             3(ゾロ、年中組):おわり






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