お昼時も終わろうという頃、厨房にいた私は、カウンター越しに大声で呼び掛けられた。
灯滝っ、高カロリーなものから順番に出しなさい!」
「私、料理人なだけで給仕じゃないんだけど……」
「い、いいから持って来なさいよっ! 少しでも肉を、脂肪を付けるのよ……!」
 そう言うと腐川さんはカウンターから離れて、席に着いてしまった。
 ……仕方がないので、オーダーに応えることにする。リブロースソテーの、脂身が多いところを選りすぐって(でも、もたれるだろうからサッパリする付け合せも乗せて)彼女の前に差し出した。

 腐川さんが来たのは、あと数十分で私が昼休みとして厨房を抜ける時間帯だった。すなわち……腐川さんは朝の暴食がこなれるまで、ここまで掛かったのだろう。
 彼女は朝日奈さんと競うように口にしていたものの、量は朝日奈さんに遠く及ばなかった。以前の食事の様子からして普段は小食だろうから、それでも相当無理をしていたに違いない。
 厨房の片付けも終えた私は、お茶を片手に腐川さんの向かいに座った。
 彼女の食べ方は、飲み込んでは次を放り込むフードファイトさながらで、その必死の形相に私は修羅を見ていた。

「むぐ、……な、なに見てるのよ……」
「おかわりのオーダー待ちだよ。仕事は片付いたから」
「……っく、……皿が空いたら呼ぶから、あっちに座ってなさいよ」
「ここ離れるくらいならもう昼休み入るけど、いいよね」
「…………」
 それきり腐川さんは返事をすることなく、再びリブロースとの戦いに戻った。……どうしても私に給仕をさせるつもりらしい。


 一人前の3分の2を越えたところで、彼女のペースは急激に落ちた。脂身が堪えてきたのだろう。このままだと二皿目に届くかも怪しい。付け合せの野菜にばかりフォークが向いていた。
「腐川さん、おかわりはやめたほうがいいと思う。逆に吐いちゃったら、カロリーも何もなくなっちゃうよ」
「……な、なによ、知った顔して。だったら……お、お茶とデザートくらい、出しなさいよ……」

 腐川さんもデザートは別腹なのか……いや、味が違えばまだ口にできると踏んだだけな気がする。
 私は冷蔵庫から作りおきのパンナコッタを取り出し、急造のレモンシロップを掛けてハーブティーと一緒に持っていった。
「どうぞ。パンナコッタのカロリーは中々だよ。シロップで食べやすくなってると思う」
 腐川さんはちょうど最後の一欠片を口にするところだった。しっかり完食する気迫は相当のものだ。そうさせるほどに、十神くんの言葉は彼女にとって強い魔力を帯びているんだろう。


 無言でメインを食べきると、お茶を含んで腐川さんは息を吐いた。すでに苦しそうだ。
 だが彼女は休むことなくデザートスプーンに持ち替えて、更に食べ始めた。
 一口、今度は粗雑に飲み込まずに、ゆっくりとした動きで嚥下して……溜め息を付いた。
「あんたって……料理しかしてこなかったオーラがぷんぷんするわ……」
「そうだよ。もう10年はそういう生活してるし」
「……当然って顔ね。……とうに限界の量を食べているのに、デザートまで美味しいと感じるなんて……く、悔しくなるわ……」
「本当はデザートは専門外なんだけど……腐川さんがちゃんと味わって食べてくれて嬉しいよ」
 謙遜が鼻に付くと、しかめっ面で吐き捨て、腐川さんは二口目を掬って含んだ。咀嚼が必要な固形より、こういった口の中で溶けるものは食べやすいだろう。


「料理女のあんたは……ど、どうせ……私の本のことなんて全然知らないんでしょ……?」
 突然の話題で戸惑ったけれど、腐川さんは何か私に話す気分になったらしい。
「……私は読んでないけど、職場の同僚が」
「ほ、ほら、やっぱりだわ!」
「でも、評判とヒット作のあらすじくらいは知っているよ。仕入先の漁港でも漁師志望が湧いて出たって言ってたし」
「……そ、そう……フ……フフ……」
 腐川さんが恋愛ものの文学作家というのはもちろん知っている。料理の影にいる私より、よっぽど世間で名が知れている存在だ。

 腐川さんは私の答えに満足したようで、お茶を片手にうっとりと宙を見上げた。
「恋愛なんて紙の上だけで充分……そう思っていたけど……白夜様が私の全てを変えたのよ……」
「え……、うん……」
 彼女はまた急に違う世界に行こうとしていた。……容易に戻ってきてくれる気がしなかった。

「白夜様の願いを何でも叶えたい……。死ねと言われれば……死ぬかもしれない。でも……傍でお仕えしたいという、私の浅ましい欲が……愛しい人の命をも背かせる……そんな気もしているの……」
 ……私は、すぐに返せるような言葉を持ち合わせていなかった。
 恋とは、愛とは、と熱っぽく語る彼女は、恋愛というフィールドで私の遥か先に居た。
 矛盾した気持ちを抱えながら相手を想うというのは……経験値の少ない私にとっては複雑で奇妙に映った。


「私は……もっと料理の道を極めたいから、死ねって言われても死にたくないんだけど……。でも、それで逆に相手が死んじゃうのなら、何か別の……第三の方法を考える、かな」
「甘い、青い発想だわ……。もしそんな事態に陥ったら……すでに八方塞がりになっているでしょうね。……私は……私だけが生き残るなんて絶対嫌よ。白夜様を生かすか、一緒に生きられないのなら……後を追うわ」
「腐川さん、縁起でもないからやめよう……」
「相手が死ぬなら、なんて話をしたのはあんたの方よ……!」
「あ……ごめん。」
 自分からそんな言葉が出てきたのは……ずいぶん前にさせられた葉隠くんとの“約束”のせいだろうか。今の今まで忘れていた。
 ただ、もし約束を守るにしても、出来る状況かはその時になってみないとわからない。

「でもその、葉隠くんが占いで“今後人殺しは起こらない”って出たって言ってたし、前向きに……」
「あんた……あのインチキ占い師を信じるの? ……頭わいてるんじゃないの?」
「……そうなるといいって希望だよ」
 ひどい言われようだけど、葉隠くんも腐川さんを散々な言い方していたのでどっちもどっちだった。
 後半の私に向けて言葉は、……腐川さんはそういう人なのだと思う他ない。

 腐川さんはまた一匙を口に含んで、押し殺すような声で私に言った。
「私は、白夜様以外信じていないわ……」
「でも私が作ったご飯食べてるよね」
「そ、それは白夜様のためよ!! 白夜様好みの女に、なるためよッ!!」
 強くテーブルを叩いて私を睨む腐川さんに、私はティーカップを差し出した。
 無言で飲み干した彼女は、乱暴にカップをソーサーに置く。

「お茶のおかわり、持ってくるよ」
 立ち上がってカップを持ち、厨房に戻る私を腐川さんは引き止めなかった。
 パンナコッタはあと3分の1を残すばかりだった。これから彼女は想い人のために完食するのだろう。
 ペパーミントとカモミールの香りが、彼女の激情と胃もたれを落ち着けるよう願いつつ、私はティーポットにお湯を注いだ。


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