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 昼休みの学園内を、葉隠はのんびりと歩いていた。
 今日に限ってやけに見かけるのは、手提げ袋を持ち歩く女子、妙にそわついた男子、そして……親しげに過ごす男女。“超高校級のカップル”は、存外多くいたらしい。
 世間では超高校級と言われる彼らも、並外れた才能を除けば年頃の若者だった。
 歳相応の甘酸っぱい光景を横目に、葉隠は“そういう日”の異分子がごとく、ひとり教室へと向かった。

「やーおはようさん」
「……おはよう、には遅すぎるんじゃないかしら」
「まあまあ。そう青筋立てんなって」
「見えないものを見えるように言うのはやめて。あなたに怒ったところで無益だわ」
 教室付近で出くわした霧切は、堂々と遅刻した葉隠に微塵の憤りも見せなかった。無表情で事実を返し、彼の来た方向へと去るのみだった。
 本日も通常通りな霧切の姿に、葉隠は自クラスの女子を思い浮かべた。誰にしても主張の強い面々だが、チョコレートを振る舞う、あるいは想いを持って誰かに渡すような者はいるのだろうか――。


 葉隠が教室に入り、先と同様に「おはよう」と一声掛けると、残っていたクラスメイトはまばらに挨拶を返した。
 遅刻を咎めるのも揶揄するのも、ごく一部だ。別段珍しくもない葉隠の“重役出勤”を、誰もが日常として流していた。
「葉隠。机のそれ、オメェの分の板チョコな」
「そーそー。教卓の板チョコタワー見てねーの、朝居なかったオメーだけだぜ」
「板チョコ? タワー?」
 大和田が顎で指した先、葉隠の机の上には板チョコがごちゃりと置かれていた。
 桑田の説明に葉隠がオウム返しをして首をひねると、彼らと一緒に喋っていたらしい不二咲が、胸元でこぶしを作って興奮気味に捕足をした。

「あのね、女子のみんながバレンタインデーだからって、トランプタワーみたいな立派なのを板チョコで作ってたんだよぉ!」
「作品はこの僕が、しっかりデジカメにて記録しておきましたので。明日にもプリントアウトしてお配りしますな!」
「食品で遊ぶのはどうかと思ったのだが……僕たちが責任をもって美味しくいただけば問題ないだろうと、追及はしない事にしたのだ! なかなかのサプライズだったぞ! ハッハッハ!」
 山田は後方の席でピンク色のデジカメを掲げて宣言し、先は遅刻を叱った側の石丸はよく通る声で大きく笑った。それらは少し離れた場所にいた女子にも聞こえたらしく、朝日奈らも葉隠に朝の顛末を伝えてくる。

「買い出し、監督、配置って女子全員で分担したんだよ。なのに葉隠だけ遅刻して来るなんてさ!」
「セレスっちとか、腐川っちも参加したん?」
「うん。盾子ちゃんが皆と話をまとめてた……」
「お。葉隠来たから、全員にチョコ渡ったね。……んじゃ男子共、女子一同が来月を期待してるんでヨロシク! ……あ、これ以外は個人でやってる事だから、あたしはノー感知だかんね」
 コクリと表情乏しく頷く戦刃と、ニッコリと歯を見せてVサインをする江ノ島。正反対に見える彼女たちが双子だと葉隠たちが知ったのは、つい最近の事だった。

「ぐっ……ホワイトデーは三倍返しってヤツか……!?」
「ふむ、バレンタインデーとホワイトデーで、女子と男子はプレゼントの応酬をするんだったな。……つまり次は僕たち男子が贈る番なのか! これは近日中に対策会議を行わなければッ!」
「先にあげるほうが気が楽だよなー。やべーメンドクセー……あ、いや、冗談だって、マジで」
 江ノ島の言葉に、苦い顔になる大和田、真面目に考え始める石丸、本心がほとんど丸見えな見え隠れの桑田。
 自分も当事者のはずの葉隠は、そんな3人の際立つ反応を面白がって笑った。席につき、置かれた板チョコを眺めても……どこか他人事でいた。



 次の授業が始まるまで、多少の余裕があった。空腹とまではいかないが、何か小腹に入れておこうか――そんな思案を始めた葉隠の席の前で、人影が揺らいだ。
「葉隠くん、今あいてる?」
「おう、ガラ空きだべ。どうかしたん?」
「……はいこれ、葉隠くんにも。よかったら貰って」
 紙袋を後ろ手で隠すように持っていた声の主は、灯滝だった。
 彼女が差し出したそれを葉隠は受け取った。中身を覗き見ると、小ぶりの箱が一つ。今日渡すという事はバレンタインギフトなのだろう。施された包装は愛らしくも控えめで、店舗のロゴはなかった。

「……ん、これってオメーの手作りか?」
「うん、そうだよ。……葉隠くんてチョコだめじゃないよね?」
 当然のように灯滝は頷いて、葉隠に聞き返した。
 人がいる教室で渡すのだから、灯滝は一定以上の感情を持って来たわけではさそうだ。ちらりと周りの男子を見ても、自分たちを弄る様子もない。「葉隠くん“にも”」という灯滝の言葉からして、おそらく既に彼らへも渡しているのだろう。
 義理チョコか、友チョコというやつだろうか。とにかく灯滝は、クラスで手作りのチョコレートを振舞っているらしい……と、葉隠は考えを巡らせた。

「ほー……。まあ灯滝っちは料理人だし、普通に食って大丈夫だな。サンキューだべ」
「お菓子らしいお菓子ってたまにしか作らないから、よくよく味見したけど……。え、その……食べないパターンもあるの?」
「そりゃあ……不味いモンは食いたくねーし、妙なモン入ってたらマジでシャレにならんし……」
「闇鍋ならぬ、闇チョコみたいな?」
「……だいたい合ってるべ」
「そうなんだ……」
 葉隠が苦々しくため息をつくと、食の闇に触れた灯滝も伝播したように顔をしかめた。
 しかし、不特定多数から貰う側にならない限り、真に理解されることはないと葉隠は知っている。……行き過ぎた感情と食が混ざった闇は、存外深い。


 こと料理に関しては彼女なりの矜持がある事を、葉隠もこの数カ月で把握していた。意図的に食に適さないものに仕上げる人間を、灯滝は許せないだろう。
 並々ならぬ意識で食と対峙する“超高校級の料理人”灯滝の手作りチョコレートを、葉隠はクラスメイトというアドバンテージをもって労なく手にしている。……今起こっている現実を、葉隠は改めて考え直し――ふと閃いた。
 ――もしや、これって美味しい事できるかも?
 浮かんだ考えを実践に移すべく、席に戻ると言いかけた灯滝を遮って葉隠は話し始めた。
「あっ、灯滝っち。これ余分にねーか? あったら全部貰いてーんだが」
「あれ? 葉隠くんチョコ好きだったの?」

 更にチョコレートを求められた灯滝は、葉隠の食の好みを思い起こして首を傾げる。
 的を外した答えに、葉隠は立ち上がって机越しから彼女の耳元へ顔を寄せた。口に手を添え、上機嫌なひそひそ声で提案を披露する。
「そうじゃなくてだな。……オメーも自分のチョコがどんだけの価値になるかって、興味ねーか?」
「……うん?」
「“超高校級の料理人・灯滝実ノ梨の手作りチョコレート! クラスメイト限定配布仕様!”……諸注意に、生モノですので早めにお召し上がりください、と入れて……開始価格は1万円からでどうだべ? って話だ!」


 ようやく意味を理解した灯滝は……返す言葉が出てこなかった。半歩後ずさり、身を引いて葉隠の顔を仰ぎ見る。画期的な思いつきと息巻く葉隠とは対照的に、灯滝の心は急速に冷えた。
「……葉隠くん。さっき渡したそれ、悪いけど回収させてくれないかな」
「へっ……? それは困るべ!」
 葉隠にとっては寝耳に水でも、意図とは違う使われ方を言われては、灯滝も気持ちよく渡せはしない。

「じゃあ、その一つはあげるけど……お金に変えるのはやめて」
「何でだべ……元手ゼロの貰いもんから素晴らしい価値を得るチャンスを、ふいにしろって灯滝っちは言うんか」
「やっぱり回収させて」
「そ、それはイヤだってー! わかった、売らんから! 俺が食うから持っていかんでッ!」
 灯滝が紙袋に手を掛けて引くふりをすると、葉隠は慌てて自分の方へと引ったくった。
 胸に抱えてうかがい見たものの……彼女の目は疑いに満ちて葉隠を射るようだった。


「……あれ、どうしたの? 葉隠クン、灯滝さんを怒らせちゃったの?」
「必要のない善意を振り撒かなければ、そんな思いもしませんわ。実ノ梨さんの愚かさがこの事態を招いたのです」
 教室へ戻ったばかりの苗木が、静観していたセレスに尋ねる。その声は葉隠の耳にも入ってきた。
 灯滝の視線に耐えられず、ちらちらと周りに目を遣ると……葉隠は注目を集めていた。うっかり上げてしまった大声のせいだ。
「いや、愚かはむしろ……」
 途中から一部始終を見ていたらしい、大神の呟き。灯滝の様子からして葉隠が悪いのだろうという雰囲気。葉隠は自分のアウェイをひしひしと感じていた。

「や、その、……で、でも実際、灯滝っちのチョコがどんなんかも気になるべ! 食いたい食わせて――っつーか、もう今食うべ!」
「あの、別に今食べなくても」
「おっ、なんかスゲー綺麗なのが出てきたべ。いっただっきまー、…………う、うま……っ!」
 包みを開けてからは、口を挟む隙もなかった。
 一粒放り込んで一秒後の、驚嘆と感激。口の中に広がる、甘い小宇宙。終わりの余韻。
 目の前でチョコレートに魅了される葉隠を見るうち、灯滝の表情は自然と解れていた。例え凝った外見をろくに気にしなくても、ほんの数秒で飲み込んでしまっても、食べて相手が満足する事が灯滝の最上……なのだが、葉隠は全く気付いていなかった。


「なっ、食っただろ? 開封済は価値下がるし……何より美味い! 100パーセント絶対的に俺が完食するべ!!」
 向き直ってはっきりと断言すると、灯滝はもう箱を取り返そうとはしなかった。
 葉隠の反応を見た男子も、灯滝のはヤバい美味いっぽい、食べるのが楽しみだと口々に話す。美味しいに越したことはない、というのは共通の見解だった。
「やっぱもっと数欲しかったべ……普通に食う用として。減っちまうのが勿体ないくらいだが、後は帰ってから大切に食うべ! いやーいいモン貰った。ありがとな灯滝っち!」
「……美味しかったのなら、よかった、よ」
 灯滝は勢いに呑まれて言葉が続かない。葉隠は感動そのままに彼女の肩をたたくと、晴れ晴れとした顔で席に戻るまでを見送った。






 席に戻った灯滝は、ため息を付いた。最終的に葉隠はとびきりの笑顔で感謝を口にしていた……が、それまでに抱いた気分を一掃するには足りなかった。
「最初から食べてああ言っていたら、残る印象も違うのに。……ふふっ、葉隠君は面白いですよね」
 隣席の舞園が小さく笑う。彼女には、先ほどのやり取りがだいたい読めているらしい。
 ……ただの料理人である自分でも、あの様子なのだ。大人気アイドルの舞園だったら、葉隠はもっと目の色を変えて換金したがったに違いない……。
 そんな思いから灯滝は、まだ紙袋を机の横に下げている舞園に助言を掛けた。

「さやかちゃんは、葉隠くんにあげないほうがいいかもしれない……サヤカーに即行で売っちゃいそう」
「大丈夫ですよ。私、葉隠君には手作りのを用意していませんから。」
「それ正解だ……」
「そもそも……特別な気持ちや覚悟が無かったら、葉隠君には渡さないのが本当の正解かもしれませんね」
 自分に不要で世間的に価値があると見たら、迷わずお金に換えようとするんですから――。
「…………」
「あ、チャイム……」
 呟いた舞園は灯滝の返事を待たずに、前を向いて席に直った。


 舞園の一言で、灯滝は気付いた。
 葉隠の――その人当たりの良さとは裏腹な、取捨選択の仕方。
 こんな行動をわざと取ったところで、印象が下がるだけだ。後からとはいえフォローに入るのだから、相手を嫌っているとも思えない。純粋な気持ちからと考えるのが自然だった。
 チョコレートを売りたがったのが本心なら……食べて美味しいと、食べるからもっと欲しいと言ったのもまた、葉隠の本心。
 ならば……自分の作った食べ物が人の心を変える瞬間を見たのだと、好意的に捉えることもできる。
 ――存外割り切った考え方だったんだなあ。
 灯滝はそれで終いにした。互いに特別な気持ちなんてない、いちクラスメイトなのだ。……深く考えるのはやめた。


 予鈴が過ぎて、教室内に人が戻る。
 機嫌悪そうに早足で席につく十神。腐川も程なくその後方の席に座った。急いで来たのか、腐川は息を切らせながら前の席を見ていた。
 その横で、板チョコをかじっている葉隠には……先ほどと打って変わって感動の表情はなかった。

「甘いかな……甘いな、うん」
 灯滝も板チョコの欠片を口に入れて、ひとりごちた。女子にも分けられた、板チョコタワーのパーツであった一枚だ。
 ……同じものを口にしていても、人によって、状況によって、気分によって感じ方は違う。
 灯滝の食べたホワイトチョコレートは、どこまでもやさしい味がした。……溶け消えた甘味の後、胸に残る小さな感情には、気付かないふりをしていた。

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choco:板チョコタワー&特製チョコレート詰め合わせ
title:♪ギミチョコ!! / BABYMETAL

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