放課後、魔姫さんは珍しくわたしに声を掛けた。付いて来てと言われるままに入ったのは、学園の外にあるケーキが美味しいと評判のお店。カフェというより喫茶店といった雰囲気のここは、お客さんが多くいても、うるさすぎないのが丁度いい。前にも何度か来た事があった。
 魔姫さんは席に着くまでほとんど喋らなかった。道すがらに聞いてみても「後で話す」だけで口を噤まれると、彼女が元々喋る方ではないにしても気に掛かる。
 今日はあいにくの雨だというのに、わざわざ誘うくらいだから、それほどの何かがあるのだ。あらたまって、じっくり話したいと思うような事が。

 案内されたついでに注文を済ませると、程なくお茶とケーキがやってきた。小腹が空いていたわたしには、そんな手早い仕事がとてもありがたい。彼女が切り出すまではこちらに専念すべく、さっそく季節のフルーツタルトを口に放り込んだ。
 幸せは舌の上で躍る。あぁ頼んでよかった! と感動に浸ったわたしは、ここのケーキは今のところ何を食べてもハズレがないよ、なるほど賑わうわけだよね、と半ば独り言のように話してしまう。
 そうやってもぐもぐやっていると、向かい合う魔姫さんはため息と苦笑を混ぜてみせてから頼んだアップルパイにフォークを入れ始めた。甘いものが好きな彼女にしては、手を付けるのが遅い。やっぱり今日の本題はスイーツじゃないのだ。


「食べながらでいいから、答えてほしい」
 一口大の欠片になったアップルパイをフォークに刺しながら、ついに魔姫さんは問うた。
碧囲はどうして百田を“ボス”って呼ぶの? あいつの助手にされたわけでもないのに」
「……それが魔姫さんの聞きたかった事なの?」
 もぐもぐしていたものを飲み込んで、返す。あらたまってするまでもないような質問で、逆に戸惑った。
 すでにいろんな人に聞かれて答えているのを、魔姫さんも知っているはずなのだ。……わたしが“何となく”としか言えないという事も。
「いつもの“何となく”が本当でも、もう少し詳しく話してよ」
 魔姫さんはアップルパイを口に運んで、静かにわたしを見つめる。わたしの言葉を待っている。一見何でもない様子で、少し緊張している。わずかなぎこちなさに気付けるくらいには、共に時間を過ごしている。

 わたしはスイーツな気分から、真面目な気持ちにすっと移っていく。
 ――近頃の彼女の変化からして、解斗さんに関わる何もがとっても気になる期なのかな、と思う。
 “ボス”こと百田解斗は、人と距離を置きがちだった魔姫さんに積極的に働きかけ、彼女に殻を破らせた男だった。解斗さんがきっかけで変わり始めた魔姫さんは、解斗さんだけでなく、わたし達にも素を見せる機会が多くなった。
 そして、価値観や行動理念やなんか諸々をスクラップ・アンド・ビルドした、多大に影響された存在に、魔姫さんは憧れや恋な好意を抱き始めていた。
 そんな彼女に対し、ちゃんと答える為に……この件についていっぺん真剣に考えてみる。


 解斗さんは、彼自身含めて自由そのものなわたし達のクラスの中でまとめ役のようなところがあるから、そこがボスっぽいと言えなくもない。
 あるいは……解斗さんは特定の人を勝手に自分の助手にして、自分をボスに位置付ける事がある。相手の弱さの根源を見つけては直そうと介入していくその自己完結的お節介は、当事者となった二人=魔姫さんと終一さんを見る限り、ありがた迷惑の迷惑から始まってありがたになるらしい。ただボスも助手もと上下を意識している感じはあまりない。

 だけど、わたしがボスと呼び始めたのは入学して間もない頃だ。二人が助手になる前だし、解斗さんがそういうお節介をする人とも知らなかった。わたしは解斗さんの助手ではなく助手願望もゼロなので、これが理由ではない。
 ……たぶん、そういう皆との関わり方をごく初期に何となく察して、ちょっとリスペクトを込めて呼ぶのに丁度よかったのが“ボス”だったのだ。「なんかボスっぽいからボスって呼ぶね」と言うと、解斗さんはすんなり受け入れた。すでにそういうポジションを経てきているのか、呼称なんて気にしないのか。そこも含めて、やっぱりボスっぽいと思った覚えがある。


「……んー、最初のほうでボスっぽいと思ったって、それだけなんだよね。何ていうんだろ……人との関わりを大切にしそうとか、そういう感じ? ボスっていっても、わたしのボスってより“みんなのボス”だなーって」
「……ふうん」
 わたしとしてはたっぷり考えてから答えた。しかし魔姫さんはそれだけ言って、ティーカップに口をつける。
 これ以上に理由らしきものが出てこないわたしは、薄い反応に突っ込みを入れようかこの質問の理由を聞こうか、話の広げように困って、彼女の様子を伺いつつアイスティーをストローで啜って間を持たせる。
 魔姫さんは目を伏せて、フォークでアップルパイを突付き始めてしまった。



 魔姫さんが無言のままアップルパイのパイだけを器用に剥がした頃になると、すでに食べ終えてしまったわたしは……彼女の沈黙と普段見られないスイーツに対する所作にとうとう耐えられなくなった。
「なんか、その……わたしが解斗さんをボスって呼ぶの気に食わない?」
「みんなのボス、って碧囲は言ったけどさ。百田は百田だよ」
 わたしが言い終える前から、独り言のように、しかしはっきりと魔姫さんは呟いた。
 言葉の区切り区切りでパイだけがフォークに刺され、飴色の煮林檎は置いていかれる。
「でも――碧囲が百田を“ボス”って呼ぶから、百田は碧囲の前で“百田”でいられないんだよ」
 連なっていっそう多重層となったパイは、可愛らしいアヒル口の中に消えた。

 むぐむぐ咀嚼する彼女を見つつ、どういう事かと首をひねる。
 解斗さんはわたし相手だと接し方が違う、と言いたいんだろうか。……このごろ解斗さんをよく見ている魔姫さんが言うんだから、そうなのか? でも実感はない。
「いやいや、変わらないよ。特別わたし相手にボスっぽくなるわけでもないし、わたしも解斗さんは解斗さんだと思うよ」
「あんたは今のままでいいの?」
「よく分かんないけど、別に不自由してないよ」
 強い視線を受けても、聞きたい核心を掴めず、こんな答え方になってしまう。
 魔姫さんはわたしへの言葉のかわりに、残りの林檎を一度に掬って口に運んでしまった。……膨らませた頬の中に詰め込むように。


 彼女はとにかく解斗さんへの気持ちを持て余していて、自分の制御の範疇を超えてしまっているのだろう。恋って大変だ。
 とりあえず、こっちから話題を振って……気分が変わるといいけれど。
「あー、呼び方って話だと、解斗さんだって魔姫さんの事“ハルマキ”って呼ぶよね?」
「あれは……百田は面白半分に言ってるだけだよ」
「でも魔姫さんは解斗さんじゃないから、本当のところは分からないわけで……なんか特別かもしれないよ? さっきの“ボス”のもだけど、解斗さんから直接聞いたほうが早いと思うなー」
 そう、わたしじゃなくて本人と話せば、一緒に過ごせて知りたい事も分かって一石二鳥だ。……と思って口にしてみたものの、魔姫さんの表情にいい変化は起きなかった。

「聞いても本当の事を言うとは限らないよ。はぐらかされるかもしれないし」
「まぁそうだけど……」
「そうだよ」
 ぴしゃりと言い切られ、取り付く島もなくなる。わたし達のテーブルは、またも静まる。
 手持ち無沙汰になって、わたしはアイスティーの入ったグラスの中をストローで回してしまう。からんからん――その間に気付く。それができたらもうやってる。
 ちょっと考えれば察せる事だった。わたしを経由する面倒なんて不必要でも、懸念や躊躇なんかでできなかったから、今に至っているのだ。
「なんかわたし……すごいポンコツだね」
 アイスティーを飲んで、自分の頭の回らなさにため息をつく。


「何で落ち込んでるの? 意味わかんない」
「や、もうちょっと魔姫さんの実になるような事が言えないのかと思って」
 そう言ったら、魔姫さんは唖然な顔をして数秒固まった。そして確かめるように訊ねる。
「……碧囲は、百田の事どう思ってるの」
「え、だから、みんなのボス」
「あんたにとっては?」
「えーと……リスペクトできる楽しい人?」
「それって、あいつが好きって事じゃないの?」

 ――あー……そういう事……。
 魔姫さんはわたしを恋敵じゃないかと考えていたわけだ。今日の妙な緊張感も、彼女はわざわざ鞘を当てにきたような心持ちだったからだろう。
 わたしは――春川魔姫が惚れる百田解斗の、ただの友人だ。
 親しくても、恋愛的ではない。例えばどちらかが何かに成功した時に、グータッチから互いの腕をクロス&クロスさせてイエーイとか言って笑顔でハイタッチそしてハグなんかをする関係ってだけだ。
 ただ、この世の中では恋愛事を男女でする人が多いせいか、「実はハグしてドキドキしてんでしょ?」とか「本当はキスだのセックスだのしたいんじゃ、ていうかしてんでしょ?」とか邪推される事もある。でもそんな外野に応えられるような出来事は一切なかった。


 しかし第三者ならまだしも……解斗さんの助手で、彼とわたしがつるむ姿を見ては「バカが二人」って勘定していた魔姫さんが言ってくるとは。恋とは何でも疑りたくなる病なのか。
 何にせよ、わたしができるのは自分の気持ちをありのままに伝えるくらいだ。嘘の付きどころもないのだから信じてもらう他ない。
「――好きだけど、セックスとか生々しい事したいって気持ちは無いんだな」
「セッ……!?」
「ちゃんと恋愛した事ないから分かんないけど、恋愛感情じゃないと思う。恋って、もっとこう……魔姫さんみたいになるものなんでしょ?」
「なっ……殺されたいの!?」
「ごめん待って、まだ生きさせて。おちょくるつもりじゃなくて、別物なんだと思うって言いたかっただけで――」

 声が裏返るわ、握りこぶしが震えるわの魔姫さんに、慌てて胸の前で両手のひらを見せる。けっこう激情型だというのは最近分かってきた。寒冷地も地下はマグマって感じだ。
「……何でわかったの」
「ん?」
「何で私が百田を好きだって、わかったの」
「そりゃ……見てたら、以前と態度が違うし……わたしこの方面ポンコツだけど、さすがに気付くっていうか」
 殺気の圧に耐えて返すと、魔姫さんは深呼吸みたいに大きなため息をついた。それまでの射殺されそうな視線よりは優しく思える。
「そう言う碧囲にバレてるなら、百田もわかってるのかな。でもあいつ、態度全然変わんないから」
「……んー……」
 解斗さんは当事者だし、察していそうなものだ。人の本質やなんかは見抜けても、恋愛についてはどうなんだろう? 思えば、この手の話はしていなかった。


 魔姫さんはお茶を飲んで、また息を吐いた。落ち着く、よりも落ち込むのほうが近い。なんて差の激しい……恋が患いものに例えられるのも分かる気がする。
「……私さ、初めてこんな訳のわからない気持ちになってるんだよ。しかもあんなヤツに」
「まあ、解斗さんいい男だもんね」
 解斗さんを好意的に捉えているのは、わたしも同じだ。
 百田解斗を端的に言うなら――自分の信じる道を突き進む、意思の強い男。それが強引、感情的という方向に出る事もあるけど、彼はそれすら弁えているふしがある。
 少年っぽさの抜けない顔立ちで無邪気にはしゃぐような一面もありつつ、宇宙飛行士になるために訓練生となっても能力を磨き続けている。当然頭もいいはずなのに、あまりそう見えなくて嫌味がない。
 あと背が高いから格好つくし、顔も悪くないと思う、わたし基準だけど――って、これは余計だった。
「……それで恋愛感情じゃないとか、よく言うよ」
 ほら、また怒らせてしまう……。何で口に出したんだか。馬鹿だ。


「気持ちに気付いてから、あんた達二人を見るとイライラする。何でずっとその距離、関係でいるの。本当、意味わかんない。」
「でももし付き合っちゃったら、魔姫さんもっとイヤでしょ」
「それは別問題としてっ……百田だって満更じゃないはずだよ。百田は……あんたが百田を認めているのと同じくらい、あんたの事を認めてる。聞かなくてもわかるくらい」
「いや、それは友人として対等なんだって。ちょっと決めつけすぎてるよ魔姫さん!」
 解斗さんの存在が大きくなってしまった魔姫さんは、ボスと助手としての上下はなくても、自分を同じ高さに置けていないんだろう。だから解斗さんと並んだ位置の(本当にただそれだけの)わたし=好きな人が認める女だとか、大げさな解釈になってしまう。

 これが例えば、わたしが男だったら拗れなかっただろうか。たまに解斗さんの背後をとってスリーパーホールドとかするけど、同性なら、あんた達仲良いよね程度で済みそうだ。……それでも言う人は言うか。
 魔姫さんのような、振り回されるほどの恋心も悪くはないと思う。でも、好きにもいろんな形がある。
 仲が良かったら恋愛しないといけない? 付き合わないのはおかしい? そんなふうに突付かれるのはたくさんだった。
 魔姫さんは、真っ直ぐ好きな相手に――解斗さんに向かっていってほしい。


「……あのね。もし解斗さんがわたしを恋愛的に好きだったら、もっと分かりやすく言動や行動に出てるはずだよ。解斗さんて欲しいものは必ず手に入れるっていうか……まあ手段は色々だけど全力で挑む人でしょ。だけどそんな事もないよね」
「百田にも、恋愛感情は無いって思うわけ?」
「うん。あっでもこの考え方だと、魔姫さんついても脈がないみたいになるけど……解斗さんは、彼の言うところの“弱さ”に向き合った魔姫さんを、ボスとしてだけでなく百田解斗としても見ているだろうし、気持ちにだって向き合ってくれるよ。……って、わたしが言わなくたって分かってるか……」
 反証も説得も、なかなか難しいものだ。ましてや、初恋でテンパる人に恋愛ポンコツ女があたっているのだ。ここにきても実になりそうな事は全く言えていない。

碧囲は百田に彼女ができてもいいの?」
「それは解斗さんの自由だもの。わたしは、ちゃんと彼女を大切にするか見守る係かなー」
碧囲が彼氏作らないのは何で?」
「恋愛ってよく分からないし。いなくて困る事もないし」
「…………わかった」
 結局、質疑応答のようになってしまった。でも納得してくれたようでよかった。わたしはもう、言えそうな事が思い付かなかった。


碧囲は、自分の恋愛って感覚器官に神経が通ってないんだよ」
 うわ。そう思ってたら言葉の刃で一突きグッサリ。
 といっても痛みは感じない。自分でもそんな気がしていた。
「……それなら、今の魔姫さんは神経過敏なんじゃない?」
 でもこちらの返し技は効いたらしい。彼女の眉が、ひくっと動いた。
「…………あんたも、私と同じ気持ちを持ってるよ」
「決めつけはよくないね。勘違いガール」

 黙って、互いに見合う。自分が正しいって顔をしている。わたしも。主張を譲りそうにない。
 悟ってか、どちらともなく飲み物に手を付けた。
 わたしは残りを啜ったものの、すぐに終わりの音を立てた。やむなくグラスを戻すと、魔姫さんも空になったティーカップを置いていた。
「お茶、おかわり頼む?」
「……いい。出よ」
 これ以上は水掛け論だと魔姫さんも思ったのだろう、伝票を掴んで立ち上がった。



 話に付き合わせたから、と魔姫さんがお茶代を支払おうとしたので、わたしはどうにか6:4ほどに落ち着けてお店を出た。わたしの小銭を切らさない心掛けは、こういう時に効力を発揮する。
 帰り道では解斗さんについて話題にしなかった。
 ああやってわたしに話すほどに想いを持っていても、魔姫さんはわたしに、解斗さんに近付くなとかそういう事は言わなかった。
 わたしも、彼女の恋愛の手助けをするなんて話はしなかった。あの流れで、わたしがそんな事を言ったら絶対怒る。ふざけないで、とか怒鳴ったのを最後に口も利かなくなるのが目に見える。
 彼女のそういう、意地やプライドとその中で見え隠れする――上手く言えないけれど、ある種の気高さのようなものが、わたしはけっこう好きだったりする。

 そのかわり、さっき食べたケーキの感想だとか、取り留めのない話をして寄宿舎まで戻った。またあのお店に行こう、今度はわたしもアップルパイを頼もう、と言ったら、魔姫さんは「そんなに美味しそうに見えたんだ」と呆れ気味に笑った。
 甘党へのスイーツは一種の魔法だ。秘密子さんの行うmagicで得られるものと同じだ。そして魔姫さんのこういう表情をわたしが見られるのは、いわば解斗さんのおかげなわけだ。ボスはいい仕事をする。
 アップルパイはというと、シナモンが強めだから、わたしには合うか分からないと言われてしまった。……そこまで子供っぽい舌じゃないと、自分では思うけど。


「次、あの店に行ったら、フルーツタルトは果物が変わってるだろうね」
 帰りの魔姫さんは、話題を繋げてくれる。引き続き小雨が降っていても、こうやって並んで喋っていれば苦にならない。
「そうだねー。そろそろ、“もも”の時季だ」
「――っ」
 隣の傘の中で、魔姫さんの瞳がきゅっとなった。……動揺にこちらも動揺して、ぱちっと瞬きしてしまう。
「…………」
 意図せず言った言葉で――解斗さんの苗字の二音が並んだだけで反応してしまうような彼女と、わたしの抱く気持ちは、やっぱり違うはずだ。
 今度は魔姫さんがフルーツタルトにする? なんて聞くような意地悪はしない。……ただちょっと、わたしは傘を傾けて、こっそり笑みを零した。



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