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 灯滝は厨房に立ち入る葉隠を一瞥したものの、すぐ手元の小鍋に目を戻した。
 もはや日課のようになった、夕飯前のお伺いだ。最初こそ葉隠をどう対処したものかと考えた灯滝だったが、彼を気に留める事は随分前にやめていた。
 葉隠の話に灯滝が返答すれば、会話は小気味良く弾んでいく。適当に切り上げようとすれば、葉隠は黙って彼女の作業を見る。
 葉隠は決して灯滝の邪魔をしなかった。しかし灯滝を手伝う気もさらさらなかった。
 今日も今日とて葉隠は、懲りずに灯滝のもとを訪れ、時に話し掛け、時に見守りつつ腹を空かせる。例えその日が誰かの誕生日であろうと、……イベントデーであろうと。


灯滝っちー、それ何作ってんだ?」
「バレンタインデーってことで、チョコレートのソースを」
「マジか! いよっ、待ってました!」
 ただの説明が、彼には朗報だった。露骨にテンションを上げ、両手でガッツポーズをする葉隠。
 ……しかしそれは、ぬか喜びになる。灯滝は誤解を解くべく補足を入れた。

「なんか変に期待してそうだから言うけど、みんなへのご飯だからね?」
「なんだ……今年も全員に作ったんか」
「うん。だって夜ご飯のメニューだし」
「誰かへの特別はねーのか?」
「うん」
「俺にも?」
「うん。」
「ハッキリきっぱり言うんだな……」

 途端、青菜に塩となる葉隠。見知らぬ者も思わず同情を抱きそうなほどの、見事なしょげっぷりだった。
 それでも灯滝は、つられない。「安易に情に流されては自分が火傷するものだわ」と、彼女の友人はシンセツにも助言をしていた。
「ていうか……葉隠くんて去年、私があげたチョコレートを売り捌こうとしたよね。オークション形式で」
「ぐうっ……。た、確かにそうだが、俺は誰よりもいち早くオメーのチョコに価値を感じたから、持ちかけただけでだな……」
「あげた側に素直に言っちゃうところは、葉隠くんらしいけどさ……」

 苦しまぎれに言葉を繋ぐ葉隠の声を後ろに、灯滝は小鍋に香辛料を加えながら去年のバレンタインデーを思い返していた。
 いくら気がない相手からの物とはいえ、売る気を面と向かって伝えるトンデモっぷり……それが1年後には、すっかり変わってこんな態度でいる。
 今、隣で必死に過去の言い訳を探している葉隠は、灯滝が出会った中でぶっちぎりの摩訶不思議人物だった。
 彼の心境の変化は、例の絶望的事件の影響による、この半永久的学園生活が原因に違いなかった。……葉隠がどうしてここまで入れ込むのか、灯滝にはさっぱり不明だったが。


「でも……何と言われようと、これを使った料理が私からのバレンタインギフトだよ。そしてこれに他意は全然ないよ!」
「俺は他意も欲しい。むしろ他意が欲しいべ!」
「ないものはないので、ムリ。」
 灯滝がピシャリと言い伏せると、葉隠は一瞬強く出たのが嘘のように再びがっくりと肩を落とした。
「うう……でもよ、まったくダメでもねーだろ……?」
「いやあ……」
 灯滝は言葉を濁す。「半端な態度は相手の為にもなりませんわ。切り捨てなさい」「一度、応えてみたらどうです? 案外合うかもしれないじゃないですか」――友人たちの意見が浮かぶも、かぶりを振った。

「……とにかく味見しよっと。……うん、よし。」
「おっ、俺の出番だな?」
「もう終わったんだけど……食べてみたいんなら、はい」
 葉隠が捲っている袖をさらに上げて味見役を買って出るので、灯滝は試食用にチョコレートソースを掬ったスプーンを渡した。
 葉隠は嬉々としてそれを口に含む。すると、とろみとコクのある独特の味が広がった。
 無論、美味しい。が……チョコレート入りなのに、甘さの主張がない。
 むしろビターでスパイシーだったそれは、どう考えてもデザート用ではなく……肉料理に最適な代物だった。

「……確かに、チョコだが、思ってたんと違った……」
「だってご飯用だもん。鍋もオーブンも、全体的にそういう香りだよ?」
「いや、……でもチョコは甘いモンだろ? 騙されたべ」
 灯滝にとってのチョコレートは、製菓以外でも使う材料の一つだ。しかし葉隠にはそうではなく……眉を非対称に動かして唸っていた。
「騙してないよ。それに甘いチョコはデザートに――」
「えっ。それって灯滝っちが作ったん?」
「私っていうか、女子みんなで」

 灯滝の説明が、抱きかけた淡い期待もすぐに打ち消す。葉隠は抱える感情を吐きつけた。
「チョコはチョコでも違うんだ……俺は灯滝っちから、俺だけに・特別な・甘いやつが、欲しかったんだべ!」
「何でもかんでも欲しがりだよ」
「欲しいから欲しいっつってるだけだべ。俺は素直で正直なんだ。」
 不満を出し切ると、葉隠は目でニッコリと二つの弧を描く。断言に嘘偽りがないと証明すべく、一心に灯滝を見つめていた。

 灯滝はほんの僅か、動きを止めて彼を見返した。呆れ半分ながらも、裏を覗えないその態度は気持ちがいいと思える。ただ……彼の愚直さは、少しばかり滑稽に映るのだった。
「……く、……それ自分で自信満々に言う?」
「いや、笑うとこじゃねーぞ……?」
 葉隠が悪意を持って近づいているわけではなく、こちらに危害を加える気もないと、わかっている。
 灯滝は、葉隠に恋愛感情がないだけだ。
 だから彼を突き放したりはしない。でも一定以上を受け入れない。そして、彼女からは積極的に近づかない。
 それが、彼女にとっての丁度いい距離感だった。





 くすくすと零れる灯滝の笑い声は、葉隠にとっての色好い返事とは異なる。
 それでも彼女の見せる笑顔は、想いが刺さらない葉隠の胸の内を、まるく収めにかかった。
 ……葉隠はいつも、彼女の知らないところで、彼女にしてやられている。
 「……はあ。オメーが楽しいってんなら、まあいいべ」
 葉隠は短い嘆息をして、今度は複雑に笑った。
 隙だらけで、その気になれば何だってできるのに、踏み込めない。彼女が特別であるが故に、葉隠は攻めあぐねる。

 すでに小鍋の火を止めていた灯滝は、オーブンを僅かに開けて頃合いを見定めていた。焼けるチキンの匂いがいっそう漂ってくる。
 彼女の後ろ姿を眺めながら、背を壁に預けた葉隠はもう一度言った。
「でも、……本気で欲しいべ。俺は素直で正直だからな」
「今は現状維持で」
「またそれかー」
 キィ、とオーブンを閉める音に、葉隠は再度の嘆息を重ねた。

 “本気で欲しい”という言葉の重さを、灯滝は感じていない。
 思うだけでも、口にするだけでもない。強引にでも手に入れたい想いを、深く触れたい衝動を、ねじ込みたい本能を、葉隠が抱えている事に気付いてない。
 今のように灯滝と二人で居ても、葉隠は場を茶化して誤魔化す。
 だから灯滝には届かない。灯滝が変化を望まない限り、この状況は変わらない。
 伝えもしない激情で、相手が揺り動かされる事などなかった。


「葉隠くん。まだここに居るようなら、食器並べてくれると助かるな。今日はみんな揃うからさ」
「……ま、そんくらいはやりますか……」
 落胆していても仕方がない。料理はともかく、そちらの準備には応じようと、葉隠は食器棚へ向かった。

 間もなく食堂の大テーブルに、彼女の手料理がずらりと並ぶ。
 あのチョコレートソースの掛かった特製のバレンタインメニューも、各々の前に出されるのだ。
「……そう甘くねーって事だな。うん」
 食堂でカトラリーを並べながら、葉隠が小さく零す。
 灯滝に沸く葉隠の心は、徐々に煮詰まっている。試食をしたあの味と同様……ほろ苦さに浸っていた。

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choco:チキンロール・モレソース掛け
title:♪Royal Chocolate Flush / MISIA

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