椅子は口をきかない
348氏
「いいてんきでちねー」
「うん。いい、天気」
舌足らずな少女の声と、たどたどしい少年の声。ローラントの強風も、今日は少しだけ穏やかだ。
木陰に座って魔術書を読んでいたアンジェラは、軽く度の入っている眼鏡をはずして、その出所に目をやった。
シャルロットとケヴィンは山々を見渡せる崖の上で日向ぼっこのようだ。シャルロットは胡坐をかいたケヴィンの膝の間に収まっている。
――兄妹みたい。
くすり、と自分の連想に苦笑してアンジェラは立ち上がる。
まさかあの二人が、『死の腕』と恐れられる格闘家と『死人使い』と呼ばれる外道術者だとは、誰も思わないだろう。かく言う彼女も『ルーンマスター』という、あまりまっとうなクラスではないのだが。
「む。アンジェラ、シャルロットせんよーイスをうばいにきたでちか」
ぐりぐりと後ろあたまをケヴィンの胸板に押し付けていたシャルロットが、首を捻ってアンジェラを睨みつける。そんな視線も微笑ましくて「違う違う」とアンジェラは首を振った。
「ちょっと、ね。あの魔術書の解読にもあきちゃって。仲間に入れてもらいにきたの」
「シャルロットー。椅子、って……」
「ウルサイでち。イスはクチをきかないっ」
「うー……」
はっきり言って口下手なこの少年が、見かけのわりに口も頭の回転も速いシャルロットに勝てるわけがない。
いつもの通りこうして不満げに唸って、彼はシャルロットの頭に顎をおいた。そうすると小柄なシャルロットはすっぽり彼の体に包まれることになる。
ふふん、と満足げに息を漏らしてシャルロットはケヴィンに体重を預けた。
「仲いいわねえ」
「仲良しでちよー」
「あ、う。なか、よし?」
ケヴィンは戸惑ったようにアンジェラを見上げた。月夜の森で、ずっと子狼と一緒だった彼は人間相手の接し方がひどく不器用だ。
呆れたようにため息を吐いたアンジェラは身を屈めてケヴィンの頭をくしゃくしゃにする。うう、と呻いてケヴィンは目を逸らした。
彼の目の前に、アンジェラの豊満な胸が真正面から飛び込んできたからだ。
「ねえケヴィン。こうしてシャルロットと日向ぼっこするのは嫌?」
「そんなこと、ない」
「こういうふうにシャルロットがべたべたしてきても平気?」
べたべたとはなんでちか! と騒ごうとするシャルロットをひと睨みで黙らせて、アンジェラはケヴィンの瞳を覗き込んだ。
綺麗な目だと思う。瞳に写る景色は、どこまでも真っ直ぐだ。
「うん。シャルロットと一緒だと、あったかい」
「ふふ。まあ、お子様の体温は高いしね」
シャルロットがそんな会話に不満をあげる。まだるっこしい。こういうのは理屈じゃないのに。
「ああもうっ、コムズカシイことはどうでもいいでち。『ケヴィンはシャルロットとなかよし』。はい、ふくしょー!」
「あう。お、オイラ、シャルロットと仲良し」
「もーいっかい!」
「オイラはシャルロットと仲良し!」
よし! と頷いてシャルロットはアンジェラを見上げる。……アンジェラ視点ではどうも勝ち誇った表情のようで気に喰わない。
こほん、と空咳をしてアンジェラはケヴィンに笑いかけた。
「ま、そーいうことね。ケヴィンはシャルロットと仲良し」
ぱちぱちと瞬きをしてアンジェラと胸元のシャルロットを見比べたケヴィンは、「うん」と小声で呟いた。腕を回してシャルロットを抱きしめる。
「うん。……へへ、オイラ、シャルロットと、仲良し」
よしよしともう一度ケヴィンの頭を撫で回してアンジェラも座った。景色を三人で黙って見つめる。
ここからは、花畑も、遠くの山の連なりも、突き抜けた蒼穹も、心地良さをもって目に飛び込んでくる。
遠くで空の散歩中のフラミーが身を捻って挨拶した。笑って手を振り返す。
「んー……」
「あ。シャルロット、寝ちゃった」
すうすうと寝息を立て始めたシャルロットを困ったように見たあとで、ケヴィンは微笑んだ。仲良し、うん、仲良し。
「ふうん、いい顔するじゃない、ケヴィン」
「わ。あ、アンジェラ!」
いつの間にか移動したアンジェラが、背中合わせに彼に体重を預ける。そうして首だけを後ろに倒して、肩を支えにしてケヴィンの表情を覗き込んだ。
いきなりの気恥ずかしさにケヴィンはうろたえた。シャルロットとはまた違う柔らかさ。シャルロットとはまた違う匂い。ケヴィンの顔に朱が走る。
「んー、どうしたの?」
「う、ううん。なんでも、ない」
これが顔を合わせている状況であれば、ケヴィンは盛大にアンジェラにからかわれたことだろう。Luckに一度もパラメータを振ったことのない彼にしては幸運である。
「う……ん。なんか、おしりがかたい……でち」
寝言であった。そしてケヴィンはやはり不幸であった。
「ふううううん?」
にやりとアンジェラの顔が歪む。
あ、う。としかもう言えないケヴィン。
首まで真っ赤にしてケヴィンは俯いた。その気になればダークロードすら体術で屠る格闘家もこうなっては形無しだ。
「――ねえ、ケヴィン?」
「う、うん!?」
急に破られた沈黙にケヴィンが身を竦ませる。何を言われるのだろう。またからかわれるのだろうか。
「わたしと、仲良しにならない?」
「え――――」
全てにおいて予想外の問いかけだった。
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