「……本日限りの到達目標だそうです。行うも行わないも、あなた達の自由。…………報告は以上ですので、私はこれで」
 管狐・こんのすけは通達するや、このところすっかりお気に入りとなった油揚げを調達しに台所へと消えていった。
 残されたのは、審神者と近侍。二人ともが互いの顔を見合わせて、政府の意思決定機関の正気を疑う。
「……どう思います」
「これは驚いた。突拍子もないな……お上は夏の暑さにやられちまったんじゃないか?」
 今日の近侍は鶴丸国永だ。この本丸では、審神者と顕現させた刀剣男士たちがそれぞれを把握し合えるようにと、日替わりで近侍を交代させる制度を採っていた。

「あの方々は冷房の中で悠々しているでしょう。暑いのが嫌ならば景趣を戻しますよ」
「歌仙あたりが“風流”を持ちだして抗議してくるのが目に見える。やめとくぜ」
「そうですか。私も四季を感じたいので、もうしばらくこの景趣を楽しみましょう」
「ああ。薄着も慣れれば悪くないもんだ」
 審神者の部屋から二人して庭を眺める。まだ朝だが、夏は通常と比べて日が昇るのが早い。明るく照らされた草花がそよ風に揺れ、風鈴がチリンと涼を奏でた。


「……いや、お前ら何で和んでんだ。論点ズレてるだろ」
「おう、御手杵。見えてたぞ」
「げっ、マジか!?」
 簾の隙間から顔を出したのは、御手杵。鶴丸に立ち聞きを見透かされた彼は、狼狽えながらも審神者の部屋に入った。
「おはようございます、御手杵。足元と人影で分かりますよ」
「戦の時ならマシなのに。なあ御手杵」
「そうなんですか?」
「まあ……俺、槍だし。って、いいんだよそんなことは!」
 くすくすと笑って審神者も御手杵を迎え入れる。おっとりした彼女のペースに鶴丸まで乗っかられると、御手杵は調子が狂って仕方がなかった。

「や、悪いな。入るに入れなかったんだろ? 朝餉の知らせか?」
「そうだ。お前らが来ないもんだからさ」
「わざわざ呼びに来ていただいて、すみませんね」
「やー俺は別に……。でも、さっきの話はどうすんだ?」
 面倒くさい課題を出されたもんだなあ。やるつもりなのか? ――そう尋ねたつもりだったが、審神者の答えは御手杵の想定していたものとは少々ズレがあった。

「どうしましょうか。皆も居りますし、朝餉の後に意見を尋ねましょうか」
「え? あんたの意思は」
「この本丸において最良の選択をします」
「…………はあ?」
「……ま、とにかく、あいつらにも聞いてみようぜ」
 ぽかんと己の主を見る御手杵の肩をたたいて、鶴丸は広間へと促した。
 納得行かないという表情の御手杵の姿に、これが通常の反応に違いないと彼は思う。
 こんのすけから通達を受けて、審神者はまず近侍に所感を尋ねた。刀剣男士の意向を汲んで是否を決めようと、端から思うその心に、鶴丸は寄り添うことにしたのだった。






 御手杵が審神者と近侍を連れて戻ると、出立の予定が迫る遠征組は先に食事を始めていた。
 彼らが一足早く食事を終える前、審神者は途中にすまないと断りを入れてから、先の件の説明を始めた。
「――通達は以上でした。これに関しては全員の同意がなければ行うべきではないでしょう。急ではありますが、ここで皆に伺いたいと思います」
 前代未聞の到達目標に、一同は思い思いの反応を見せた。大部分はざわめき、「何故そんなことを政府が言うのか?」「そもそも接吻とは?」といった声が審神者にも届く。一部は固まって食事の手も止まり、また一部は何事もなかったかのように静々と食に勤しんでいた。


 審神者がこの任に就いて、すでに数ヶ月が過ぎていた。現時点で顕現させられる刀剣男士は数振りを残しておおかた揃えているが、彼女が最後に顕現に成功したのはひと月も前のことだ。その刀剣男士・三日月宗近も、今はこの本丸にすっかり馴染んでいる。
 新たな戦力を迎え入れることができず、密かに焦りを感じていた折に発せられたこの通達は、“現状の戦力との結束強化で補うべきである”という政府の意向なのだと審神者は受け取っていた。
「……審神者と刀剣男士が接触することで結びつきを強める、というのは、理にかなったものです。互いに能力強化が期待できるでしょう。深部であればあるほど、効果は高まります」

 そんな審神者の説明を聞いて真っ先に意見をしたのは、粟田口の短刀だった。
「いや……そういうのは聞いちゃいねぇんだ。大将。あんたがしたいか、したくないか。どっちだ?」
「んーんー。ビジネスだけじゃ、主は務まらんばい」
 薬研藤四郎が手を挙げて審神者に問いかけると、隣の博多藤四郎も腕組みをして大きく頷く。彼らが堰を切ると、近くの短刀たちも口々に審神者の意思を尋ね始めた。
 困ったのは審神者だった。刀剣男士に聞くつもりが、初っ端から逆に聞かれてしまうとは思いもせず、あれやこれやと考える。

「え、ええと……私が皆さんと親密な接触を図ったら……皆さんとの心の距離も、縮まりますかね」
「ははは……問いを問いで返してくるとはなあ」
 この本丸の新参、三日月宗近は目を細めて審神者を見つめた。だが彼も、ひと月も同じ場所で寝食を共にすれば、彼女の気質をほぼ把握できている。
 審神者としての責務に対し真摯に取り組む心意気を、彼も買っていた。が、ふいに本心を零してしまうあたりに未熟さを垣間見る。それも、彼女が刀剣男士たちを信頼している証ではあるのだが――。


「主、それ聞いちゃう? だいたい、すでに近いでしょ俺たち! だからどーんと構えて、もっとぶつかってきていいんだって!」
 三日月の思案を、加州清光の大きな声が遮った。比較的初期の段階でこの本丸に現れた彼は、新しい持ち主となった彼女によく接していた。……加州のほうから審神者に歩み寄った、といったほうが正解かもしれない。
 加州がアピールを重ねても、審神者には躊躇いが見て取れた。そんな行いをして不快に思う者はいないだろうか――それが最大の懸念だった。

「ほらほらー、最古参のお兄さーん、まとめちゃってくださーい」
「ん、わしか?」
 鯰尾藤四郎に袖を引かれて、審神者が最初に顕現させた刀剣男士・陸奥守吉行は静観の態度をようやく止める。胡座をかき直して審神者の顔をじいと見ると、ニカッと犬歯を見せた。
「あー、ほうじゃなあ。わしらはおんしに嫌々付き従っちゅうわけじゃーないき、おんしの好きなようにしたらいいちや。のう?」
 ぐ、と審神者は目を大きくした。
 長らくここの刀剣男士を見ている彼の言葉なら、そうなのかもしれない。嘘があればこんな笑顔で返すまい。……そんな気にさせられる、強い何かを感じて、彼女は自然にコックリと頷いていた。



「……せーのっ」
「異議なーーしっ!!」
 やり取りを見ていた蛍丸が小さく音頭を取って、愛染国俊と賛成を叫んだ。
 近くでうるさいと声を上げた和泉守兼定にもお構いなしで笑い合う。仲の良い二人は、一緒にいれば何をしても楽しんでしまうのだった。
 そんな和泉守を堀川国広が「まあまあ」となだめるのを見やりつつ、先に審神者と話をしていた御手杵は、納得のいかない顔で頬杖をついていた。

「なんだ。最初に俺が言ったのと同じことだよなぁ……」
「プロセスが大事だったんじゃないかな。ね?」
「…………勝手にしろ」
 向かいに座る燭台切光忠は微笑みの表情を崩さない。彼が隣の刀剣男士に同意を促すと、壁に凭れていた大倶利伽羅は一言だけ返して視線を外に遣った。
「それは合意とみなすぞ。大倶利伽羅」
 丁度茶を足しに来ていた、へし切長谷部も話に口を挟む。
 大倶利伽羅は眉をひそめて席を立ってしまった。更に小言を続けて追う姿勢を見せた長谷部だったが、燭台切に目配せされると渋々座りなおして審神者の方を向いた。


「……どうせ達成報酬にでも目が眩んだんだろ。やめておけ」
「いえ……何が報酬かは聞いていませんよ」
「はぁっ!?」
「そうだったな……。気になるなら、こんのすけとっ捕まえて聞きゃあいいさ」
 審神者の近くに座していた山姥切国広の忠言は、「報酬は知らない」という新たな情報の開示という方向で成果を得た。……当の彼は、信じられないという目で審神者と隣の鶴丸を見つめて黙り込んだが。
「主殿は物欲で釣られるような御仁ではないようであるな。カカカ、実に結構!」
 兄弟の背に手をやった山伏国広は、大きく口を開けて笑う。そして、これも修行である、と呟いた。


「なーなー。これって俺たちのほうから口吸いしにいっていいわけー?」
「ししし獅子王殿ぉ!?」
 遠くから手を挙げて質問した獅子王に、一期一振は一際目立つ反応をしていた。何か思うふしがあるらしく、普段の彼らしからぬ様子でハラハラと獅子王と審神者側を交互に見る。
「だってさ、こういうのって本来は男が先導してやるべきだろ? 別に制限ないんだったら、俺は主からさせたくねーんだけど。どうなの近侍殿?」
「……そこは、細かく指定されてなかったな」
「どっちでもいいんだな、わかったぜ!」

 獅子王はカラッと笑って鶴丸に礼を述べた。無神経なようだが、男女の行為としての定石が通るかと聞いてくる彼は、審神者を単に能力持ちの主とは思っていないことが伺える。それを我が主はどこまで分かっているのだろうか、と鶴丸は一瞬考えたが……余計なことかと思い直した。
「……というわけで、全員協力してくれ。通達が切っ掛けにせよ、皆との繋がりを強くしたいという主の意向を突っぱねるんじゃないぞ?」
 他に質問がないかと尋ね、ない様子を確認する。おおむね是の返事が来て、鶴丸はひとまず案件のまとめを終えた。



 審神者に視線を遣ると、彼女はこの件が思いのほか大きな意味を持つことにようやく気付いたところらしく、わざわざ座りなおして鶴丸に緊張の面持ちを向けていた。
「鶴丸……」
「どこまでやるかは、君の好きにしたらいい。……とりあえず、あいつらに先駆けてちょいと失礼するぜ」
 向かい合う審神者に近づき、ひそめた声を彼女の耳へと届けた鶴丸は、その唇をやや上に運んで額に触れる。離れ際に、小さく音を立てた。

「これも接吻のうちだ。どっちかの口が付きゃ達成。気を楽に持てよ、主」
 驚いたか? と片目を瞑って聞いても、呆気にとられた審神者から声は返ってこなかった。
「おーおー。やってくれるのう鶴丸国永ァ」
「今日は俺が近侍なものでなあ、陸奥守吉行殿」
 陸奥守は先に審神者に向けたものとはまったく別物の笑みを鶴丸へ見せつつ、片膝を付く。鶴丸も彼に対して一瞬口の端を上げて言葉を返したが、すぐに近侍の顔へと戻った。

「さーて解散だ。一同、本来の任務もしっかり頼むぜ!」
「あるじさまー! ぼくにくちづけしてくださいっ!」
 鶴丸が言い終わるが早いか、審神者に飛びついてきたのは今剣だった。横から抱きしめ、顔を寄せてせがむ彼に、審神者は気が追いつかない。
 出立の準備に向かう者、食器の片付けをする者、審神者を気にしながらも広間から出て行く者……刀剣男士は様々に、今日という日を始めていく。
 ……審神者の長い一日もまた、始まったばかりだった。


――刀剣乱舞“本丸接吻四十七手(数振り未実装Ver.)”はじまります――

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