『なんでもいい!助けてやれ・・・・ッ』
 睨みつけるゾロの目の力は凄まじかった。それ以上に、青褪めた必死の表情の痛ましさがナミには忘れられない。

 馬鹿だと思う。
サンジが好きなら好きと、もっと早くに伝えてやればいいものを・・・。
失いかけてから吐露するなんて遅すぎる。
ちがう、どちらもが愚かだ。
サンジもゾロから逃げていた。知られてないと思っていたのか。
ゾロを盗み見る男の瞳は、見ているほうが胸が痛くなるほど真摯だった。表情にはいっさい出さないでいる裏から、滲み出る辛い波動。

 あんな目をしていて、何年も気付かないなんて、どっちもホント馬鹿だわ。

 キッチンを見上げナミは重く息を吐いた。周囲には人が集まっていて、誰もが気がかりな顔でいる。その中には、サンジに血を分けてくれた捕虜の男も混じっていた。
 敵側の人間にまで心配さている。知らないうちに人を惹きつけるサンジらしい。
 指先にまで疲労感は蓄積されているのに、眠気は欠片も訪れなかった。神経はぴりぴりとひりついて、ヤスリに擦られているような不快感だけがある。
 息をまたひとつ零し、立てた膝の上に肘を着いて両手を組み合わせた。祈りに似た姿で組んだ指に額を擦りつける。
 チョッパーが剥ぎ取ったサンジのシャツの下には、真っ赤になった包帯があった。ていねいにはがして露になった傷口は、見た目もひどく大きく口を開いていた。滴り落ちる血の赤に、彼の命が確実に目の前で削られていくのを実感する。
 こんな傷を無視して・・・。
 サンジに腹が立ち、気付かないでいた自分に腹が立った。閉じられていく目蓋に、落ちていく意識に絶望すら感じた。

『たすけてやれ・・・・・助かる、だろ・・・』

 呟きは・・・ゾロの呟いた声はあまりに小さく細かった。この男から発せられたとは、にわかに信じられない、か細く弱い声だった。
 反射的に視線を上げれば、サンジから目を離せないゾロがいる。
 誰に向かっての言葉でもない。強いて言えばサンジに放った言葉だった。だが、あの時はナミにもチョッパーにも理解できなかった。
 機械的にゾロの言葉を受け止めたのはチョッパーだ。それなのに、心がないみたいに、ゾロは続けていた。誰の声も届いてなかった。

「命汚いヤツじゃねえか。こんなヤワなことで死ぬもんかよ」
「・・・・分かってる」
「なあ、こんなとこで死ぬなんてうそだろ?」
「分かってるってば・・・」
「なんでもいい!助けてやれ・・・・・・!」
「だからッ!分かってるって言ってるじゃないか!」

 語気を荒げるチョッパーに、ゾロは我を取り戻した。はっ・・と大きく見開いた目は、サンジと同じに痛ましい色を宿していた。
 握り締めた固い拳は、力を入れすぎて震えていた。肩も腕も、嗚咽を耐えているような不自然な震えに揺れていた。
 サンジばかり気を取られていたチョッパーは気付いていない。ナミだけがゾロが一瞬で隠した感情を見て取った。
 コレがどうしてサンジには悟られずにいれたのか。不思議に思うほどにゾロがむき出しにしたものは激しく強かった。誰が見てもソレと分かる感情を、自覚もなしに他人にあからさまにするなんて。馬鹿げている。

 どうしようもなく、馬鹿だと思った。

「大丈夫だ。絶対に、俺が助ける。だから落ち着いてくれよ、ゾロ」

 サンジへと身をかがめ、傷を確かめる船医は肩越しからきっぱり断言した。机の上にあるものをキッチンの片隅に放り投げ、サンジをそこへ抱き下ろす。
 動いた空気にゾロの緊張が、たったそれだけで緩んでいく。憑き物が落ちたように、先ほど見せた激しさは微塵もない。
 強いと思い込んでいたゾロは、こんなにも脆い男だった。『頼む』と言い残して立ち去る背中はとてもとても小さかった。
 ナミにはサンジよりも、ゾロの後姿のほうがよほどに衝撃的だった。
 キッチンを出て行きがてら、テーブルを振り向いた。サンジはぴくりとも動きはしない。血の気を失った真っ白な横顔を睨みつけ、『死んだら許さない』と魔女は呪いをひとつ吐き出した。

 傷の縫合は、飛んできた助手と即座に招き入れられたロビンの能力まで駆使したのに、時間を要した。ひたすら待つしかできなかったナミの近くでは、ルフィたちもじりじりとドアが開くのを待ち続けていた。
「どうなの?」
 血液を吸って重くなった布を山と持ち、出てきたロビンは問いかけに軽く眉を顰めた。能力をずいぶんと使ったのか、疲れの気配が濃い。
「止血はできたけれど、後のことは私には分からないから」
「助かると、思う?」
「・・・・私はそれを判断できる立場じゃないわ」
 突き放しておきながら、直後にはそっとナミに慰めの指が触れる。合わさった目には深い慈しみがこもっていた。
「私は信じているわ。彼は強い人だから、きっと大丈夫」
 声が温かい。それだけのことがナミに涙させた。こんなにも不安だった。誰かに気休めだろうが、そう言って欲しかった。
 馬鹿で不器用すぎる男たちが、すれ違ったままでいることが悲しかった。

 あんなに想いを深くしていながら、かけらも相手には伝わらないようにする必死が痛ましかった。臆病な連中だったなんて、ちっとも思っていなかった。サンジが気持ちも隠そうとしている姿も知っていたのに、どうにかなると放っておいた。
 ゾロがあんなに小さくなって、サンジには目を閉じる直前に寂しい笑いをさせた。ナミの所為じゃないのに、眺めていただけの自分がとてつもなく卑劣だと思った。
 もしもこのままで終わったらどうしよう。可能性に後悔は押し寄せる。
 涙をこぼすナミの肩をロビンは姉のような仕草で抱いて、頭を撫でる。事情は知らないはずなのに、「怖かったわね」と慰める手に涙はますますあふれでた。





  END



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