幽閉された塔の部屋は、ひどく寒かった。 
 夜ともなれば凍てつくそこは、サンジが最期を迎えるために用意された場所だ。
 幽閉されてから、さほど日数は経っていなかった。
 処刑の日を言い渡されてから、サンジは一切の飲食をしておらず、それゆえに夜の寒さは益々もって身に応える。
 ぶるぶると震える体を質素な掛け布で覆い、しっかりと布の端を掴む指が、ふと眼に入った。

――・・・ゾロ・・
 反射的に己を捕らえた男の顔を思い出す。
 騎士の甲冑に身を包み、サンジの足元で深く頭を垂れていた男に、無理やりの忠誠を求めた。
従うしかないゾロの立場を知りながら、サンジは多いに己の立場を利用した。
差し出した手指を受け取る騎士の手は、屈辱に震えていた。それでも、節高く固い男の手が自身に延べられたことに、無常の悦びを覚えた。
奪い取った忠誠の証に触れたあの唇の温もりが、かじかんで感覚も失った指に鮮やかに蘇る。
 

『忠誠を誓え』

 王者の指輪を嵌めた片手を差し出し、サンジは鷹揚に言い放った。
 途端、ひくりと逞しいゾロの肩が揺れる瞬間を、サンジは見逃さない。
 ここで剣を抜いて反逆するか。忠誠など誓えぬと自害するか。
 ゾロという男の誇り高さを知るだけに、彼の胸中の葛藤がいかばりなものかをサンジは正確に把握することができた。だが、果たしてサンジが予測したのとは全く違い、ゾロが反駁を示したのは一瞬でしかなかった。
 剣を片手に近寄った男は、滑らかな動きで床に剣を横たわらせ、サンジの手を恭しい態度で取った。

「終生、わが身と命をわが王に捧げることを剣に誓う」

 低い声は明瞭だった。
 指輪に押し付けられたゾロの唇は温かかった。

 自分を見上げる双眸は、凍りつく色をして。薄い瞳の奥に常に熾き火のごとく剣呑な光を篭らせながらも、サンジの足元にかしずき、差し伸べた指輪に強要された忠誠の口付けを落とす唇は、憎悪をたぎらせている男のものとは思えぬほど、温かく柔らかだった。
 ゾロに憎まれている自覚はある。
 隣国の跡目である彼を、政治的策略をもって自身の配下にしたのは、サンジだった。国は荒れ果て、不穏な空気が隣国や敵国からも迫っているのはひしひしと感じていた。
 先代の王が崩御したときから、悪化の兆しを見せていた情勢は、いまや完全に芽吹いており、この王朝が倒れるのは時間の問題でしかない。

 意識のどこかで、もう終わってくれと願っていた。
 こんな下らない国など、なくなって当然だ。

 知略と悪略の限りを尽くし、人と人とも思わない残虐な体制を強いてきた一族が築いた国を、彼らの末裔として生まれた自分の体内にも虐殺者の血が流れていることを。
 誰よりも忌み嫌っていた。
 誰よりも、この国を憎んできていた。
 ゾロを側近につければ、転覆は容易いと知っていたからこそ彼を選んだ。
 僅かな時間だけでも、この男を自らの傍に置くことだけが望みだった。

 ゾロと初めて出会ったのは、彼が父と共にこの国へ出向いたときだった。
 その頃はサンジは自国がどれほどに残酷な支配を近隣諸国に及ぼしているのかを知らずに居た。
 誰もが自分の我侭を通し、望めばすべてが思い通りになる毎日に疑問も感じもしない。
 欲望のまま育ったサンジは、すでに父王の残虐性を内側に秘めながら、略奪された彼の母によく似た外見だけは美しい子供だった。

 美しさと毒を身のうちに蓄え、恐れを知らないサンジは、弾圧を受けている国の王子であるゾロをはじめてみたときから気に入った。
 既に幼いながら、自身の立場を理解していたゾロは、子供とは思えぬ寡黙さと落ち着きを備えていた。子供特有の残酷な無理を言うサンジに、ゾロは逆らいもせず、ただ従った。
 危険であることすら、サンジが命じればためらいもせずに実行する。
 甲冑に隠されたゾロの胸に大きく刻まれた傷は、そのときの名残だ。
 サンジが周囲が止めるのも聞かず、扱いが困難な剣を振り回し。打ち合いの相手をさせられたゾロは、その剣を避けることは許されない立場だった。
 小さな彼が背負ったものが、ゾロに後退をさせなかった。結果、避けようと思えば避けられた切っ先は、ゾロの体を切り裂いた。

 血塗れのゾロを前に、震えるサンジを見据えていた小さな王の目は、あんなときから冷たい炎を宿していた。
 忘れようと勤めても、決して忘れられないゾロの眼がサンジの脳裏に刻まれた。
 ゾロの刀傷のように、大きく深く、強くつよく。その瞳が記憶に残る。
 それは紛れもない憧憬だった。
 実直で、口数が少ない彼を小ばかにするサンジの態度のうらで、どれほどゾロに憧れを抱いたかなど知る者は居ない。この先も、きっといない。



 耳鳴りのような群生の声が、塔の突端にまで届いてくる。
 うつら、としていたサンジは、その声に微かに笑った。
 水すら飲まずにいた喉から、かすれた笑い声が漏れた。
 あれほどの人々に、恨まれていた。他人事のようにしか感じられない、壊れた自分がおかしかった。

 複数の足音が塔の狭い階段にこだまし、分厚い扉の影から現れたのは、予測したとおりにゾロだった。
 いまだ、騎士の甲冑を身にしているが、紛れもない王者の風格を纏った彼を、サンジは立ち上がったまま、ただ見つめた。部屋に入ったのは、ゾロひとりきりであり、他の兵士は扉の外で待たされていた。
 微動だにせず、サンジはゾロが近寄るのを目線で追った。

 彼ほどに、その地位がふさわしい男もいない。
 きっと、この男に人々は救われるだろう。
 ゾロが誰からも慕われ、愛され続けるだろうことをサンジは思い、願った。

 距離を置いて立ち止まったゾロが見つめている。真っ直ぐな視線を受け止めるサンジに、ようやく彼は口を開いた。
「最期の、望みはないか」
 静かな声だ。かつて、無理からに忠誠をもぎ取ったころと変わらぬ、低く静かなゾロの声だ。
 この男が欲しいばかりに、危険だと知りながら傍に置いた。憎まれていようと、自分の眼が届く場所にゾロがいることだけが、単純に幸福だった。
 願わくば、一度でいいからその唇を思うさまに味わいたかった。
 オマエを誰よりも愛していると。抱いていた思いを打ち明けてしまいたかった。
 だが・・・・・・。

「裏切り者が・・・!」
「―――ッ」
「さぞかし満足だろうな。俺が死んで、お前は念願の王だ」

 悟られてはいけない。  命など惜しくないほど、ゾロに焦がれていたなど微塵も知られてはいけなかった。

 渇いた喉から出る声は、ひび割れて醜悪でしかない。
 詰る言葉を黙って受け止めるゾロの眼が、再びの怒りを灯してらんらんと光る。
 力のある双眸が、射抜けとばかりサンジを睨みつけ、音を立てて背を向けられた。乱暴な手つきでもって扉は開かれ、枷が両手首に重く嵌められた。

 処刑場へ続く階段を下りながら、サンジは前を歩くゾロの背をひたすら見つめた。
 彼が指に触れた唇の温かさを繰り返し、繰り返し思い返した。
 ゾロの唇の感触を己の唇に蘇らせして、歩きながらゾロの接吻を頭に描く。
 
 決して触れられることのなかった愛しい男の口付けを、死んでも尚忘れられないだろう予感を胸にして、暗く長い階段を諾々と降り続けた。
 
 


■■■■■■■■

 窓辺から差し込む月明かりは、ゾロの寝台にまで伸びていた。
 温度のない冷たい光は青白く、死の床にいる男にとって魅惑的な光に思えた。

 サンジの一族が敷いた恐怖政治は、ゾロによって幕を閉じ、圧制に苦しめられていた近隣諸国との関係は、苦しみの過去があるからこそ強固な結びつきを生み出した。
 ゾロは偉大な王として誰からも賞賛を受け、はるか遠くにまでその名を馳せた。だが、他者からすればこれ以上の望みようのないほどに満足のいくはずの生き方が、ゾロにはとてつもなく味気ないものに思えてしかたなかった。

 華麗な人々に囲まれ、ありとあらゆる名声と信頼を寄せられていながら、ゾロの胸中には、常に冷たく虚ろな穴が穿たれていた。どれほどに身体を温めても、決してその穴が満ちることはなく、いつもひっそりとゾロと共にあった。

 なぜそのような虚無を抱かなければならないのか。

 ゾロにもまったく理解しかねる感覚だ。長く疑問に感じていながらも、その隙間に視線を転じるつど生じる疼痛は、あまりに深い悲哀を嫌でもゾロに感じさせる不快なものだった。
 死の床に横たわり、ゾロは深く息をついた。
 胸の奥底にある疼痛が、ゆっくりと浮き上がってくる。

 長年にわたり馴染んだ感覚に、ゾロはいま一度、意識を傾けた。
 いや、いまさら意識するようなことではない。
 遠の昔に答えは出ていた。

・・・・・・・・・サンジ

 そっと、音にもせず誰もが忘れ去った王の名を唇に乗せた。
 途端、悲哀を伴った痛みが急速に形を成していく。
 分かっていた。
 サンジの首が落ちたときから、いやそれ以前から、ゾロは知っていた。 

 サンジは憎んでも憎みきれないほどの男だった。
 美しい容貌をしていながら、その性格は残忍であり、狂気の血をはらむ一族の末裔だ。
 死んで当然の男であり、彼の首が大地に転がり落ちたときに涙するものは一人としていなかったほど、一身にありとあらゆる憎しみを受けていた男。衣服まで剥ぎ取られた遺骸は森に打ち捨てられ、狼たちに喰らわせた。


―――サンジ・・・!

 ひっそり息を吐き出し、強く彼を思う。
 ゾロだけがサンジに捕らわれている。サンジを思う人は誰もいない地上で、ゾロひとりだけがサンジを繰り返し思い、名を呼んでいる。
 長く報われない恋のようだ。
 許されない愛を望む人のようだった。
 癒されない痛みとサンジは、ゾロの胸に深く存在している。

 初めてサンジを見たとき、激しい憎悪と同時に強く惹かれもした。
 倣岸で冷酷で、残虐な一族の子供でありながら、サンジは美しかった。神々しいとは彼を言うのだと、子供心に漠然と感じた。
 ゾロが半ば人質となって、サンジの側近として迎えられたあの日もそうだ。
 差し出された手を取らなければならない屈辱に、腸は煮えくり返るように熱かった。だが、怒りと嫌悪にまみれて口付けを落としたはずなのに、ゾロは一度しか触れなかった白い指の感触を懐かしく覚えている。
 白い指は冷え切っていた。
 ゾロを見下ろす蒼い目は、縋りつくように頼りなかった。
 見上げたサンジの表情には、ゾロをかしずかせた嬉しさは感じられない。遠くへ眼差しを投げたサンジの白い横顔を、すぅっと物悲しい陰が過ぎっていった光景がいつでも思い出されてしまう。
 その横顔はあまりにも痛々しく、彼に似合わないと思った。
 しかしサンジは、ふとした弾みによくそんな顔をした。

 疲れ果てた深い吐息を洩らし、側のゾロなど忘れたように物思いに沈んでいた。
 俺を殺したいだろう?殺してみるか?と、嘲るように言葉を放り投げるときもあった。

 サンジは、ずっと消えて無くなりたがっていた。
 ゾロを側に置けばどうなるのかが分からぬほど愚かな男ではない。まるで滅びの道を自分から進んで歩いているような、妙な脆さが彼にあることを好都合と思うしか、ゾロにはできなかった。
 最期の朝にゾロを挑発していながら、若い王の表情は穏やかだった。刑場へ連れて歩くゾロの背後から漂う空気は優しかった。
 長く知っている男が垣間見せたものがなんだったのか。
 振り向いて確かめたかった。
 自分の目の錯覚だったのか。
 背に感じる優しい感覚は何かを、ゾロは確かめるべきだったのだ。

 胸の痛みが続く原因は、あのときにサンジを振り返らなかった後悔だ。
 憎んで憎んで・・・・憎しみ続けていながら、ゾロはサンジが好きだった。心のどこかでは、彼と話をしたいと願い続けてきていた。
 サンジの首が落ちたあの日から、ゾロの中には大きな穴ができてしまった。
 その空間には、骨すら残されていないゾロだけの王がいる。

 蒼い月明かりに満ちた部屋は、静かだ。
 死の間際にぼやける視界の中に、サンジの幻が見えた。
 差し出された指は白く冷たかったが、懐かしさと嬉しさをゾロは覚えた。
 ただひとり忠誠を誓った王はサンジだけだった。
 そっと指を伸ばし、冷たい手にキスをする。
 
 胸に穿たれていた痛みは、ようやく消えてなくなった。
  



33334(ゾロサンよv)番をお気の毒にも踏んでしまわれた、ほてこさんより。
『中世ゾロのつづき』とリクを頂いたので、元だった中世モノとセットで押し付けさせてもらいます。 っていうか・・・押し売りさせてやってください。
庭のすみっこか、ベランダの端っこあたりに置いてみると・・・・・
ほぅら素敵な魔よけアイテムに!(?)
魔よけに・・・なりませんか。やはりそうですか。





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