「ねえボス。終一さんや小吉さんに聞いたんだけど……カジノ入れるようになってから、ずっとボロ負けしてるの?」
「う、うるせー! オレはまだ勝負の途中なんだよっ! つーか呼び止めてまで言う事じゃねーだろ!」
「話は最後まで聞くんだよ。あのね、コインやメダルはあげたくないけど、さっき変な景品選んじゃったからあげる!」
「……何だこれ? 鍵?」
「“愛の鍵”。……知らなかった? あーそっか、景品交換した事ないから……」
「クソッ……悪ぃかよ!? 勝敗ついてねーんだから当然だろ!?」
「じゃあ早くボスの秘められたパワーが解き放たれるといいね。それはさておき、はいどうぞ!」

 碧囲(あおい)果月(かづき)は唯一、百田解斗を“ボス”と呼ぶ。
 助手となったわけでもないというのに、何をもってしてボスかは不明だった。だが百田は彼女に訊ねようとは思わない。たとえ聞いても大した理由は返ってこない気がしていた。
 その碧囲は、百田の前に鍵を差し出していた。百田の機嫌はよろしくない。碧囲の明け透けな言い方のせいだったが、話した本人は悪気なく、またあまり気にかけていなかった。
「……情けの施しなんか受けねーぞ。オレは自力で稼ぐんだ」
「情けじゃなくても、間違って交換しちゃったやつだから全然いらないんだって」
「オレに不用品を押し付けんじゃねーよ」

 しかし碧囲の付け加えた一言が、百田の心を動かす。
「でもね、コレ、カジノのすぐ近くの――ほら、なんか入れない建物あるでしょ。そこの鍵みたいだからさ、……興味ない?」
「なっ、それって……ラブアパートとかいう――!」
 碧囲は楽しげにうんうん頷く。百田は俄然関心が高まる。
 ラブアパート。それはどう見てもオトナの休憩施設。あるのに入ることを許されない、現時点では無意味なオブジェ。
 だがこれからは違うのだ。あれは夢だけど、夢じゃなかったのだ――!


 気持ちは180度変わった。それでも百田は湧き立つ感情を抑えて、碧囲から目を逸らしつつ片手を出した。
「い、いらねーってんなら、貰っとくけどよ……」
「おお、よかった! ボスって健全な青少年っぽいから、使ってくれそうだと思ったんだ!」
 碧囲は素直に喜んで鍵を渡した。それは部屋を開ける鍵というよりも、どこかの少女が大切にしている宝石箱が開きそうな鍵だった。百田は受け取り、ふーんと眺める。
「しっかし……普通こういうモンを寄越すか?」
「だって勿体無いでしょ? これ1万コインだし」
 簡潔な回答だった。全く他意なく、また百田に特別な気も一切ないのだとよくわかる。

「それに、もしいい感じだったら、今度はわたしも使ってみるかもーなんて? コイン的にはまだ5個くらい交換できるし、一つあげたって懐は痛くも痒くもないんだな、えへ」
「ま、マジでか!? テメーなんでそんな稼いでんだよ!?」
「うんとね、コインが減らない稼ぎ方を見つけて、でももしここまで減っちゃったら必ず降りるっていう自分ルールを守ってるから」
「…………!」
 続けて碧囲がさらりと話した内容は、百田には衝撃だった。だが圧倒的な差に愕然とする彼を気にすることなく、碧囲は用事を終えたとばかりに寄宿舎のほうを向いてしまう。

「じゃ、楽しんでね! これから毎日会ったら使ったかどうか聞くからね!」
「なっ、聞いてねーぞ!?」
 百田が言い返すと碧囲は、したりと言わんばかりにニッとした。
「ふふん、それが対価だ! ……あっでも相手を無理やり連れ込むのはダメだぞ? ていうか一人でも映像とかで楽しめるんじゃない? やったねボス!」
「ったく、どうしても使えってか!」
 要するに、碧囲は百田を愛の鍵の実験台にしたいのだ。おかしな学園生活の中で、平和な刺激を欲しているのだ。……だが首謀者や仲間の一人の悪戯に比べれば、これくらい可愛い遊びではある。毎日聞かれ続けるのはうざったくなりそうだが。
「んじゃオヤスミー。よい夢を〜!」
 顔の横でちらちら手を振って、碧囲はご機嫌で去っていった。



 碧囲に言われたものの、百田には今日の今日で誘えるほどに親密な相手はいなかった。彼女と別れて間もなかったが、もうすぐ夜時間になる。一人で使うのも気が乗らない。
 碧囲の「使った?」攻撃を一回食らうことになるが、明日以降でいいだろう――そう結論づけた百田は、今日のところは普通に眠ることにした。のだが。
――「眠ってしまうとは情けない!」
 愛の鍵は、そういう仕様ではなかった。所持者のもとにモノクマが現れ、夜ごと使用を問うてくるシステムだった。
 そしてその使用効果により、こちら側での相手の調達など必要なかったのだ。

 愛の鍵を使うと、ラブアパートに誰か一人が招かれる。その者は鍵の所持者を“理想の相手”と思い込んで妄想をする。
 しかしこれはラブアパートを出れば忘れてしまう“夢”。もし途中でやめてしまうと相手は目覚めて苦しい思いをする。
 つまり都合のいい夢を見て忘れるという、意味があるのかわからないアイテムだった。
 ……とはいえ、ラブアパート。イイコトできそうな気はする。興味が無くはない。それに、いつかは使って碧囲に感想を言わなければならない立場だ。
 思いが渦巻く。――百田の決断は早かった。



 ラブアパートに招かれる者とは、この閉ざされた才囚学園で生活している誰かということになる。
 娯楽の少ない環境で、つい即断してしまった百田だったが、互いに忘れるとはいえ仲間と繰り広げるとは……とんでもない空間に足を踏み入れたものだ。
 だがすぐに、あまり余計なことは考えず、これは割り切ったもん勝ちだと思い直す。
 誰かが自分に惚れてくる……どいつもあんま想像できねーな。そんな気楽さで、百田は部屋のドアを開けた。
 そこで彼を待っていたのは――

「げぇっ、碧囲!」
 鍵を渡した張本人。碧囲。仕込みかと疑うほどに、見事だった。本当に平等に選ばれるならば、誰もが一割を切る確率のはずなのに……よりにもよって碧囲
「…………」
 いささか失礼な反応をしたにもかかわらず、碧囲はぼうっと立ったままで怒りも喋りもしなかった。ようやくその瞳に百田を捉えたと思えば、力なくうなだれていく。
「お、おい……どうしたんだ? なんか、元気ねーな」
「……百田くん……」
「もっ、百田、くん!?」

 百田は目を真ん丸にして、本当に碧囲かと彼女を見つめる。
 苗字、しかも“くん”付けなど、自分はおろか他のメンバーも呼ばれたことがないはずだ。彼女はもっとフランクで、しかしどこか一線を引いていて、名前呼びなのに必ず“さん”を付けるのが常なのに。
 それもそうだが、普段は百田を“ボス”と呼ぶはずだった。この様子ではボスのボの字も出てきそうにない。
 ……ボスでも解斗さんでもない、この部屋の中のオレらは、いったいどんな関係なんだ!?
 初っ端から勝手が違いすぎた。状況把握は得意なほうだと思っているが、言動から推理をするのは自分ではなく探偵の領分だ――しかしそう思っても“彼”を呼ぶことはできないし、呼ぶわけにもいかない。何せここはラブアパートだ。あいつを呼んでくるなんてどんなプレイだ!


 百田は湧き出る疑問と思考を頭の端に追いやって、どうにか気持ちを落ち着ける。平静を取り繕って碧囲に向き直った。
「な、なんだよ。よそよそしいじゃねーか……普段通りに呼べよ」
「……ごめん、解斗」
「解斗ォ!!?」
 もはや目が飛び出すかという域だった。
 親密が普段を軽く飛び越したのだ。なんて異常な振れ幅。そしてひどく沈んだままの碧囲。謎が謎を呼び、混乱するばかりだ。
 お手軽な即席関係で楽しめるといった発想は、安易だったのかもしれない。

 ラブアパートをラブアパートらしくさせるには、この現状をどうにかするしかなさそうだった。
 それに、こんな状態の碧囲碧囲らしくなく、どうにも落ち着かない。
「解斗……さっきは本当にごめん」
 やはりこの調子だ。仕方がないので百田は、彼女にとっての“さっき”から紐解いていくことにする。
「さっき、っつったってよぉ……テメーがどう思ってんのか、最初から話してくれよ」
「……これも自分のせいか。怒ってるんだよね、解斗。……うん、一から話す」
 名前で呼び捨てにされることにはまだ妙な気分だったが、事情を聞くほかなかった。


 碧囲は百田に目を合わせることを恐れながら、それでもちらちらと窺いつつ、話し始めた。
「解斗とスキューバのバディやるようになって長いけど、ここまでトラブったのは初めてだったよね。だからってあんなにパニクったら、わたしはエキスパートとして失格だよ。……“超高校級”とかもう言えない。きみも失望したでしょ」
 スキューバダイビングのバディ。それがここで百田に与えられた役――碧囲の“理想の相手”のようだ。“超高校級の潜水士”である彼女にとっては身近な存在に違いなく、腑に落ちる設定だった。
 二人一組で行動するバディシステムは、百田の領域である宇宙飛行士の活動においてもミッションにより採用されている。命を預け合うパートナーに夢を見るとは、意外とわかりやすい好みだと思う。……しかし重大な失敗をしたらしい彼女の口から、どんな内容が飛び出すのか。

「――わたしのタンクがエア切れになる事自体まずアウトって感じなんだけど、解斗のオクトパスまでダメんなってて、バディブリージングしたわけだよね。百歩譲ってそこまでは仕方ないとしても、……始めたそばからわたしはパニックを起こして、レギュレーターを貸そうとした解斗の手を離して逃げようとした。……その大馬鹿な行動は、わたしだけじゃなく、解斗の命を危険に晒したんだ。ほんと、最悪すぎた……」
 特有の用語が多いが、百田も訓練の一環で水の中に潜ることがあるので意味は理解できた。
 水中で自分のタンクの空気が無くなった碧囲は、百田の予備の供給装置を借りようと試みたが故障していた。そこで百田自身が使っていたものを交互に利用し合うことで空気を確保し、浮上までの猶予を得られる……はずだったのだが、気が動転した彼女は百田からの供給をすぐに拒んでしまった、ということらしい。


 水中と宇宙空間は類似性がある。地上と重力の感じ方が異なること。相応の装備がなければ人間は滞在できない――つまり死の危険と隣り合わせであること。
 連発イレギュラーの不運と、手練のはずの自身が正気を失った事態を、碧囲はリアルに起こったこととして語った。超高校級とはいえ宇宙飛行士訓練生である百田とは異なり、水中というフィールドで実際に活動している彼女は、すでに似たようなアクシデントに遭遇していたのだろう。ハードなシミュレーション以上に緊迫を感じる話しぶりだった。
 しかし……百田に実体験がなくとも、彼女に伝えられる言葉はある。
「……確かに、テメーらしくねー行動だったと思う。けどよ、しっかり反省してんじゃねーか。その……オレらはこうやって助かってるわけだしよ、次に活かしてやってけばいいだろ」

「だけど……怖くなっちゃった」
「何が怖いんだよ。水ん中潜る事か? トラブルが起きる可能性か? 怖がってるだけじゃ、ずっと怖いまんまだぜ。ちゃんと対峙しねーと変わらねーぞ」
「その怖さはじきになくせると思う。でも……もう解斗とバディは組めない」
「どういう事だ……? オレ以外のヤツならその恐怖をなくせるのか? ……テメーは本当にそれでいいのか?」
 百田は、以前に碧囲が天賦の才だけで潜水士をしてきたわけではないと話していたことを思い出す。ならば今までに失敗も克服も繰り返してきたはずだ。それなのに、どうして今回の彼女はここまで後ろ向きなのか。


「オレらはずっとバディだったんだよな? こんな一回ミスってダメになっちまうような関係だったのか? 誰だってパニックくらい起こすし、オレは怒っちゃいねー。少し落ち着いて考えてみろって」
 長くバディをしてきているならば、安易に関係を解消することは碧囲にとっても損失になる。会話のできない水中で円滑に意思疎通のできる相棒は、唯一無二の存在だ。だから百田は、理想の相手として彼女の決断を引き止める。
 碧囲の肩を百田が掴む。真っ直ぐ見つめようとしたが、碧囲の目は伏せられた。
「もしまた……わたしが馬鹿やったら、今度こそ解斗を死なせるかもしれないって思ったら……怖くて一緒に潜れないよ」

「……そんなの、オレにしたって同じだろ。オレもテメーも一緒に潜んなら、一緒に命懸けてんだ。なのにテメーだけがオレの命握ってるなんて、思い上がんなよ! いい加減にしやがれ!」
 ぐっと肩を揺らしても、碧囲は答えなかった。……答えられなかったのだ。引き結ばれた唇がわずかに震えていた。横を向き、俯いていくその顔。
「これ以上、解斗にだめなところ、見せたくないし、だめになりたくない……。勝手な事、言ってるって、分かってる。でも――」
 途切れがちの小さな声を待つ。すん、と洟が鳴った。
「わたしを、だめにしないで」
 …………なんて言い回しだ、と思った。


 碧囲にこんな弱さがあったことを、百田は知らなかった。気持ちに振り回される姿を、驚きとともに初めて見た。
 この数日間の非日常的な出来事を経た上で、百田は彼女をストレス耐性のある女だと思っていた。少なくとも、周りには動揺をさらけ出さない人物だった。
 碧囲は潜水士として一人の人間として信念を持ち、すでにあるべき姿をとっていた。百田はそう感じていたから、彼女に言うべきこともするべきこともなかった。だから百田は碧囲のボスではないし、彼女も彼の助手にはなり得なかった。
 いつもの関係と、今との違い。それが彼女をここまで変えている。――この感情の揺らぎは、“理想の相手”の出現によるものだ。

 この部屋の中では、碧囲にとって百田の存在はとても大きい。想いを持て余すほどに。
 一方で、ここはラブアパートだった。弱る彼女だ、百田は立場を利用して今すぐ抱くことだってできる。本能に任せて劣情で塗りつぶすなら簡単だ。その選択はある意味正解で、碧囲も百田に求められることで満たされるだろう。
 ……しかし百田はそれを選ばなかった。
「なあ……解決方法はわかってんだろ? ……オレは碧囲の事、信じてるぜ。テメーもテメー自身を信じろよ。」
 膝を曲げ、ゆっくりと目線を彼女に合わせて言った。
 百田は百田らしく、彼女に答える。ここが夢の中だろうがなんだろうが、こんな状態のまま有耶無耶にして、欲に走りたくはなかった。


 耐えきれないというように、碧囲は百田を見た。目も鼻も赤くしていた。百田が向けた言葉に視線も合わさり、いよいよ制御が効かないようだった。
「うう……敵わないや……」
 溜まっていた涙が、つうっと頬を伝う。碧囲が手で拭っても、止まらなかった。
「だからっだめになっちゃうんだよー……」
「お、おいおい、碧囲らしくねーぞ!? オレと組んでんなら、1+1が10とか100にならねーとおかしいだろーがっ」
 ……碧囲も泣くのだ。目の当たりにして、百田は声を荒げていた。狼狽えていた。

「……うっ、もう……怒んないで」
「は、はぁ? 最初から怒ってねーよ」
「じゃあ、なんで名前で、呼ばないの?」
 不安と恐れの残る瞳で、碧囲は百田を見つめる。彼女が不安定になる要素は、こんなところにもあったのだ。
「……なんだよ、それくらい早く言えよ……ほら、来いって、果月
 そうは言ったが……最初から名前で呼べなどと言われていたら、自分は素直に呼んでいただろうか? 今となってはわからないが――。
 百田はすんなりと彼女の名を呼んでいた。縋る彼女の背に腕を回す。放ってはおけなかった。


 涙で堰が切れたのか、碧囲の口からはそれまで言えなかった言葉がぽろぽろ零れ落ちていく。
「ううっ。ごめんね……もうバレバレだから言うけどさ、あの状況でまさか間接キスを意識してパニック起こすなんて、思いもしなかったんだよ……」
「間接……あぁ、なるほどな」
 突発的なパニックではなく理由があったことを、百田はようやく把握した。同じ供給装置を咥えるという行為で、今までの潜水士経験が吹っ飛んだとは。まあ重症だ。
 “好き”という言葉もなく、しかし溢れ出る百田への好意。恋が、人を――碧囲果月をここまで変えるとは。普段の印象からは想像もできなかった。
 だが……これで一件の全容が掴めたように思う。ここの彼女も恐怖の壁に向き合う気になったようだし、一段落だろう。……まだ涙はどうしようもないようだが。

 碧囲は百田の胸の中で、ぐすぐすとやっている。自らを落ち着かせようと時折大きく息を吐いてはいるが、昂ぶった感情をコントロールできていない。
「……わたしっ、他の人とバディ組むときだってあるけど、オジサンでもイケメンでもバディブリージングしたって何とも思わないよ、絶対。だって、救命行為で意識するとかありえないでしょ? こんなの解斗だけだよ。あーもう自分の馬鹿さ加減に、……って、ちょっと、今のナシ……っ!」
「おわっ、ちょっ! 急に暴れんな!」
 突如抱擁から逃れたがる碧囲を、百田は我に返って抑える。彼女は耳まで赤くしていた。ここへ来て、新たな一面を知ってばかりだ。
 ――言ってから照れるのかよ。……惚気かよ。
 百田は思わず、碧囲に毒づいた。碧囲が嫌なのではない。こんなにも彼女を振り回す、百田という碧囲のバディがどうにも気に食わなかった。それは彼女にとって自分のことらしいが、異なる存在だ。現実の自分は、碧囲にとって仲間の一人に過ぎない。
 ……そして百田は気づく。今、心に湧いた感情は、自分ではない百田への――碧囲の理想の相手への、嫉妬だった。


「そうだ。間接キスなんて、なかったんだよ。……オレはテメーの言った事、忘れねーけど」
「やだ、忘れてっ」
 がばっと見上げ、涙目のまま百田に懇願する碧囲。百田は、自分に向けて言った彼女を見つめる。……“オレ”の言葉で取り乱すならいいのだ。その時の彼女は、他の誰でもない自分を見ているのだから。
 百田は確信する。そして――何の気なしに言葉を零す。
「オレ……果月の事けっこう好きみてーだ。つーか好きだ」
「…………は」

 放心で涙が引っ込んだ碧囲を、もう一度抱きしめて彼女の目尻を拭ってやる。
 気持ちのからくりがわかれば、なんてことはない。碧囲を尊重したい反面、彼女の惚れる相手は、彼女をあれほどめろめろにしてしまう男は、自分でなければ嫌なのだ。こんな独占欲は、ただの仲間には抱かない。
「可愛いから、あんま泣くなよ」
「か……解斗のせいでこんなになってるんだよ! バディってだけで充分のはずが、ぁ」
 今度は口を塞いだ。軽いキス。
 自覚したばかりの感情は急速に強まっていた。呆気にとられる碧囲の顔を見ても、彼女の口にする、バディをやっている百田という男への苛立ちはおさまらない。……さすが“オレ”の幻だ。手強い。
 この部屋ではむしろ、それこそが正解で当然だが、百田は許せなかった。自分は――百田解斗は、ダイビングのバディではなく、“超高校級の宇宙飛行士”だというのに……!


 どうすれば彼女は“オレ”を見る? ここにいる限り、勝ち目はない。ならば……この互いの想いを現実に引っ張ってくるほかない。
 ――百田はそのために、この夜を使うと決めた。
 手っ取り早く抱き上げて、碧囲をベッドに腰掛けさせる。彼女は離れる百田の腕を掴んで引いた。
「……なんだよ。今更やめねーぞ」
「水の中でだめにならないように、解斗に慣れる。」
 そう言って、碧囲はそっと百田の髪を撫でた。頬に指を滑らせて、顎へ、首筋へ、確かめるように少しずつ降りていく。
 彼女にとっては恐怖を取り除く儀式なのかもしれない。しかし百田には、ただただもどかしい。

 同じように百田も碧囲を撫でていった。自分よりやわらかな髪、色づいた頬、小さな顎、繊細な首筋。
「触られっぱなしにはなんねーからな」
「……ん、いいよ。」
 あたたまった瞳で、とろりと見つめられる。彼女が自分ではない幻の自分を見ているとしても、彼女の目の前にいるのは自分だ。彼女に触れるのは、感じさせるのは、幻ではなく実在する自分の特権なのだ。


 百田が気づいた碧囲への感情も、碧囲が百田に向ける想いも、この部屋を出てしまえば忘れてしまう。そういう仕様と言われていた。
 百田はできる限り抗うつもりだったが――たとえ忘れたとしても、すでに芽生えたものならば、そのうち自力で辿り着けると思った。そしてきっと、彼女の気もこちらに向けられる。楽観的かもしれないが、そう信じる。信じることで、可能性を切り拓く。諦めない限りは不可能ではないというのが、彼の信条だ。
「……オメーを好きになった男がどんなヤツか、しっかり覚えとけ」
 願いを一つ口にして、百田は碧囲に覆い被さる。
 夜時間前の二人が想像もしなかった事を今、そしてこれから、二人で起こすために。







「――つーわけで、夜に何があったかはすっかり忘れちまってるわけだが……まあ、なんか必要な事ならリアルでもわかってくるだろうし、オレはそれならそれで別にいいかって感じだな」
 翌朝。碧囲は予告通り、朝の挨拶もそこそこに愛の鍵について訊ねてきた。
 百田がありのままに報告すると、想像を超えた使用効果に顔をしかめた。
「うぇ……ここでも記憶操作されるの? そんじゃ絶対使いたくないや。怖っ」
「まぁ、オレももう使わなくていいな……」
 何かあったような気がするが、わからない。部屋の中での感想など、一切浮かばない。
 綻び一つなく、愛の鍵は仕事をしていた。
「ていうか、首謀者って何でこんな手の込んだ事してるの……?」
「確かに気味悪ぃが……考えても無駄だろ。切り替えたほうがいいと思うぜ」
 歩きながら首をひねり考え出す碧囲の肩をたたいて、百田は続ける。

「……ワケわかんねーアイテムだったけどよ、テメーから貰えて嬉しかったぜ。ま、今度は自力でコイン稼いで、しっかり礼してやるから待ってろって」
「うわーそれいつになるんだろ……ボスは購買部のガチャガチャのほうがいいと思うなー。ほらさっそく、朝食前にトライ、トライ!」
「いや、メダルはコインにしたからねーぞ?」
「ほんとにスッカラカンか! 重症だ!! ――あっ終一さんオハヨー! 聞いてよボスがさあ!」
「げっ、言うなバカ!」
 食堂前の廊下で賑やかにする二人の前に、親しい友人が一人。
「あ、二人ともおはよう。……なんか、距離……近くない?」
「はぁ?」「……むぐ?」
 百田の腕を引くべく両手で掴む碧囲、自由のきく片手で碧囲の口を抑える百田。二人の気付かなかったことに気付いたのは――“超高校級の探偵”最原終一だった。

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初出:ぷらいべったー(170906)
加筆修正:171002

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