灯滝実ノ梨が希望ヶ峰学園へ入学した後も、塔和灰慈は彼女と接触する機会を持ち、料理人と客の関係を保っていた。
 灰慈は10年近く前、小学生であった頃の灯滝に出会って以来、彼女に好意を持っていたが、今も持ち続けているそれが性的嗜好によるものか恋愛感情なのかは、本人にも分かりかねるところであった。
 師事する店を離れた灯滝が本来の学生的な生活を送ることに慣れたころ、灰慈は彼女に一つの提案を投げた。
――「いいか、実ノ梨。オレはお前の料理も気に入ってるが、お前自身のことも気に入ってる。料理に費やす時間のほんの一部でいい、一度オレに預けてくれ。それでお前が何とも思わなかったら、もうオレはただの上客でいい。」

 それは有り体に言えば、デートの誘いだった。灰慈にとっては己の見極めと、一か八かのアプローチ。料理以外に目を向けだした灯滝にとっては、未知への招待状だった。
 誘いを受けた灯滝は灰慈により、鮮やかで刺激的な世界を知る。一方の灰慈は、灯滝への感情を性的かつ恋愛的な好意、その両方なのだと確信した。
 互いの好感触から後は、好展開をたどるのみだった。そのまま二人は交際を始め、新たな関係は順調に進んでいた。
 ……だが平和で平凡な日常は長く続かなかった。ざわつく予備学科の“パレード”、上級生の不穏な失踪、そして――“人類史上最大最悪の絶望的事件”へ、非日常は加速した。



 一連の絶望化計画に塔和グループが加担している状況を知っていた灰慈は、人類史上最大最悪の絶望的事件の発現後、灯滝を危険から守るために塔和に置こうと、性急ながら結婚を迫った。しかし親が行方不明となっていった灯滝はすぐの返事を拒み、まもなく学園シェルター化計画が実行されて二人は離ればなれとなった。
 灰慈は、江ノ島盾子らが灯滝ほか78期生の記憶を奪うことを知らされていなかった。学園生活中継を見始めて、初めて事態を把握する。しかし外部からは何も出来ず、ただ灯滝が死なないようにと祈るほかなかった。
 灰慈は灯滝の学園生活を画面越しに追い続けた。それは江ノ島が死に、本来の役目を終えた監視カメラが音だけを外部に届けるようになっても、であった。

 灰慈の願いも通じてか、灯滝は無事に生き残った。だが灯滝が学園外に出られ、灰慈がどんなに彼女に会いに行きたくとも、彼は塔和シティから出ることを許されていなかった。次期党首を危険な外へは出させないという“塔和”の意向。さらに、灯滝を諦めるように、との通達が彼を追い打つ。
 灰慈が悶々と過ごしていることなど露知らず、灯滝ら78期生は未来機関に保護され、後に所属が決まる。裏の塔和と敵対する機関――最も接触の叶わない場所に行ってしまった彼女を求め続けることを……灰慈は次第に諦めていった。



 78期生の“卒業”からおよそ半年後、塔和シティにて“コドモ革命”が勃発。
 突如襲い来る“塔和製の”モノクマと、モノクマヘッドの子どもたち。混乱のさなかに灰慈は右腕を潰され、父親であり塔和グループ会長の十九一を殺された。
 生き残りの大人たちを集めてレジスタンスを結成するも打開策など無いに等しく、様子を窺うのみで数日が過ぎた。
 そんな彼に一抹の光を照らしたのは、未来機関製の“対塔和”ハッキング銃を持ってモノクマらに立ち向かう少女・苗木こまる、そして未来機関所属という腐川冬子だった。

 「絶望に立ち向かえ」――こまるの演説を機に、ついに灰慈は立ち上がる。
 だがそれすらも、首謀者であり灰慈の異母妹・塔和最中の策だった。
 暴走する大人たちの一人となった灰慈は、洗脳で操られている子どもたちを殺すことすら厭わなくなり、コントローラの破壊による事態の収束をこまるらに急かす。
 しかし少女二人は、二者択一の選択を放棄した。

 子どもと大人、“どちらも助ける”という第三の選択により、未来機関と絶望の残党の戦争は免れた。しかしモノクマを停止させ洗脳された子どもたちを“解放”しない限り、塔和シティでは大人たちの最悪の日々が続く。
 モナカの“第二の江ノ島盾子計画”は潰えたが、灰慈の“復讐”という希望もまた潰えた。塔和の全てを失った灰慈は、片腕の利かなくなった己が身一つとなり、壊滅した街で虚無に浸るのだった。


***


 数日後。モナカらの拘束から開放された十神白夜は未来機関への事態報告の後、早急に要救助民の保護を行った。
 要救助民解放計画の本部隊・十神および予備部隊・葉隠、そして生存する要救助民たちがシティ内の神社にある“秘密の抜け穴”を利用して外部へ脱出する際、灯滝は補助メンバーの一員として未来機関から派遣されていた。
 彼らや、灯滝の要救助民である元超高校級の料理人・“師匠”との再会を喜ぶ灯滝。だが腐川・こまる両人はモノクマの暴走阻止に奔走し神社に現れなかったため、食料補給担当の灯滝は二人のアジトに食料を置くべく、他のメンバーと共にシティ内の移動を始めた。
 
 自分の料理を気に入る客であった“塔和”の象徴――その惨状は灯滝にとって想像以上の衝撃だった。
 そして何故か胸に迫りくる、憶えのない懐かしさと、それを破壊された喪失感。
 “一緒に眺め下ろしたタワー”、“待ち合わせをしたくて指定したメトロの駅”、“普通に歩くだけでいいのだと言って、手を引いてまわった地下街”…………欠けていたパズルのピースが突如として、灯滝の頭の中にザラザラと降ってくる。
 ――ずっと思い出さなかったのは、思いの詰まった場所と人物に触れる機会がなかったから。
 “会うべき人物”が、ここにいる――!
 閃光のような啓示に、灯滝は走り出していた。単独行動厳禁の決まりなど、もはや吹き飛んでいた。



 塔和シティは“彼”の庭だった。そんな彼が気に入っていた場所は、目立たない場所は――ひたすらに駆ける中、灯滝は答えに辿り着く。
 モノクマを壊し続ける大人たちのその奥に、灯滝は彼を見つけた。
 息が乱れて苦しかった。走り続けたせい、だけではない。パズルのピースは見事に嵌まり、“戻って来た想い”が、こぼれだしていた。
「“灰慈くん”……っ」
 まっすぐに駆け寄って抱きしめる。
 ぼろぼろの服、ほつれた長い髪、伸ばしっぱなしの髭、そしてギプスで固定された右腕。2年半前と見た目が変わってしまっても、灯滝は灰慈を見誤らなかった。

「……実ノ梨……? ああ、そうか……」
「灰慈くん、ごめんなさい、私、灰慈くんのこと、」
 ようやく呟いた灰慈の声は、ひどくか細かった。
 腕を緩めて、灯滝は灰慈を見上げた。虚空を見る瞳を覗くが、灰慈は彼女に焦点を合わせない。
実ノ梨……オレにはもう何もない」
 小さく動いた唇が語る囁きのような言葉を、灯滝は必死に追った。
 かすれて所々が聞き取れなかったが、灯滝は彼の一語一句を間違うことなく捉える。


「今更来られても、何も出来ねーんだよ……なあ、実ノ梨……」
 学園シェルター化前に灯滝を塔和の庇護下に置いたところで、こんな結末であればむしろ殺されていたかもしれない。
 たとえ記憶を奪われても、あの学園生活を生き残って未来機関に所属したことは、彼女にとっては限りなく最高の状態なのだと、塔和の崩壊を経た灰慈は切に感じていた。
 灯滝の記憶が戻ったところで、灰慈が彼女とやり直すシナリオなどなかった。灰慈はすでに、過去に灯滝を諦めていた。そして、灰慈を灰慈たらしめる“塔和”は死んだ。……彼自身がそう思う以上、かなうことはない。

「何もいらない、しなくていいよ! 私思い出したから、灰慈くんとのこと」
「わかるんだよ、実ノ梨! これでもオレは、お前を愛していたから……今もだけどなぁ」
「だ、だったら……そんなこと言わないで――」
 突然声を荒げたと思えば、優しく灯滝に語りかけ、灰慈はいびつに笑みを浮かべた。かつての彼とは明らかに異なるその挙動に、灯滝は一瞬気圧される。
 灰慈が彼女を見つめるが、瞳は合わないままだった。


「――お前、他に男がいるだろ?」
 笑顔のまま、灰慈は左手で灯滝の頬を撫でる。虚を突く言葉と仕草に、灯滝の体はビクリと震えた。
 灰慈は追っていた。コロシアイ学園生活を送る灯滝の中継映像を。
 灰慈は聞いていた。江ノ島が死んだ後も電波に乗っていた、灯滝と“あの男”の会話音声を。
「半年なんてすぐだよなぁ……お前は簡単に別れるような女じゃねーし、相手が簡単にお前を手放さないのは……オレが一番わかってんだよ」

 “2年の記憶を失った灯滝は、ひと月にも満たないコロシアイ学園生活の中で葉隠康比呂と心を通わせ、恋仲となって卒業した”。
 灰慈は知っていた。灯滝自身が知らない2年間も、新たな人間関係も。
 ――当人にとってのハッピーエンドが、第三者にもそうであるとは限らない。
 灯滝は言葉を発することができなかった。
 想いが戻っても、関係を元通りにはできない。過ぎた時間は戻せないのだ。時は、途切れた関係の上に新たな人物との関係を築いていた。当然、今の灯滝が持つ葉隠への想いも消えはしなかった。



 押し黙った灯滝の様子から、灰慈は自分の想像通りであったことを悟っていた。
 望みを持つのはとうにやめていた。それでも、強張る彼女の顔をぼんやり瞳に入れ続けていると、どうしてこんな表情しか見せないのかと悲しさが湧いた。
「お前が選ぶのは必ず“どちらか”だ。“どちらも選ばない”なんて、お前には無理だ。“どちらも選ぶ”だって通じねー。まずオレが降りるからな。……するとどうだ? 見事に解決だ。さあ早く戻れよ、なあ」
 諦観に染まった灰慈は乾いた笑い声を上げる。
 左手は灯滝の耳朶を掠め、指先で髪の毛を摘んでは滑らせていた。半年前に画面越しで見た時よりも伸びた彼女の髪は、彼が以前に触れていた頃と同じようにしなやかで、わずかに心が動く。

「でも、灰慈くんはっ」
「こんな状況で、あの男と別れてオレを取るなら、そんなのは同情だ。間違えるんじゃねーぞ、実ノ梨
 投げやりな言葉の裏で――灰慈は、過去を思い出さずにいたほうが灯滝は幸せに生きられたのだろうと、同情していた。
 ……絶望を乗り越えて新たな恋に落ちた先の、この仕打ち。
 いずれ誰かから過去を知らされようと、感情を伴わなければ灰慈との関係も単なる“過程”で終わったはずだった。

 新たな絶望の舞台が塔和シティとなり、灯滝が未来機関にいる以上、避けられなかったのかもしれないが――しかし、こんな切っ掛けで思い出せる程度には、彼女は自分を想っていたのだと……自惚れていいのだろうか。
 ふと、そう思い至った灰慈の瞳は、にわかに灯滝をくっきりと捉えだす。選べない選択肢を灰慈がなくしても、彼女の顔は曇り続けていた。
「……思い出したなら、わかるよな? オレは塔和だって世界だって、どーでもいいんだ」
 今までのどれより芯のある灰慈の声。しかし灯滝にはそれが嘘だとわかる。自由に生きるための強さを持てなかった彼の、“いつもの”言い訳だった。


 灰慈は灯滝の頭を左手でひと撫でして、抱き寄せた。
 強く押さえようとする右腕の硬いギプスが、灯滝の背中をこする。
 ……こんな別れがあるのかと、灯滝は唇を噛んだ。
 最初は明らかに心を壊していた。しかし途中から灰慈は、壊れたふりを続けながら、正気を覗かせた。
 諦めていても、本当は灯滝を求めてやまなかったと、この抱擁が物語る。しかしそれでも、灰慈は彼女を手放すことを“選ぶ”のだ。

「……私に選ばせてくれないなんて、おかしい……」
「今は……無理だ。だから行け」
 折れた心の癒える時が来たら。自らの足で前に進む強さを得られたら。
 そんな日が来るかも、そんなふうになれるかも、今の灰慈にはわからない。
 ただこれは、今の灰慈が灯滝にできる精一杯の見栄だった。それは灯滝も感づいていた。
 「女の前で男はいい格好したいのさ」――要救助民であった葉隠の母・浩子が、灯滝と神社で会った時に息子・康比呂を見て言っていた。
 ……灰慈も同じなのか。灯滝は思う。


「そうやって、勝手ばっかりする……」
 灯滝は灰慈を強く抱き返した。首筋に顔を寄せると、“洗っていない犬の匂いがする”……かつて学園生活の中で友人が発した言葉を思い出し、ふっと笑みがこぼれる。
 その息が聞こえたのか、手入れされぬまま無遠慮に伸びた灰慈の髭が、灯滝の頬をざらりと横切った。
 触れるだけの口づけをして、灰慈は灯滝を見つめる。長い睫毛の奥の瞳は、正しく世界を見ていた。
 ささやかすぎて拍子抜けした灯滝は、唇をついばんでいた。想いは確かなのだと、心がさざめいて止まなかった。
 この先などないかもしれないというのに、灯滝はろくに言えぬまま、ただただ灰慈との交歓を繰り返す。……だが、それでも伝わるのだ、彼には。彼女が言葉で語るのが苦手であることを、10年以上前から知っているのだから。

「あーあ、最高だ。ここで殺してくれ」
「生き続けて、灰慈くん。大好きだから、ずっと」
「お前……会わない間に最悪なこと言うようになったな」
 額に寄った皺の上に、灯滝は唇を乗せた。それを最後に、灯滝は灰慈から身を離す。灰慈も止めることはなかった。
「とっとと帰れよ、実ノ梨。幸せに生きろ、絶・対・に・な」
 呪いをかけるように、灰慈は言葉を吐きつける。
 だが、先にひどい呪いの言葉を掛けたのは灯滝のほうだろう。
「……灰慈くんもだよ」
 返事の後、灯滝は灰慈に笑顔を見せてすぐに背を向けた。


 周りでは大人たちがモノクマを壊し続け、一体、また一体と残骸が転がる。
 誰も灯滝に声を掛けなかった。そもそも、これまでの二人の逢瀬も気に留めていなかった。
 灯滝は再び駆けた。
 勝手をしてはぐれたメンバーと合流は叶うだろうか。無事に戻れても、各所から大目玉を食らうことは必至だが……なりふり構わずに来たことに後悔はなかった。

 ――灯滝は灰慈に愛されていたし、灯滝は灰慈を愛していた。
 今なお愛があれど……愛ゆえに二人は別れる。

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