「今日も一日お疲れ様!」
「ん、おつかれさん!」
「そして何より……葉隠くん誕生日おめでとう!! かんぱーい!」
「カンパーイ! どうもな!」
 グラスをかち合わせた二人は、早速と中身を呷る。
 一口、二口と飲んで、灯滝が葉隠に目をやると、彼はまだ飲み続けていた。
 喉仏の動きだけで、この時を待ちわびていたのだとわかるような――傍から見ていて気持ちがいいほどに、勢いのある飲みっぷりだ。

「っぷはぁ!! あー、生き返る……!」
 ビアグラスを殆ど空にして息をつく。炭酸が、アルコールが、体に染みゆく余韻に浸るように、葉隠は僅かばかり静止した。
 美味しそうに飲む様子に、見ていた方もつい刺激されてしまう。灯滝も再び自分のグラスに口をつけた。
 そしてビールの忘れ物に気づかぬまま、じんわりと幸せを満喫している葉隠に、クスッと笑みをこぼす。
「ね、口ひげ、白くなってる」
「えっ! ……そうか、俺も歳だからな……」
「違う違う。あー、おじいさん、拭えば元通りですよぉ」
 わざと声を震わせて、年老いたように声色を変える。葉隠は口元を舌先でペロリとなぞった。

「んむ……泡か。ま、ビールが美味いから仕方ねーな」
「ひとつ歳取っても、急に真っ白にはならないよ。まだ20代だし……、だよね?」
「……オメーの歳に2、3足して三十路になるか?」
「ならないね」
「だろうな。最近何故か、おっさん認定されたり、オジサンくさくなったとか言われるが……俺は嘘偽りなく若者だべ!」
 息巻く葉隠を見つつ、うんうんと頷く灯滝。その要因はたぶん髭と眼鏡にあるよ、とは返さずに、彼女は流した。

 葉隠のグラスにビールを注ごうと、灯滝が瓶を持つ。普段は互いのペースに干渉しないよう手酌にしているが、今日は特別だ。
 素振りに気づいた葉隠は、サッと手をグラスへ被せた。しかし目で訴えられると、小さく唸ってグラスを灯滝の方へ傾ける。
「なんか……出世したお父さんみたいだべ」
「誕生日だから、今日だけね。あと数時間で魔法は解けるよ」
「……夢心地味わっておくべ」
 彼女にこういった気遣いをさせるのは、あまり進まない葉隠だったが――現実が迫る前に恩恵は受けられるだけ受けようと……心に決めたのだった。



 二杯目からは、料理とともに口に運ぶ。小さなテーブルに所狭しと並んだそれらは、当然のように灯滝の手製だ。
 一段と気合が入った今日の晩ご飯。その一つ一つに、葉隠は感嘆符を並べて彼女に伝える。
 どれも彼の好物ばかりだった。それも彼女の手に掛かると、別所とは美味しさがまるで違う。
 さらに――かつてはよく出回っていた材料でも、今では希少になっていることも少なくなかったが……そんな品まで堂々と鎮座していた。
「しかし、何でこんなに揃えられたんだ? それに、オメーだって仕事してんのに……作る時間は?」
「材料はツテで、第十一支部の人にお願いしたり……仕込みは合間合間で、少しずつ。それで、今日は時間きっかりに上がらせてもらって、仕上げ……って感じかな」

 言わずもがなの腕前だったが、存分に発揮できる環境に置いた結果がこうなのかと、葉隠はあらためて彼女の才能を思い知る。
「……オメーの転属が正解だったって、今なら言えるべ」
「仕事の時には会えなくなったけど……前よりいろんなご飯を作れるようになったよ」
「俺は引き止めたかったが、支部長が…………つーか霧切っちはマジでどこまで読んでるんだべ、怖いべ……」
「何か言ってたっけ?」
「まあ……俺のためにもなるって……」

 葉隠が眉をハの字にしながらでも、口に含めば勝手に「美味い……」とこぼれる。まるで白旗が上がるような、その様子に灯滝は嬉しさを隠さなかった。
 閉ざされた中での学園生活、荒廃した世界、そして未来機関に正式所属しても自由にならなかったのは、食材と設備だった。
 灯滝は先日より食糧支援に関わる第十三支部に転属し、就業時に料理をする機会は以前より格段に増えた。元・超高校級の料理人として好適な環境への配置転換だった。
 そこで隙を見つつ準備を整え、一部は仕事の縁で手に入れた材料も使って仕上げたのが、今日の品々。満を持しての提供だった。

 喜々として箸を進める灯滝に対し、葉隠は酒で落ち着きを取り戻そうとグラスを呷る。
 美味しすぎるのも考えものだと、葉隠は時折思う。彼女の料理に感服してしまうばかりで、気の利いた対応や世間話ですら彼方へと追いやられる。
 ものを口に入れては、単純な言葉の応酬の繰り返しだ。美味い、よかった、すごい、嬉しい――しかしそれが心地良いのも確かだった。
 何より、祝われる側でない目の前の彼女が、こんなにも楽しそうであれば……他は余計というものだろう。


「年に一度の特別だからね。おめでたいって感じ、出したかったんだ」
 葉隠のグラスの中身が空くと見て、灯滝は冷蔵庫から次を用意しようと席を立った。
 奥に向かう姿を見つつ……葉隠は彼女の言葉に引っかかりを覚える。
「……生まれた日で、めでたい……うーん……。でも俺は勝手に出てきただけで……頑張ったのは母ちゃんだべ。……ん? っつーことは、実は誕生日って母ちゃんに感謝する日なんじゃねーか?」
「! そっか!」
 葉隠にとって自分の母親は、世間のそれより格段に特別な存在だ。
 灯滝もそれを端々から感じ取っていた。それほどに彼が愛する肉親に、憧れもある。葉隠の母――葉隠浩子は、あらゆる意味で灯滝が絶対になれない存在であった。

「私も、葉隠くんのお母さんに“ありがとう”って思うよ。だって葉隠くんがいなかったら、こういう今日はないわけだし!」
「だよな! ……今日、母ちゃんも居れば完璧だったな。こんな飯食ったら、めちゃくちゃ気に入ってくれるべ」
「浩子さん……会ってみたいな。解決したら……」
「こればっかりはな……。でも母ちゃんのことだから、テキトーに上手くやってるって」

 現実問題を思うと、実現にはしばらく掛かるだろう。しかし希望は捨てない。仲間がそこで奮戦している。自分たちもいつか――そんな思いもある。
 灯滝が栓を抜いて、葉隠におかわりを注ぐ。最も美しい比率で泡が作られると、二人して頬をゆるめた。
「まあ、今ここにはいねーが、母ちゃんマジでサンキューってことで! 俺の母ちゃんに乾杯だべ!」
「乾杯っ!」
 酔いも入ってか、二度目の乾杯は前より力強く、手狭の部屋に響いた。



「やー、食った……なんつー幸福だべ」
「量は丁度よかったかな」
「腹八分目でこの満足感……これ以上は、俺の体が横に成長しかねないべ……」
 腹をさすっていた葉隠だったが、灯滝も食べ終えたのを見ると、瓶に残ったビールを自分でグラスに入れた。
 瓶を持とうとする手を制し、かわりに彼女のグラスを持って差し出す。
「最後は、実ノ梨に乾杯だ。サンキューな!」
「私?」
「祝ってくれる奴がいなかったら、誕生日もただの一日だべ。」

 あいている右手で頬杖をついて見つめれば、灯滝との距離は少しばかり近づいた。
「誕生日が何で嬉しいかって、誰かが祝ってくれるからだろ? 美味い飯を食えたり、プレゼントくれたり。だから、“ありがとう”だべ」
 グラスを受け取り、灯滝は両手で持って中身を覗く。ゆらりと揺れ、波紋を作っては消え……彼女は照れ混じりに、彼とグラスに視線を彷徨わせた。
「……あの、食べながら、ちょっと考えてたんだけど…………誕生日を迎えておめでたい、っていうのは……たぶん、無事に一年間生きたことのお祝いなんじゃないかな。ほら、昔って――あ、今もか……簡単に人が亡くなってしまう世の中だから、その……」
 言葉を切り、灯滝は葉隠だけを瞳に映す。やわらかに自分を見るその目を捉えて、続けた。

「私も、葉隠くんに“ありがとう”。ここにいてくれてありがとう」
 あらたまった彼女の感謝の五文字は、ひときわ彼の胸に響く。
 幾度となく伝えられているというのに、今日この瞬間のそれは――あの学園生活での“卒業前夜”を想起させた。
 言い方も違う、状況も違う。ただ同じなのは、繰り返された“ありがとう”、それくらいだ。
 多弁ではなくとも、灯滝は伝えたいことは素直に届けてくる。そういうところは変わらないのだと感じ入る。
 ……あれから随分と経っても、ふいに後ろから抱きつかれた時の心臓の跳ね方と、必死に紡がれる声を拾って湧き上がった昂ぶりを、葉隠は生生しく覚えている。
 おまけに、堪らず振り向いて口づけしたことまで思い出して――さすがに気恥ずかしくなった葉隠は視線を外した。

「……こ、こちらこそ。……じゃあ、実ノ梨にカンパイっ!」
「あっ……は、葉隠くんに、かんぱい!」
 動揺は灯滝にまで伝播して、吃りあう。
 料理人にとって客の誕生日は、祝福の可視化を請け負うことに等しい。
 それが客ではなく、特別な相手であれば――料理以外でも示したいという思いが表れて、今に至る。

 それぞれに調子を狂わせたまま、三回目に鳴るグラスの音は、どちらともなくささやかで――はにかんだ自分の顔がグラスに映った。
 慌てて口に持って行っても、この雰囲気はそう簡単に変わるものではなく……二人は同じような表情をして、しばし互いを見合うのだった。


【Happy Birthday!! Yasuhiro Hagakure 7/25】

| return to menu |

初出:ぷらいべったー
加筆修正:160726

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル