気持ちよく道を歩いていたときに、サンジくんを見つけた。 市場の下見に行くって言ってたくせに、アタシが居るのも気付かずに彼は目をハートにして、片っ端から女の子に声を掛けている。 見ているこっちが恥ずかしくなるくらいに、大げさな身振りに加えて“これでもか”な褒め言葉を雨あられと降り注ぐ姿は、どう見ても道化だった。 可愛いスカートにワンピース。ちょっと素敵なアクセサーまで買えて嬉しいアタシだったのに。 サンジくんの所為でそんなハイテンションな気分も吹っ飛んだ。 どの女の子たちも、くすくす笑って通り過ぎていくだけで。サンジくんを見る目がいささか同情的な子もいたりする。 誰も本気になんてなるはずない。もう少し、船でアタシに見せる顔でもしてみせればいいものを。そうしたら、彼女たちなんてキスのひとつくらい、すぐにくれるわ。 なのに、分かっていてサンジくんはそうしない。 しかも・・・ 「気安く近寄らないでちょうだい!」 ぱんっ・・・! 簡単に殴られているんだから、格好悪いったらないじゃない。 ま、なんとも強烈な一発を送った彼女には拍手をしたい。 それは正しい反応だわ。 あああ、それにしても。 本当はちょっと先にあったお洒落なカフェでコーヒーでも飲みたかったのに。あそこにサンジくんが居る限りは、船に引き返すしか道が残ってない。 明日はいろいろ忙しくなるからこそ、今日の自由時間を楽しもうと思っていたのに。全部がパアだわ。 サンジくんがコッチに気付く前に、こっそり横道に入り込んだアタシは、不機嫌も隠さずに船に戻った。 「お、なんだ。もう戻ってきやがった・・・」 迷惑そうなゾロの声が、アタシを出迎える。 帰ってきた相手に、第一声がそれか・・・! 不機嫌のバロメーターが跳ね上がる。 「アンタ!人が戻ったら、“おかえり”くらい言いなさいよ!!」 もう! どうしてこの船の男って、こんなのしか居ないわけ? 海賊だから常識がないのは確かでしょうけど。魚人たちだってアタシが戻ったら、挨拶のひとつくらいはしてたわよ。『言葉によるコミュニケーション』ってヤツを会得していたわ。 ガンガン渡り板を歩いたら、派手にたわんで撓ってくれた。 穴でも開きゃあいい。 思い切り足元に力を籠めて船に戻るアタシを、ゾロは間抜けツラで見ているだけ。 手を貸そう・・・・・・なんて芸当、アンタにはできなかったわ。 サンジくんなら言わないでも、自分から進んで荷物を持ちに来るところだ。 思ったら、さっきの馬鹿げた彼の姿が、ふっと頭に浮かんで忘れかけてた気分の悪さがもどってきた。 甲板に飛び降りるなり、ゾロに荷物を投げつける。 戦闘じゃあ人間じゃない反射神経を出すわりに、こーゆーとこは結構トロい。 「なにしやがる」 ワンピースの箱の角が額に当たっていた。じろりと睨まれた。 ふん、痛くもないくせに。それだけ筋肉布団を被っていたら、神経にだって筋肉がついてるわ。 アンタの無駄なデコより、アタシの荷物のほうが心配するのが筋ってもんじゃない。 「サンジくん、またナンパしてたわよ」 まだ恨みがましいゾロに意地悪を言う。 爛れたこいつ等の関係は、グランドラインに入る前には、すっかり完成していた。 どっちが手を先に出したのか、同時だったのかに興味はないけど。随分と手が早い連中だわ。 危ない橋をいくつか渡り、この船の信頼関係は強固になっていく中で。着々と密接な濃度を上げている彼らが、少しばかりねたましくもある。 もっとも、こいつ等がベタベタとしている場面に遭遇したことはない。 ただ、ちょっとした視線のやり取り。言葉の行き交いに含まれる温かさは、目の前でいやらしいベタつきを見せられるより、堪えることもある。 いつもなら、馬鹿にしきって嘲笑うくせに。 「ま、アイツのアレは仕方ねえからなあ・・・」 なんて、いかにも分かりきった口調で言われると。 こっちとしちゃあ、げんなりしてくるのよね。 まさか、コイツののろけを聞く日がこようとは。海って不思議だわ。 感動すら味わいつつも、ゾロを放置するつもりもない。 「随分と余裕じゃない?」 「なに怒ってるンだ?別にいまさらだろ」 「誰も怒っていません。呆れてるんです」 そう、呆れているのよ。 だってアタシはこんなに悔しい。サンジくんが軽く見られているのは辛い。 それなのに、アンタはあっけらかんとしてるんだから。少しはどうにかしてやりなさいよ! でも、ゾロにはアタシの呆れも苛立ちも分からない。 無造作に人の買ってきた物を足で押しやるようなヤツだもの。女の子の微妙な気持ちなんて、理解もできないでしょうよ。 ま、アンタの態度の大きさには感服するけどね。ココで両手で荷物を差し出されたら、その箱で殴り飛ばしているところだわ。 アタシは美辞麗句なんて大嫌い。サンジくん以外の人間には、ご機嫌取りをされるのも、馬鹿にされているようで腹が立つ。そんな女だから、自分で荷物を拾い上げなきゃいけない状況の方が気持ちよく受け入れられる。 それでも、躾は躾として。 一応はゾロの行儀の悪い足は踏みつけおく。人のモンに無作法をすれば、それなりの報復を受けるってこと。いまだに身に沁みてないわね。 いいじゃない。どうせそんな現場ブーツ。中に鉄板でも入れてあるんでしょ。 アタシが踏みつけたくらいで、痛いわけないんだし? ピン・ヒールに妙な手ごたえはあったけど、だいじょーぶダイジョーブ。あんたなら骨も秒速でくっつくわ。 それより・・・・。 「サンジくんが馬鹿仕出かす前に、そろそろ引き摺り戻しておいて」 その道を真っ直ぐ行ったらいるわ。 アタシが来た道を指差して、ゾロを振り返った。だけどゾロは道なんて見てない。 「お前なあ・・・」 じっと、珍しくもアタシに真っ直ぐ目を向けていた。 「なによ」 ゾロの目の色は不思議な色をしている。光線の加減で茶色になったり、金色になったり、微妙に緑や黒に見えるときもある。 「アイツを少しは信じておけ」 ぐぐっと固い額に指を突きつけて、つるつるの脳みそに突き刺さるよう。 言葉と目に力を込めた。 「信じる、信じないってレベルじゃないわ。“アタシ”が“いや”なの。分かった?」 馬鹿ね。 アタシはサンジくんを信用している。でなけりゃ仲間なんてしてないわ。 昔はアタシも外見に騙された。だからこそ、彼が違うふうに人から扱われるのが我慢できない。 「さっさと行く!」 ちぇっと子供みたいな舌打ちして、ゾロは素直に船を飛び降りた。 走っていく後姿を見送りながら、グランドラインに入る直前で交わしたゾロとの会話を思い出す。 あの頃、アタシはサンジくんが苦手だった。 恋人でもないアタシを無条件で受け入れ、甘やかそうとする彼が嫌いだった。 そのくせ、島に降りれば見境なく女の子に目を移し声を掛ける。 つかみ所のない彼に苛立ち、ゾロは食って掛かったアタシに、やっぱり『信用してやれ』と言葉を投げてきた。 あのときも、船でふたりきりだった。 ナンパばっかりしてるサンジくんは、あの頃から嫌いだったけれど、今とは事情はまったく違っていた。いまだから笑えるけれど、アタシは誰にでも声を気安くかけるサンジくんに不安を感じていたんだと思う。 肩肘張って生きてきたアタシが、初めて持った仲間というヤツに意識のどこかが馴染めてなかった。足枷がなくなった自由ってものは夢みたいで、ときどき癇癪を起してしまっていた頃だ。 あの時期は、とかくサンジくんが八つ当たりしやすい相手だった。 料理とタバコの匂いが混じる彼を、ベルメールさんと重ねているとは気付けなかった頃だ。 「どこを?女と見れば浮いた台詞ばっかり並べるヤツの、どこを信じるのよ?そのうちにころっと騙されて、海軍にお持ち帰りされるに決まってるわ」 子供の癇癪みたいにまくし立てるアタシを、ゾロはあの目でじっと見て困った顔をしていた。 「ま、確かに馬鹿っぽいのは認めるがな」 「馬鹿っぽいんじゃないわ。馬鹿そのものだったわよ」 すっぱり言い切る。 本当に馬鹿だったんですもの。いまだってそう見えるんだから、アレは仕方ない考えじゃないかしら。 でも、アタシはあのときゾロを見上げて後悔した。少し傷ついた顔をしてみせたゾロは、寂しそうだった。 言葉が少なく、無表情に思われるゾロはかなり表情が豊かだ。悲しそうにされると、こっちが切ない気分にさせられる。だから、そんな顔は反則だ。思って続きも出なかった。 「お前まで、アイツの外見に騙されてるとは思わなかったがな」 「騙されてるって・・・なに?」 「サンジのアレは、ヤツなりの煙幕みたいなもんだって気付いてなかったのか?」 なに?それって、なんなワケ? 初めてレストランで見たときから、彼ってああだったじゃない。 言い返したら、溜息を吐かれた。 そうして、ちょっとだけ声を低くしたゾロは困ったように少し笑った。 「アイツの外見・・・・イーストブルーじゃ珍しいだろ」 「そうね、確かに見慣れない部類だわね」 見慣れないなんてもんじゃない。明らかに彼は異質だ。 海にあれだけいても日焼けひとつしない肌は、純白に白い。金髪の色も濃くなくて、あの蒼い瞳すらガラス球のように色が透明だ。 色素が、薄すぎる。 彼みたいな外見を持つ人は、イーストブルーにはごく少人数しかいない。 「出身が、あたしたちとは違うわね」 「どこの出かは聞いてねえが、俺たちと同じじゃあねえのは確かだ」 ゾロに指摘されて、アタシはやっと気付かされた。 少し前のアタシは自分の状態に手一杯で、他人への余裕なんてなかった。だから、見えていることも見えなかった。 イーストブルーのあちこちを行ったけれど、サンジくんほど色がない人には数えるほどしか会っていないなんて。 アタシは考え付きもしなかった。 グランドラインはかなりの人種がいる。それでもどこの島に行っても、まだサンジくんは目立っている。物騒な刀を三つも持ってるゾロより目立つときがある。 黙って歩いているだけでも、小さな子供は必ず不思議そうに彼を見る。女の子たちは興味津々の眼差しを送ってくる。 一歩も引かないアタシを相手に、ゾロはぽつぽつ言葉を紡いでくれた。大抵が、アタシとゾロは顔を会わせたら殺伐とした空気が流れてしまう。 好きで、っていうよりも、それはアタシたちなりの遊び方だ。 ゾロは根本は優しいやつだけど、照れ屋だから素直にそれを出したりしない。 アタシもかなりのへそ曲がりだから、真っ直ぐになんてなれやしない。 乾燥しきったゾロとの仲は、それなりに心地いい。 出会ってから今日まで、ゾロとアタシの間にある空気はまったく変わらない。 そんなゾロが、本当に珍しくもサンジくんを庇った。 あの時のアタシは、頭に血が上っていたけど。もったいないことしたもんだわ。 考えたら、今じゃあお目にかかることも少ない、貴重な顔だった。 照れていながら、一生懸命なゾロの横顔は、そりゃもう見ものだった。 意外と長い睫毛を伏せたゾロの横顔は、ケモノとは思えないほど綺麗だった。 ゾロが寄越した言葉は、ひどく印象的だった。 「サンジはかなりキツイやつだからな。派手で中身のない台詞を投げて、側に誰も寄せ付けようともしねえ」 「でも、嬉しそうじゃない」 「そりゃそうだろ。アイツにとって女ってのは愛玩動物と同等だ。触って気持ちよけりゃいいんだからな」 「そんなの最低だわ」 「上等だ。ヤツもそう思われたくてやってる」 殴られるよりショックだった。あのサンジくんが、そんなこと思ってる? 信じられない。 おべんちゃらを振りまいて、耳がもぎ取れるくらいアタシに褒め言葉を降り注いでいながら、全部が嘘だっていうの? 彼の言うことを本気でなんて、欠片も受け取っていなけど。 アタシを甘やかそうと必死な男の表面に、騙されてきたっていうの? 思わずゾロを見たアタシの顔は、どんなだったんだろう? 「そんな顔すんな」 目尻を下げた情け無い顔したゾロが、大きな手を伸ばして頭を撫でる。 そんなことされるのは初めてで驚いた。こいつでも、女を慰めるってことを知っていたんだわ・・・・。 大きすぎる手は、人の頭を撫でるには乱暴すぎたけれども温かい掌は気持ちいい。 ぽんぽんと人の頭をあやしながら、ゾロは考え考え声にした。 「アイツは、自分に対して手酷いヤツだからな。てめぇ自身に対して容赦がねえよ」 「え?女の子とかにでしょ?」 「だから、女は愛玩動物だって言ってるだろ。守って構って大事にしねえとならねえ本気を出しちまうから、側に寄せねえように気をつけてやってるんじゃねえか」 ―――そう、印象的だったわけよ・・・・。 アイツってば、大事なところをすっぽ抜いてくれたんだもの。 サンジくんは、よくゾロは誤解されやすいって言うけれども。言われて当然だと、アレ以来アタシはずっと思っている。 だって、真面目に話をしていたあのときだって。アタシとゾロの話に、微妙な食い違いがあったもの。 言葉が足りないにもほどがありすぎる。 正直、頭は混乱していた。 サンジくんは、女の子を側に寄せつけたくないから賞賛をばら撒いている。 でもそれは、大事で仕方ないから?彼の外見に無防備に近寄る彼女たちを、遠ざけるためではあるんでしょう? 疑問が押さえられず、あふれ出た。 ゾロはアタシを見下ろし、『やっぱりそうか』なんて。悟りきった叔父さんみたいに呟いた。そうして、後に続いた台詞は。よくよく考えたら、のろけだと。思う。 「アイツは、女をダメにする男だ。甘やかして大事にしすぎて、女のなにかもを自分が背負うとしちまう」 それは・・・なんとなく、分かった。っていうか、まさにその通り。 彼に愛されることは、最初はきっと嬉しいだろう。女にとって、これ以上に望みようがない男だとは客観的に思うもの。 でも、きっといつか相手にとっては彼の愛情は重くなる。息も詰まる過度の愛情はいずれ憎しみを生むか、相手を潰してしまいかねない。 もし彼が恋人を持つなら、よっぽど気丈で、しっかり自分を持ってる女でなければ潰されてしまう。それでも大きな傷は付けられる。 彼はそんなところがある。 他人のために命を掛けてしまう。 その危うさをアタシはアーロンパークで見せつけられている。 ああ、だからなんだ。 サンジくんは自分の重さを知っているから、興味で見ている女の子に軽薄な言葉をかけているんだわ。少しでも気持ちを向けられるのが、彼は怖い人なんだ。 そのくせ、好意の視線を黙って見過ごすこともできないで。ゾロみたいに威嚇することもできず、あんな奇妙なやり方で幻滅させているんだわ。 なんて自虐的。 なんて効果的な方法なのかしら。 ひどい男ね。 「アンタも、酷い男に引っかかったもんだわ」 「俺も・・・・・・そう思う」 笑って顔をあげたアタシから手を離し、ゾロはぼそりと同意した。 それにしても、女の子を遠ざけたいなら、狭い船の上でまでもアタシにその気使いは必要ないんじゃないのかしらね。 アタシとの話は終わったからと、船を降りようとするゾロの背中にそう言うと。 ゾロは船縁から飛び降り間際に、『お前は特別にアイツが受け入れようとした女なんだろ』と、詰まらなそうに返して姿を消した。 拗ねたみたいな口ぶりに、あっけに取られた。 そうか・・・。アタシは特別なんだ。 すとん、と気持ちが落ち着いた。 ・・・・あれから、アタシは寛大になった。 サンジくんが差し出すあれこれに、彼が『特別』を隠しているのが見えてから、彼が苦手じゃなくなった。 今日もサンジくんを確保するために、ゾロは町へ続く一本道を走っていく。 絶対に間違う。 予測して50mも行かないうちに、案の定。遠くなっていくゾロの背中は、間違った方角へ行きかける。 「そっちじゃない!!左よ、左!!心臓のあるほう!!!」 怒鳴りつけてやると、声が届いたのか慌てて左へ折れていった。 これで安心。 後はサンジくんがゾロを見つけてくれる。ナンパもおしまい。 今でも、ゾロが教えてくれた言葉の余韻は残っている。 あのとき。 当たり前のようにそう言われたことが、癪に障るくらい嬉しかったなんて。 ゾロの妙に可愛い情け無い顔が嬉しかっただなんて・・・。 絶対に誰にも言ってなんてやらない。 優越感はこれからも、たっぷり味わえる。 抑えきれない笑いで顔が緩む。 でも、なんとなく素直に笑える自分が気恥ずかしかった。 誰もいないのに自分を誤魔化すためだけに、アタシは甲板でゾロが蹴って寄越したままの箱を拾い上げないといけなかった。 |