贅を尽くした婚礼衣装は、サンジによく似合っている。戸口に立ったままのゾロは、サンジを眩しそうに見つめた。君主の体を覆う純白のローブには、小さなダイヤが輝き、金糸・銀糸の刺繍の中にも、数々の宝石がちりばめられていた。 ローブ一枚で、自分たちの領地が一年は持つぜ。 婚礼衣装が出来上がったとき、苦々しく言ったサンジの横顔が思い起こされる。 そして今、ゾロへと向けられた顔は、押さえ切れない怒りに固く青褪めていた。 「ゾロ・・・・・・・」 色を無くした唇から平坦な声が出る。激情家な彼が、必死で感情を押し殺している。 ぴたりゾロを見据える蒼い瞳の奥には、隠しようもない憤怒のゆらめきがあった。 「来てくれたんだな」 笑おうとして失敗する。痛々しい表情に、ゾロは歯を食いしばった。 自分たちが無力であるばかりに、サンジは彼が望みもしない結婚を選ぶしかなかった。 大貴族であるミホークからの、たっての申し出を誰も断るなどできない。 ミホークよりも地位の低い貴族であるサンジの親たちも、周囲も。そしてサンジ本人も。 王族の直系である貴族の申し出を断ることが、即座に自分たちの没落につながることを知っていた。 そしてサンジの身体にも王族の血は流れている。 サンジの祖父は王族から追放され、辺境地に追いやられた末裔の子だった。 そんな血なんざ無に等しい。だが、政権を狙う者からすれば水より薄い血でも必要になるらしい。 周囲はサンジが望まぬならば、地位など捨てても構わないと言ってくれた。 領地など取り上げられても、惜しくない。断ってしまえと、激しい気性の祖父は言い切った。 だが、己の思うがままに生きることは、この時代、どのような身分に生まれても困難であった。 むしろ、彼らは大貴族とのつながりを得たことを喜ばねばならなかった。それゆえ、サンジは会ったこともない娘との婚姻を承諾した。 真意に決して沿わなかろうが、サンジたちには拒否はできないのだ。 それは、サンジを心底から愛してやまないゾロであろうが、止められることではない。 婚姻が決まった夜、気が触れたように酒に酔い、笑い続けていた。 ヒステリックな笑いの発作は、だが徐々におさまった。そうして、長い前髪をうっとうしく掻き揚げた男の目は、寸前まで泥酔していた人間にはない冷え切った色だった。 『くだらねえ・・・・なあ、ゾロ。くだらねえよ。俺も相手の子も、面識もねえんだぜ?いくつか知ってるか』 『なにが』 知らせを受けて駆けつけたゾロに、サンジは冷静だった。 唐突な話題についていけず、思わず聞き返したゾロに、サンジは「まだ10歳だとよ」と切れてみせた。 『相手の子。10歳なんだぜ?あいつらにとっちゃ、人間ってのは血統書つきの馬と同程度だ』 吐き捨てた直後には、仕方ねえんだな。ひどくあっさり現実を受け入れた。 あの声が、忘れられない。ゾロを見遣った瞳が泣き出しそうだった。 せめて慰めてやりたかった。抱きしめたかった。できるならば、そのまま逃げ出せるならサンジを連れて行きたい。切に願っても、情況の何もかもが許しはしない。 誰よりもサンジを愛しく思っていても、露ほども周囲に悟らせてはいけない時代だった。 そんな中で彼に出会ったことを、ゾロは生まれて初めて呪った。 一度として、ゾロはサンジに思いを打ち明けたことはない。 サンジもまた、決してそのような言葉を言ったこともなかった。 友愛の抱擁はあっても、恋人の口付けは交わしたことはない。 ローマ法王は固く同性愛を禁じ、発覚すればたちまちのうちに捕らえられ、監獄へ送り込まれる。それを知るからこそ、二人きりであろうとも口にできなかった。 だが、ゾロには無防備に振舞うサンジからは、ゾロにしか感じ取れない愛情が篭っていた。 常に背後に付き従うゾロの気配から、溢れんばかりの愛をサンジは感じていた。 思いを殺し、想いを育み。 長い年月を共に過ごしてきたというのに、運命は互いが居てくれればいいという彼らのささやかな願いさえ、無残に握りつぶしていく。 婚礼の衣装に飾られたサンジは、手入れの行き届いた手をゾロへと差し伸べた。 このサンジの姿を、ゾロは生涯忘れないと誓った。 純白のローブを纏うサンジとは対照的に、進み出たゾロは黒いトーガ姿である。その胸元にもトーガにも、ヨハネ修道騎士団の団員であることを示す、白い十字架が描かれている。 見慣れぬ友の騎士姿を、サンジは物悲しく見つめた。 ゾロが修道騎士団へ正式に入隊することは聞いていた。ミホークの娘との婚礼が決まって、サンジたちはミホークが用意した屋敷へと移り住むこととなった。殆どの使用人や従者は彼らと共に移動したのだが、ゾロだけは、暇を願い出ていた。 これが、この男の優しさだ。 サンジへ手向ける最後の愛情だった。 ゾロは、サンジが誰と結婚しようとも生涯を彼に捧げる覚悟があった。だが、サンジはゾロほどに強い人物ではない。恋焦がれ、誰よりも愛しく思う人がいながら、違う女を娶らねばならない事実に、繊細なサンジが耐えられるはずがない。 ゾロが傍にいなければ、情の深いサンジのことである。いずれは、心憎からずサンジを慕う女性を穏やかに愛していけるだろう。だが、傍らに心かき乱す存在があれば、それは彼の平穏とはならず、苦痛に強いられた日常となる。ゾロが恐れたのは、己の存在がサンジを苦しめる結果となる。その一点のみだ。 誰よりも近くゾロと過ごしたサンジにも、その考えは手に取るように分かっていた。 魂そのものの激しさでもって、何もかもを捨てるゾロの痛いほどの愛情は、嬉しさと悲哀をサンジに覚えさせた。 白いサンジの手を、ゾロは壊れ物を扱う優しさで、そっと受け止めた。 柔らかく滑らかな手を、ゾロは過去に何度もこのように受け取った。 いつも己の無骨な手が、優しい彼の手を壊してしまわないか危惧したものだった。 ゾロに片手を預け、サンジは笑いをにじませた。 見知った人の悪い微笑みでもなく。力強い笑いでもない。蔑むでなく、虚勢を張るでもなく・・・・・・。 初めて見た泣き出しそうな目をしながらの淡い微笑みに、ゾロの胸は鋭い痛みを覚える。 こんな顔をさせたくない。 願ってきたというのに、現実は過酷でしかない。 胸の痛みを堪えて、ゾロもまた優しく微笑んだ。 「花婿が、そんな顔をするな」 「おまえこそ、晴れの出立には見えないぞ」 手を離さぬまま、サンジは身を僅かに引きゾロに目をやった。 慎ましい修道騎士団の制服を着たその姿は、彼が属した王国が地上のものではない証だ。誇り高い騎士の双眸は、透明な美しさに澄み渡っている。 ひた、とゾロと瞳が重なった。 遠い異国の血を引くゾロの瞳は、薄く見たこともない不思議な色をしている。 どれほどに表情を殺していようと、ゾロの瞳は内に秘めた激情を常に宿していた。 ゾロのこの瞳を愛している。言葉よりも雄弁な、彼の双眸に映る慟哭が悲しかった。 委ねた手を支える男らしい手は、力強く、何よりもサンジに癒しをもたらすものだった。 そのすべてが、もう自分のものではなくなる。 ゾロが去っていく悲しみと、再びに彼がサンジの影として寄り添うこともない哀しみに、サンジは胸の奥底が引きちぎられるような激痛を味わっていた。 たった一言でいい。 いちどきりでも構わない。 生涯に愛したのはお前だけだと、告げてしまいたかった。 誰がいるでもない。立ち会うものがいるでもない。 それでも、最後のこのときに、培ってきたゾロへの愛情だけは、神の前であろうと純粋無垢であると宣告できる偽りないものだ。 例え煉獄に突き落とされ、最後の喇叭が鳴り響くまで責め苦に苛まれようと。 審判の日に業火へ投げ込まれてしまおうとも、ゾロにすべてを打ち明けたいと、切に願った。 婚礼の刻限は刻々と迫っている。 神の前で誓いを口にしてしまえば、この溢れんばかりの愛情は永遠に封印されてしまう。 「ゾロ」 そうなる前に、この愛しい男が立ち去ってしまう前に。 悲壮な思いでもってサンジはゾロを呼んだ。 哀しみに青褪めた人の声に、ゾロは彼が言ってはならぬことを口にする気配を感じた。 その気配に、ゾロは瞬間、甘美な至福すら味わった。 サンジに別れを告げた直後には、ゾロは騎士団が所属する教会へ赴くことになっていた。遠いアラビアでの戦いは、長きに渡るものと聞く。このまま二度とサンジとは会うことはないだろう。 その前に、彼に隠された気持ちを打ち明け、サンジの告白を受け止めることは、なんと甘美な誘惑か。 このままサンジを連れ去り、誰一人知る人もいない土地で二人きりで暮らせないのか。いまなら誰にも見つからず、サンジを伴ってこの部屋を出て行ける。深く愛し合っている自分たちが、道を別たなければならない必然がどこにあるのか。 強烈なまでの欲望が頭の中を熱くさせ、体内で膨れ上がっていくのが分かる。 気の狂うほどに夢をみた。 サンジを余すところなく知り尽くし、夜明けを過ぎてなお腕の中に留めている夢を、無限に繰り返しみてきた。愛しているとささやきを交わし、口付けを重ね。その金色の髪に唇を埋め、海よりも蒼い瞳を自分だけのものとしたい願いは、常にゾロについて回った。 「サンジ・・・・・」 その刹那、ゾロとサンジの間には確かに音にもならぬ言葉が交わされた。 重ねあった手指を握り合い、まさにその身を互いに引き寄せようと仕掛けた。そのとき。 婚礼の時刻を告げる鐘が、高らかに鳴り響いた。 遠くまでに響き渡るその音は、清らかに美しく澄んだ音色を満たしていく。 はっ、とサンジが身を固くし、ゾロもまた己が何をしようとしていたかに気付いた。途端、どっと後悔の念が二人を押し包み、どちらからともなく、繋がれていた手は離された。 俯いたサンジの頬は、死んでいる人よりも蒼く色を失い、ゾロの目にも苦渋の色が満ちていた。 「もう・・・行かないと―――」 「ああ、お前の武運と幸運を祈る。無事に生きていてくれ」 囁き返す声は細く消えてしまいそうだった。いまにも叫びだしそうなサンジに、ひとたび触れたい想いと戦い、ゾロは腰に帯びた小さな袋に手を伸ばした。 「これを・・・渡しにきた」 優しくローブに触れるゾロに、サンジはようやくに顔を上げた。蒼い瞳が陽光を受けてきらりと光る。絶望に切り刻まれた友の白い顔は、もう死んでいるかのように血の気がない。 辛さを堪え、ゾロは大切に運んできたそれをサンジの前に差し出した。 「薔薇・・・か?」 「おまえの瞳と同じ薔薇を作らせてきたが、咲いたのはこの一輪だけだ」 「ああ、ゾロ・・・・・」 無骨な男の手にあるのは、とても小さな薔薇だった。手の中で簡単に押し潰せるちっぽけな花でありながら、それは奇跡の花だ。 誰もが夢にまで見ながら一度として目に触れたことのない、青い薔薇。 優美な花弁は深くベルベットの青から始まり、端へいくほどに朝の気配を漂わせる空の青へと色を変化させていっていた。瑞々しい薔薇からはほのかな甘い香りが漂い、自然とサンジの口元に笑みが戻った。 触れるのが恐ろしいほどの美しさに、恐々とサンジは震える指を伸ばした。 ひんやりと柔らかな花弁の優しさに、ゾロが伝えたい、そして伝えようとしているすべてが篭められているようだ。敬謙な仕草で薔薇を受け取り、ゾロを見上げた。 「ありがとう」 かすかなサンジの微笑みに、ゾロも僅かな笑いを返した。 不意に、つ・・・・とサンジが薔薇をゾロへと掲げた。 「この花に祝福のキスを与えてやってほしい。長く咲き誇り、この美しさが人々に記憶され、愛されるように。咲いたばかりの花に、キスを・・・・・ゾロ」 サンジの真摯な声に、彼が求めている本当のものをゾロは悟った。 彼らの願いに比べれば、それは実にちっぽけな、脆いまでの願いでしかない。だが、その願いは哀しみにくれるゾロの胸を温かくみたしていた。 僅かであった笑いを深くして、ゾロはサンジの瞳を見つめ、差し出された花弁にキスを落とした。 「祝福を・・・」 厳かに顔をゾロが顔をあげ、次いでサンジも、ゾロに瞳を合わせながら花弁に静かに唇を寄せた。 冷たくあった花弁は、ゾロの唇の温度を移し、彼の優しさをそっくり移しているようだった。 「祝福を」 そうして、ゆっくり頭を上げたサンジは、ゾロの体に両腕を緩く回し、柔らかに抱きしめた。 「おまえが何処へ行こうと、決して忘れない」 「俺の命は神に捧げても、心はお前のものだ」 「それだけで充分だ。もう行け」 侵してはならない禁忌を破ったことに後悔はない。 友人でも、主従でもない抱擁は、過去のどんなときよりも彼らを幸福にした。 「常に神の加護が、お前と共にあらんことを」 耳に心地よいサンジの声と抱きとめた身体の温もりを、ゾロは永遠に覚えておこうと決意した。 サンジもまた、甲冑に身を包んだゾロの姿と最後の抱擁を死の床まで忘れはしなかった。 抱き合ったのと同じ速度で、二人の腕は緩やかにほどかれる。口付けもなければ、愛を囁いたのでもない。だが、たった一度の恋人の抱擁はどんな行為よりも安らかな気持ちを与え合った。 先ほどまでの悲壮な色はサンジの顔から拭い取られ、至高の悦びに満ち満ちて美しく、清らかだ。 渇望していた、たったひとつの大切なものは、二人の魂の奥深く、誰にも触れられぬ場所に花開いた。その花は、常に芳しい香りを放ち続け、彼らが望めばいつにでも触れることが可能だ。 永遠に咲き誇る美しい花を胸に宿した彼らは、重い足枷をたったいま外され自由だった。 口付けよりも甘く優しいキスを、奇跡の花を通して交わした。 悪魔に魅入られようが、地獄へ落ちようが構わない。むしろ再びに出会えるならば、どんな地でもいい。 婚礼の儀式を執り行う司祭の声が、石造りの教会に柔らかく反射する。 娘と誓いのキスを交わす寸前に、サンジは視線を遠くへ投げかけた。 『また会おう、ゾロ』 サンジの声を聞いたような気がして、ゾロは馬上で振り返った。生まれ育った領地の城は、もう小さく影にしか見えない。だが、流れる温かな気流の中に、微かな薔薇の匂いがあった。 「ああ、そうだな・・・」 小さく呟いたゾロの口許には、やさしい笑いが浮かんでいた。 日記に置いてあるモノを拾っている作業中に発見。 見直すのが、ひじょうに怖いブツ。 あちこちに、変な箇所があるのは分かっているのですが、 ごめんなさい。ゆるしてください。 なにもできませんから・・・・!!!(滝涙) だが、コレを好きだとおっしゃてくださった勇気あるおふたり! そう! 某要さんと、某大韓堂さん。あなたたちです。 おふたりに差し上げ(押し付け)ますから!!! 受け取っておいてくださいーーー! |