止まない寒気を誤魔化しながら笑顔を作り、百田解斗は助手を見送った。
 体が重い。寄宿舎のエントランスホールから自室まではほんの数メートルだが、階段を上がらなければならなかった。段差に目を遣るだけで脂汗が額に浮かぶ。一人になったおかげで気が緩んだのか、もうひと踏ん張りが利かなかった。
 気管の忌々しい感覚に切羽詰まって、百田は中庭に駆け出た。激しく咳き込む。口元に手を遣れば、血糊のように見事な血でベッタリと塗れていた。
 喀血。手のひらで受けきれず滴る様を見つめる。視界が滲んだ。
 どうしてこんな時に。この学園から出なくては、馬鹿げたコロシアイ学園生活を終わらせなければ……宇宙に行けないのに。どうして。

「……っクソ……なんで……ッ」
 血が、涙が、ボタボタと地面に落ちる。
 この才囚学園内に治療の手段はないに等しい。症状は悪化の一途だ。コロシアイなど関係なく、命が潰える――そんな恐怖が日を追うごとに大きくなっていく。
 早く決着を付けなければ――。
 誰より猶予がない事は、自身が最もわかっていた。だからハイリスクを承知で、こちらから仕掛けて戦うと決めた。仲間と団結すれば、不可能ではないはずだ。不可能であっても、可能にすればいい……今まで百田を押し上げてきた強い意志と実行力は折れていない。

 覚悟を決めてもなお、この頭を支配する焦りと不安は消えなかった。
 本当は叫びたかった。喚き散らし吹き飛ばしたかった。しかし、こんな場所では人に知れてしまう。
 不味い血を吐き出して歯噛みする。嗚咽を堪え続けたせいで息苦しさが抜けない。
 ゆっくりと息を吸い、吐く。呼気が震えていた。……身体もだった。
 ……まだ死にたくない。
 血を受けた手をきつく握り、口元を拭う。汚していない逆の手で、乱暴に目をこすった。
 宇宙にも行っていないのに――、……にも……てないのに、死ぬわけにはいかなかった。





「……まさか、本気でトレーニングしてきた?」
「してねーよ。……今日はハルマキの研究教室に行ってたんだ」
「魔姫さんの?」
「あぁ。武器――ボウガンの組み立てや、扱いについて聞いてた」
「そう……」
 碧囲(あおい)果月(かづき)は今夜も百田の自室を訪れてきた。数日前に押し掛けられ、この体調を見かねた彼女の主張に折れてから、毎晩だった。
 ただ、こんな環境では看護といっても名ばかりであるのはお互い承知で――つまり双方の精神的な不安を和らげるための同室だ。出来ることの少なさに碧囲は時折やり切れなさを滲ませていたが、何をするというわけでなくとも、そういった存在が近くにいるというだけで、百田は十分だった。

 百田の説明を聞いても、碧囲は仮眠用の掛け物をクローゼットから出しながら少し考えているようだった。
「……まあ、とにかくよく休もう。明日のために」
 ちらりと百田に目を遣り、碧囲は開き戸を閉める。百田は早々にベッドの中だった。部屋に招き入れるなり、「ちょっ……無理したでしょう、寝て!」とぐいぐい押しやられ、大人しく寝床に収まるほかなかったのだ。
 あれから百田は顔も体も洗って口もすすいでいたが、彼女は百田の変調に敏い。体調が優れないことはすぐに見通されていた。


「電気小さくするね。おやすみ」
 部屋の明かりが消え、デスクのスタンドライトだけになる。「何かあった時に真っ暗じゃ困る」と碧囲が言ってからは、小さな光を残す決まりだった。
 仰ぐ天井がぼうっと照らされる中、影が揺らめく。碧囲がソファに腰を下ろし、掛け物に包まるいつもの音。
 そこが彼女の定位置になる前――最初に訪れた日に、女をイスに寝かせて男のオレがベッドで寝るなんざ……と百田は言ったが、一蹴されていた。
――「病人第一でしょ!? わたしが何の為に来たと思ってるの、ばかいとさん! そーいう事は治ってから言うんだよ! それとも添い寝してほしい!?」
――「バッ……ガキじゃねーんだ! するかよっ!」
――「だったら、つべこべ言わないで休むの!」

 この空間ではどうにも、百田は碧囲に言いくるめられてしまう。碧囲のほうが正論でもあるが……体が弱ると心の弱さが顔を覗かせる。……そんな百田も碧囲は受け止める。
 この学園生活で気の合う同士となっていた碧囲は、百田の性分をよく理解していた。百田がどうしても強がる事を承知で叱咤し、時に受け皿を広げて待った。
 そして部屋の外と違う――“みんなのボス”でなく“親しい相手”として自分を看る彼女の振る舞いは、心地良いものだった。もともと気の合う同士でもある。
 碧囲自身を落ち着ける為のおせっかいから始まった優しさは、百田の弱った心によく沁みた。
 しかし……効きすぎた。


「……解斗さん、もう寝た……?」
「いや、……どうした」
「しんどいのに起きて、部屋に入れてくれてありがとね」
「……なんだよ、それ」
「おっけ、あとはよく寝て」
「…………テメーもな」
 暗がりの中、自分を思ってひそめた声。別段、言わなくてもいい感謝。言葉以上の意味などなく、碧囲はごく自然に発している。……こんな事すら強烈に心に響く。
 碧囲の何気ない気遣いや些細なやり取りが、百田には特別な――自分を甘露に浸す無意識の誘惑に思えてきたのだ。

 百田にとって碧囲は、もはや“気の合う同士”というだけでは済まなくなってしまった。彼女に対して性別を気に掛ける事などなかったはずが、体の不調に同調するように、意識が向いていく。
「あ、でも……何かあったらいつでも言って。出来る限り、助けになりたいし」
「…………」
 碧囲の純粋な優しさが、百田の堪える堰を容易く決壊させようとする。
 ……曝け出していいだろうか。
 助手と話しても、血を吐いても、涙を零しても、……碧囲の顔を見ても、渦巻く感情から抜け出せなかった。
 死ぬかもしれない。死にたくない。苦しい。押し潰されそうだ。……それだけではない、この得も言われぬ感情、全てを。


 密室。二人きり。その距離2メートル。
 病に冒された身体が思考を歪める。焦燥感に灼けた心が急かす。
果月――」
 口をついて出た彼女の名は、張りつめた響きで掠れていた。……ひどく刹那的な衝動と気づく余裕は、もうなかった。

「ん、何? ていうか名前で呼んだ?」
「ちょっと、こっちに来てくれ」
「……なんだなんだ?」
 名前で彼女を呼ぶ事が、一種の境界線だったらしい。
 病の発熱だけではない、抗いがたい昂ぶりが身を侵していく。どくどくと血が巡るのをはっきりと感じながら、百田はゆっくりと身を起こした。
 自分だけではない衣擦れの音と、影の揺らめき。薄明かりの中、掛け物から抜け出した碧囲がベッドサイドに寄る。
 こちらに来るまでの、ほんの僅かの痺れる時。光で縁取られる輪郭。ぼんやりと見える、百田を窺う表情。
 少しかがんだ彼女と目を合わせる。
 …………どうしても、欲しかった。


 彼女の身体を掴んで引き倒した。
「――――!?」
 呆気にとられている隙に両手を上げさせる。体裁も何も構っていられない。近くに置いていた長袖のワイシャツとベルトのうち、シャツを捩って碧囲の手首を8の字に絡め、固結びを繰り返す。ベルトを通してヘッドボードに引っ掛けた。
「解斗さん!? 聞いてる解斗さ、ン――!?」
 さらに百田は脱いだTシャツで、今度は口を縛る。見開かれた目に百田が大写しになっていた。彼女はまだ混乱が先に立つようで、事態を飲み込めていないらしい。
 続けて下まで脱ぎ捨てたところで、ようやく碧囲の瞳に恐怖が見えた。大きく叫ぶように呻いて腕を引こうとしたが、びくともしない。そのための拘束だ。

 足をばたつかせる碧囲を強引に抑えつけて跨ぎ、着衣を乱雑に捲り脱がしていく。その下から、言葉にならない音が喚く。夜中に百田の部屋に来ても襲われるなど、思ってもいなかったと。涙を零して、鼻がかった音が。わたし達の関係は、そういうものではなかったと。
 ……わかっている。でも、止めなかった。
 ――死ぬ前に、彼女に自分を刻みつける。
 そうしなければならないと、身体の奥の奥から突き動かされる。
 ――死んでも、絶対忘れられない男になる。
 そうなりたいと、彼女に蕩かされた心が渇望する。


 先手を打てば碧囲の抵抗など抵抗に入らなかった。不調どころか普段以上に漲るようで、強張った身体を力ずくでねじ伏せることにも労しない。
 潜水の為に鍛えているとはいえ碧囲は女で、病にあっても百田は男で雄だった。
 一刻も早く、中に。繋がれ。吐精しろ。成せ。そう言わんばかりに陰茎は硬く勃ち上がり、先端からじくじくと汁が滲み出る。呼吸が勝手に荒くなる。
 肌の感触や匂いより何より、求める場所に迷いはない。太ももを割り開き、百田は陰茎を陰部に擦り付けた。
 碧囲の陰部に湿り気はなく、ろくに解すことなく入れる事は現実的ではない。
 百田は手に唾液をまぶし、己の肉棒を軽く扱いて膣穴にあてがった。……足らないくらいで丁度いいのだ。百田にとっては。

 碧囲がモゴモゴと悲壮な音を聞かせる。解斗さん、やだ、やめて――おそらくそんな台詞だ。涙に濡れた瞳が、言葉より明瞭に訴える。
 だが今更聞き入れる訳がなかった。止める選択肢など、もとよりない。
 返事の代わりに、狙いを定めたその奥へ押し入ろうと腰を沈め始めた。きついより固いといったほうが近い、狭く滑りの悪い粘膜に、強引に捩じ込んでいく。少しずつ、少しずつ。
 碧囲は首を激しく横に振っていた。布越しでもわかる、金切り声。
果月……見ろよ、オレを」
 うわ言のように呟いていた。
「テメーの、何もかも……オレは――」


 押して押して、引いてまた押し込むうち、深まるように女の体はできている。さほど時間は掛けなかったが、入り切るまでには膣壁も非常事態を察して滑らかになっていった。
 百田は碧囲の叫びを無視して、ひたすら思うがままに突き入れた。酷なことをしているという思いも湧かない。
 もうすぐ、やっと、光が見える。限界への高まりが脳を支配する。呼気から一層の熱が溢れる。
 寸前、碧囲の身体が強張った。彼女もまた、予感したのだろう。
「ぁ……果月……ッ」
 爆ぜ迸る。快楽の電気信号が神経を伝い流れる。多幸感に震え、しばし浸る。
 ……碧囲の洟をすする音が微かに聞こえたような気がした。


 欲望の権化を碧囲の体内に注ぎ込んでもなお、百田は彼女を離さなかった。一度では到底足りず、ただただ突き動かされるままに吐精のための律動を続け、虚ろに碧囲の名を呼んでいた。
 それでも、精根尽き果てるまでには至らなかった。先に体の限界が来たのだ。
 碧囲が声を上げることをとうにやめた頃――ぐ、と咳込みかけて忌々しい鉄の味が広がる。白濁と鮮血を吐き出し、いよいよ百田の記憶は途切れた。





 夢うつつだった。
 ささやかな、しかしやり過ごせない心地よい刺激。柔らかい触感と温もり。目を開けても、薄ぼんやりとしていた。
 首をよじると、目の前は人の頭だった。そして自分がその人を下敷きにしている。
「……果月……」
 相手が応えるが、音が籠もりはっきり聞こえない。
 果月、ともう一回呟いて、百田は両手で身を起こす。想像以上に自分の動きは鈍かった。

 碧囲の顔を窺う。額に貼り付き乱れた髪、涙と鼻水の跡。自分が吐いた血の跳ね返り。布に塞がれた口。……はっきり思い出せる。幸せとは程遠い仕打ちを、一方的に行った己の所業。
 彼女の目尻を、親指の腹でなぞった。冷えた涙の一欠片は、もう掬うほどもない。そのまま指を髪に伝わせ、頬から後頭部にかけて結びつけた布――口の拘束を解く。唾液を吸った百田のTシャツが、ずるりと床まで落ちていった。
「解斗さん」
「悪ぃ――」
 小さく謝罪を口にして、唇を塞いだ。

 せめて正気だったら、キスから始めたかった。だが、こんなにも愛しい彼女と百田は、そもそもキスを交わすような関係ではない。
 ……局部も穿ったままのくせに、何もかもを間違えている。わかっているだけに、碧囲の言葉を聞きたくなかった。
 ただ一つ自由になった口内で、碧囲は抵抗を始める。
「っは……はなれて、手を、ほどいて」
 百田が彼女をほしいだけの愛は、その手を自由にしない。碧囲を温かな人形と同じにさせる。
 息苦しそうな口をついばんで、下へ唇を滑らせる。拒む声。奥を震わせる。訴える声。指で皮膚に曲線を描く。消え入るような嘆願。抱擁。密着。


果月、ごめんな……」
「ん、許さない」
「こんな事に……付き合わせちまった」
「……ばかいとさんだよ、ほんと」
 許されないとわかっていても重ねてしまう、薄っぺらい言葉たちにも、碧囲を付き合わせる。

 ……無かったことにはできない。触れる肌は、向ける瞳は、本物だ。
 いつだって現実が真実だ。夢でも作り物でもない。コロシアイも百田の病気も碧囲への強姦も、すべて実際の出来事だ。
 病に罹らず、碧囲が気を揉んでこの部屋に押し掛けなければ? 明日にも――今にも死ぬかもしれないと、本気で感じるほどに危機的でなければ? そんな“たられば”は意味を成さない。
 本能が理性を追い越した瞬間に、いち早く身体を求めただけの事。手荒く削り取った欲求を歪にぶつけたのは――二人の関係をぶち壊す悪手であり、碧囲を犯す為の最善手を選んだのは、百田自身だ。
 言うなれば、これは百田の、碧囲への甘えの集大成だった。


「好きだったんだ、果月のこと」
 そう告げたところで、体のいい言い訳に聞こえることだろう。
「……わたしも、好きだったよ。でも違うでしょ」
「ははっ……そうだよな」
 思ったとおりで、苦く笑う。“いい関係だったが、恋愛感情は介在しなかった”……それはもう、碧囲に限ったことだというのに。
 碧囲に拒まれても、百田は離すわけにはいかなかった。最初から合意など、なされていない。

「……半端な事しないで」
 碧囲の呟きを拾う。“好きだ”なんて冗談を言うな、誤魔化すなということか。何を言われても、離す気はなかった。
「騙すなら……本気で騙して」
 顔を上げて、碧囲を見つめる。……彼女は、すべてを“騙す”に終結させるのか。百田の行為の根幹にあるものも、好意も嘘だと解して。
 強姦から愛を察する被害者のほうがよっぽどおかしい事はわかっている。嫌いとも殺すとも言われず、随分と加害者に情を持った解釈だった。だが、それでも、切ない。
 ため息がこぼれた。
「騙すも何も、オレは本気で好きなんだよ」
 もはや何を言ったところで本心として伝わらないのだろう。軽く口づけて終いにした。
 碧囲は、そっか、とだけ言うと、区切りをつけるように瞼を閉じた。



 積極的に応えることのない、温かな人形にキスをする。百田は碧囲の様子をうかがいながら緩やかに、愛しさを伝えるように優しく触れていく。
果月――」
 募る気持ちが、名を呼ばせる。おそらく今夜限りだ。百田の生き死ににかかわらず、碧囲にこのような事をしておいて、次があるとは思えない。
 碧囲の願いにも沿って、半端な事はせず本気で臨む。――騙すのではなく、愛する。

 独りよがりな贖罪行為であっても、語る愛に偽りはない。悲しげに受け止めていた碧囲は、次第に眉を寄せた。
 魂を持った彼女から少しずつ幸せを引き出すうち、その吐息に色がまじりだす。……感じて欲しい。碧囲の普段とは違う一面を見たかった。
 最後まで触れずにいた秘芯に手を伸ばすと、小さく喘いだ。
「聞かせてくれよ。もっと」
 啼かせたい。一面なんかでは足りない、何面も、いっそ全てをさらしてほしい。どんどん欲深くなる。
 歌声で船乗りを惑わせる水の精。溺れていく。


 水音を響かせ掻くたび、碧囲が涙と嬌声を零し跳ねる。途切れ途切れになる、碧囲の言葉。
 ――もう嘘つかないで。
「……間違ってる、だろ。こんなの」
 これは嘘なんかじゃない。百田が、碧囲が今感じるその感覚が、真実だ。
 ……こんな伝え方が、本当に今の最良手か。選んだ自分を信じるしかない。
 言葉が裏返ろうと、身体を繋いで、口づけを落として、きつく抱きしめて……この身から発するすべてで、心まで届かせる。

 気を許していた男に強姦されても、愛を嘘と解釈して自分を保ってきた碧囲の――その理性を崩すことがどれほど酷な事であるか。
「テメーに、甘えて……傷つけてるのはッ、わかっ、てんだ、でもよ――」
 大きな動きを続けると保たない。呼吸が苦しい。胸が苦しい。クソ、わかっている。オレが碧囲を苦しめた。苦しい。それでも。
「これで……死んでもっ……ハァ、オレを忘れねーだろ、果月……ッ……」
 愛しい。恋しい。離したくない。
 碧囲が締め付ける。百田を、この契りの終焉に連れて行く。
 ……こんなにも好きな女なのに、二度と抱けない。


 ――どうか、こんなバカな男を覚えていてくれ。
 ここまできても、虫のいい事を思っている。
 
 碧囲は百田の意図を推し量り、いつの日かこの行為の真意に辿り着くのだと。



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