湖にて
593氏
林の中を通る街道は、隙間から漏れる豊富な日光に照らされて美しく輝いている。
その光は暖かいと言うよりは、暑いといったほうのがしっくりとくるだろう。
明るい日光が落とす木陰には黄色いラビがすやすやと寝入っていた。
世界のマナが不安定になった時は、おとなしいはずの動物や草花が狂暴化し、
通りかかる人々を襲うことがあった。
しかし今はマナも安定し、狂暴化してモンスターと呼ばれていた動植物達も本来の姿を取り戻した。
街道を行く人はまだまだ少ないが、いずれもとの活気を取り戻すであろう。
それまで熟睡していたラビの目が突然開く。
身体をもたげて辺りをきょろきょろと見まわすと、何かにおびえたかのようにぶるりと身を震わせて、
慌てて林の奥深くに入っていった。
それからしばらくして、一人の少女がずかずかとパンドーラの方向から歩いてきた。
少女と女性のはざまをさまよっている雰囲気を持っているが、
今は少しむっつりとした表情のせいで、女性と言うよりは少女と言う印象を与える。
歩みを進めるたびにポニーテールにした豊かな金髪がゆれた。
ピンクを基調とした露出度の多めな服を着ており、護身用のためか、両手にはナックルがはめられている。
とは言え、いくら安全になったとはいえ女一人で街道を歩くのは珍しい。
しかし見るものが見れば少女がかなりの使い手であることを見ぬくことができるだろう。
彼女が見せる何気ない動きはそのぐらい洗練されたものだった。
「あーーーー!!もう!!パパのばか!!!!」
歩みは止めぬまま、突然大声で叫ぶ。
余りに大きな声のため周りの木々が少し震えたようにみえた。
気のせいか先ほどよりも……いや、確実に乱暴な足取りでどかどかと街道を歩きつづける。
その足は自然とマナを祭る水の神殿の方向へと進んで行った。
やがて少女は大きな湖に行きついた。すぐそばには水の神殿があるのが見える。
ここの水は美しく澄んでおり、この強い日光の中でも冷たさを保っている。
少女は歩いているうちに少し頭が冷えたようで、表情は幾分和らいでいた。
湖の縁に腰掛けるとはいていた靴を脱いで水に足を浸す。
触れた足先から湖面に美しい波紋が広がっていった。
冷たい水を心地よくかんじながら、パシャリと湖面を蹴り上げた。
高く跳ね上げられた水の雫はきらきらと輝きながら宙に浮かび、少女の後ろのほうへと飛んでゆく。
雫の軌跡を追うと、視界の端に何かがよぎった。同時にかさりと草の踏みしめられる音。
「つめた!!」
彼女の後ろで声が上がる。少し高めな少年の声。
その声を聞いて満足げに微笑むと、少女は背後を振り返った。
「あら、ランディ、いたの?」
「いたの?じゃないよ!まったく。でもプリムらしいあいさつだね。」
「ふふ、わかってるじゃない。」
「一年近くいっしょに旅してた訳だからね。そのくらい予想がつくよ。ま、久しぶりだね。」
少年はそう言って笑う。
服装や髪型は共に冒険したころとあまり変わらない。
袖なしの丈夫そうな服を着て、無造作に刈ったこげ茶色の髪をバンダナを使ってまとめていた。
身長は少し高めと言った程度だが体格はよく、精悍な顔立ちをしている。
しかしその表情は穏やかで、19歳という本来の年齢よりは幼い口調とあいまって幾分下にみえた。
ランディもプリムと同じように靴を脱ぐと、その隣に腰掛けた。
「プリムがパンドーラを出てくるなんてどうしたの?最近じゃあ珍しいよね。」
「パパのせいよ。性懲りもなく私にお見合いをさせようとするの。
ま、あの時と同じように啖呵を切った後逃げてきたけどね……。」
「……はは、相変わらずなんだね。」
自分とプリムが出会ったときを思い出して頬に汗が浮かぶ。
あの時は廊下で出くわしたランディも突き飛ばされ、壁に叩きつけられたことを思い出す。
「まったく。私はディラックと同じかそれ以上の人じゃないと嫌なんだけどなあ……。
まあそんな人、そう簡単にはいないか。」
苦笑いをしてふうっとため息をついた。
「そう言うわけで、少し頭を冷やそうと思ってルカ様に会いにきたんだ。
ランディはなんでここにいるの? 村を離れてだいじょうぶなの?」
「まあね。今日は狩りに来たんだけど、獲物が見つからなくてさ。
うろうろしてたら林を抜けてこの近くに来たってわけ。ここまで来たからルカ様に挨拶でもと思って。
プリムを見つけて声をかけようとしたら、いきなり水をかけられたんだ。驚いたよ。」
確かに彼の横には弓と弓矢が置かれている。
質素ではあるが、その見た目とは裏腹にかなりの威力を持っていることをプリムは知っている。
というか、自分も二年前まではその弓を手にとってモンスターの中を縦横無尽に駆け回っていたものだ。
「ごめんごめん。でも今日は暑いから気持ちよかったでしょ?」
少しだけあの時の戦いに想いをはせると、気を取り直しておどけた表情と口調で言うが、その顔が不意に曇る。
口元に浮かんでいた笑みを消して、ランディに向けていた視線を水面に落とした。
「……でもさ、もうあれから二年もたったんだよね。早いよねえ、時って。」
「そうだね。まだ昨日のことのようだけど、もう二年なんだよね。」
「ディラックとポポイがいなくなって最初は悲しかったはずなのに、今はなぜか、
いないと言うことを納得している自分がいるの。忘れたわけじゃあないんだけど。」
「……僕もそうだよ。でもそうやって思い出に変わってしまうのは、仕方がないことなんだと最近思うんだ。
僕達が忘れない限りはポポイも、ディラックさんも心の中で生き続ける。
それは決して悪いことではないんじゃないか、ってね。」
「うん。そうだよ、ね。」
プリムは落としていた視線を上げ、ランディの顔を見つめる。
同時に上を向いて、空を見つめていたランディもプリムのほうを向く。
「ねえ、ランディ。私達と一緒に旅していたころよりも背、伸びたよね。
表情もあのころよりも引き締まった感じがする。」
「そうかな?僕はよくわかんないけど……。聖剣の勇者って言う肩書きのせいで、
村のみんなからは変に引かれちゃってるしね。そんなこといってくれる人、ほとんどいないし……。」
少し悲しげに答える。その横顔を森からの木漏れ日が照らす。
そこにいるのは彼女が知っていた少年ではなく、精悍な一人の青年だった。
その瞬間、プリムの胸がどきりと高鳴る。それをごまかそうと、慌てて胸をおさえた。
自分の心に起こった変化に驚き、気づかれまいと、努めて平静な言葉を返そうとした。
「そ、そうなんだ。変なこと、言っちゃったかな……。」
「別にいいよ。今に始まったことではないしね。どうしても村じゃあ僕はよそ者なんだし。
でもさ、そう言うプリムも変わったと思うよ。」
「……どんなところが?」
「言ったら怒るかもしれないけど、最初会った時の高飛車な雰囲気が消えた気がする。
すごく穏やかになった、っていうか……。」
「……。」
言葉を聞いて少し赤くなると、がばっと手を伸ばしてランディの服をつかみ、顔を近づける。
しまったと言う表情を浮かべて、ランディは顔を引きつらせた。
「……ありがと。」
しかし彼の予想に反して、帰ってきたのは意外な言葉だった。ぽかんと間近に迫った彼女の顔を見つめる。
プリムはじっと彼の瞳を見つめた。そして次の言葉をつむぎ出す。
その言葉と、少し切なげな表情にランディは思わず目を奪われた。
「ディラックとおなじくらい、ランディもカッコ良くなったと思うよ。」
「え……?」
「だから、自信を持って。」
そう言うと、無造作に彼の唇に自分の唇を重ねる。一瞬のキス。
服から手を離すと、あっけに取られているランディを水面に向かってぽんっと押す。
ランディは硬直した姿勢のまま、水中に落ちてしまった。
それほど深い場所ではなかったため、ランディは腰までを水に浸しながらいまだに呆然としている。
プリムはけらけらと笑うと、ランディに向かって手をさしだした。
ようやく我に返ったランディはその手をつかむと、ぐいっと力任せに引っ張る。
今度はプリムがバランスを崩してランディの上に倒れこんでしまった。
プリムの背中に腕を回して軽く抱きしめると、くすくすと笑う。
驚いていたプリムもそれに呼応するように笑い出した。
空は青く澄み渡り、世界の色を美しく浮かび上がらせている。
その中を笑い声が響き渡ってゆく。
そして風が、なつかしい風が二人の間を楽しそうに通り抜けていった。
(END)
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