手合せの支度を済ませた同田貫正国は、戦の時と同じ装備を纏って庭先にいた。
 しかし相手がやって来ず、時間を持て余した彼は、たまたま縁側を通りかかった審神者を見つけて呼び止めていた。
 同田貫は己が人の姿となっても、あくまで“刀”の意識でいる。彼にとっては戦に出ることが至上で、主である審神者の職務や彼女の能力といった類にはとんと疎かった。……戦以外に興味が向かないので知識が定着しない、というのが正味のところだったが。
 そんな同田貫であるから、朝に通達された“今日限りの達成目標”の話もさっぱり意味不明でいた。接吻なる行為についても他の刀剣男士が説明したところで理解には程遠く、当事者の審神者に聞くが早いと決めると、彼としては至極素朴な疑問を彼女にぶつけるのだった。

「なあ。何であんたと口がくっ付くと、強くなるんだ?」
「…………まあ、審神者だから、でしょうね。あなた方を顕現させてますし」
 審神者は同田貫の問いに、というよりも接吻の表現のいびつさに面食らったが、彼は刀剣男士の中でもとりわけ刀らしい者であったことを思う。彼女は一瞬の動揺を見せないよう、落ち着き払って答えを返した。
 能力を持った審神者と刀剣男士が触れ合えば、気の流れの往来が起こる。互いを繋ぎ、相手の気を取り込むことで能力や連携が強まるのだと、できるだけわかりやすい言葉を選んで同田貫に話す。


「はあ……道理はわかったが、何で上の連中は口って決めてくんだかなぁ」
「最も内部に触れやすい部分だから、かと」
 気は表面より内側にこもっているため、深部同士なら力を与えやすい。ゆえに効果は高まる。加えて念じたり、強い思いを持って接触をすると、より明確に力が発生する。
「……ふーん」
 補足を交えての話を、同田貫はある程度の咀嚼に成功して相槌を打った。
「我らにとってもあんたとの関係を強めたほうがいいから、わざわざ朝に聞いたのか」
「戦の強さとはまた別のものですからね。……でも、万が一の事態には、私との繋がりがあなたに影響する……かも」
 審神者は縁側の上から彼を少し見下ろす形で、眉を下げ小首を傾げる。

「曖昧だなァ。……俺はあんたの力を借りなくても、折れたりしねーけど」
 彼女との繋がりの強さは戦で表立つとは限らないと聞いて、同田貫は興味を失いかけた――のだが。
「ええ、頼りにしています。同田貫正国」
 信頼の言葉は間を置くことなく、たやすく紡がれた。真っ直ぐに彼を捉え、微笑みを浮かべる、その顔。
 瞳を逸らすこともままならず、同田貫はやや遅れて小さく返事をする。刀として練度を高めてきたはずであったが、咄嗟に湧き上がった謎の感情には太刀打ちできなかった。





「じゃ、接吻とやらをしとくか。あいつ来ねーと手合せできねぇし」
 気を取り直した同田貫は、やっぱりおかしな課題だぜ、と呟く。だが審神者が同調することはなかった。すでに、賽は投げられているのだ。
 審神者は口火を切った近侍の言葉を思い返し、一度深く呼吸をしてから同田貫に切り出した。
「……あなたには申し訳ないですが、羽虫が止まったとでも思ってください。その……どこなら構いませんか」
「あ? どこって、口だろ?」
「えっ」

 同田貫は、さも当然と真顔で言い放つ。
「俺が口をつけたら、あんただって強くなるんだよな? いつか力が弱ってぶっ倒れられても困るし、全力でやってやるよ」
 三白眼の奥の黄金色の瞳を光らせる彼は、戦以外でやる気を見せない普段とは少々違っていた。
 ……しかしそれは、接吻を理解していない男が、全力で口をつけに来るということ。――審神者には大惨事の予感しかしなかった。
「ま、待ってください。それは絶対に痛いですよね!?」
「ハァ? 要は一緒になって口ん中を触ってきゃいいんだろ? 痛かねーだろ」


「…………」
 把握しきったつもりの彼に、審神者は返す言葉をなくしてしまった。
 衝突事故は避けられるらしいが、実に生々しい行為を予告されたに等しい。
 同田貫はこの行為の別の意味をわかっていない。つまり、これに邪な意味はないのだ。そもそも彼は、刀の化身だ。……人の形をしているから、ややこしいのだ。
「なあ、とっととやろうぜ」
 歴史修正主義者に対抗するため、刀剣男士を強化するため、審神者との繋がりを強めるため――。理詰めでそう取り繕いながらも奥底では割り切れずにいた彼女の心を、同田貫は無自覚に無神経に掻き乱す。

 刀だが青年にしか見えない同田貫に、姿だけはつり合いそうな――つまり異性を異性と意識する年頃の審神者。
 親愛の情はあれど、男女の仲でない相手と口吻……しかも腔内をまさぐり合うとなると、さすがに抵抗が生じる。
 それは困る、やめてくれと同田貫に言ったらどうなるか。日課を達成したいんじゃなかったのかと首を捻るだろう。あるいは男女で行う場合の意味を説いたとして…………この様子では言っても通じないだろうと、彼女は奥歯を噛んだ。


「ほら。――俺は戦で絶対に負けねえ! って気を、あんたに分けてやる」
「……で、では……私は……あなたがあなたでいられるようにと、思いを込めましょう……!」
 ……ならばいっそ永久に、人の、このような心の機微を悟らないでいてほしい。彼さえ気づかなければ、この行為もただの日課の到達過程として終わるのだから。
 覚悟を決めた審神者がキッと睨むように顔を向けると、同田貫は彼女がようやくやる気を出したと見て口の端を上げた。

 踏み石に乗り縁側へ近付いた同田貫と、縁側のふちに寄った審神者とは、段差によって普段よりも近い目線となる。
 強い意思の宿った彼の瞳は、間近にするといっそう美しかった。それを輝かせられるのが戦にかかわる物事だけ、というのは惜しい気もするが、だからこそ機能に特化した美を彼から感じるのかもしれない。
 ――そんな審神者の物思いは、時間にすれば刹那に近かった。
 距離を詰めた同田貫が両手で二の腕を掴む。視界が彼に覆われたところで、審神者は瞳を閉じた。



 半開きにした唇に同田貫のそれが合わさり、やわやわと食まれていく。上の唇と下の唇とを何度か繰り返した彼は、しかしどうもしっくりいかないと言うように唸った。
 口は口だが、これでは口の中ではないと考えているのだろう。……何も知らずに始めてしまうからだと言いたくなった審神者だったが、元はといえばこちらが投げた賽だ。止めるも文句も、彼の気持ちを踏みにじるような気がしてしまう。
 長く考える余裕はなく、審神者は……もはや自分から同田貫を先導するほかないと、瞳を開いて彼の唇に吸い付いた。

 ちゅ、と音がなり、同田貫が驚いたように少し顔を引いて彼女を見る。
 審神者は、掴まれたままであまり自由にならない腕を伸ばして、同田貫の脇腹あたりに手を添えた。
「……まだですよね」
 この近さでなければ聞き逃すような小さな声は普段と異質で、同田貫は目を見開いた。
 触れられた場所が、やけに熱を帯びる。顔を寄せた彼女の、やや下がった瞼から覗く瞳を見ていると、妙な高揚を覚えた。


 瞳を閉じて再び口づけた審神者は、同田貫の口の中に舌を滑り込ませた。窺うように彼の腔内を探って、舌に触れる。同田貫も舌を動かすと、彼女はそこに絡めて応えた。
 勝手を把握した同田貫は、次は自分の番とばかりに彼女の舌を舌でこする。急の応戦に窮したのをいいことに、彼は気ままに彼女の腔内を舐め漁っていった。
 ……やわらかな感触、かすかに立つ彼女の匂い。
 鼻から抜ける彼女の声とも音ともつかないものが、先からの高揚をいっそう煽り、同田貫の身体をゾクリと突き抜ける。
 ――人の口は甘くて気持ちがいい。
 甘美な痺れをもたらすこの行為が何の目的でもたらされたかなど、同田貫は途中から忘れていた。

 夢中の同田貫に最初こそ応えていた審神者だったが、彼の勢いに任せた蹂躙を躱すに躱せず、次第に息苦しさと流されそうな感情をやり過ごすことに精一杯だった。
 腔内を深く、まさぐられる度、彼の喉輪が胸元や鎖骨に当たってこすれる。唾液が流れ伝って喉元までも濡らすが、彼女に気づく暇は与えられない。
 彼は当初の目的で念じながら舐っているのか、あるいは快を覚えて人の本能に身を任せているのか――。もはや判別できる状態ではなく、彼女は荒波に己を委ねていった。





 いつ終わるともわからなかった深く長い口吻は、酸素が不足した審神者の足元がぐらついたことによって中断された。
 息も絶え絶えなのは審神者だけで、同田貫のほうは彼女を支えた後も息一つ乱さずにいる。
「おいおい、大丈夫かぁ?」
「……ああも、されてしまうと、息も継げませんよ……」
「なんか苦しそうだなァ。俺はよかったけど、あんたは……あんましねーほうが、いいんじゃねぇか」
 同田貫が、縁側にしゃがみ込んだ審神者を覗き込もうと自分もしゃがむ。
 様子を見られるのに恥ずかしくなった審神者は、膝を折って座り直した。頬の火照りを引かせようと、手で煽ったり触ったり、せわしない。

「あの……間違っても、無闇にするものではありませんから、それだけは覚えておいてください」
「どういう時ならいいんだ?」
「え、……あ、相手の合意とか……そもそも無闇に聞いてもなりません」
「……はーぁ」
 わからないと言いたげな返事をする同田貫だったが、審神者は間髪入れずに畳み掛けた。
「今の、これについての具体的な話は、他の誰にもしないでください。絶対に。お願いします」

「別に話すこともねー気がするが、まあわかったぜ」
 やけに強く言いつける態度が気にならなかったわけではないが、内容は彼にとってどうでもいい部類であったので、同田貫は了承した。
 しっかり話す審神者を見て調子が戻ったと判断し、立ち上がる。
 彼女の頬の赤みも先より和らいでいた。そこに見える二筋の跡を上に辿ると、光を集めてきらめく小さな珠が先の行為の名残りを示す。
 触れ合っていた時は近すぎて、また没頭していて気づかなかった同田貫は、思わず言葉をこぼしていた。


「……つーか、あんたも涙を出すんだな」
「!」
 初めて見た、と続ける同田貫の話など吹き飛ばすような素早さで、審神者は目元を拭った。指で涙を払った後で手拭いを持っていたことを思い出して、懐に手をやると、今度は胸元の湿っぽさに驚いて一瞬手を引っ込める。
 もう一度手を入れて手拭いを取り出した審神者は、目だけを出し、その下を広げた手拭いでお腹のあたりまで隠してしまった。

「何だよそれ。急に慌ててさあ」
「よ、用事を思い出しましたので、部屋に戻ります! あなたも、鍛錬に励んでくださいっ」
「はあ、言われなくともやるよ。じゃあな」
 すっくと立ち上がり、バタバタと逃げるように立ち去る審神者を、同田貫は特に引き止めることもなく、何事もなかったかのように見送った。



 縁側に立てかけていた刀をいつものように担ぎ、審神者が来る前と同じようにして、同田貫は再び手合せの相手を待つ。
 一人となった同田貫は、先の審神者を思い返していた。
 潤んだ目、赤み差す頬、濡れた唇――。接吻を続けた彼女の表情を思い出すと、やけに昂る自分を感じた。
 ――もしや、接吻の効果とはこれなのか。……だったら、悪いものじゃない。
 自然と口角が上がるほどに、気分がよかった。

 戦で得る興奮とは少々異なるが、この昂ぶりは手合せで存分に発散できそうだ。
 そう考え至った同田貫は、手合せ相手を探すことにした。待つより早いと思ったし、待つ時間が惜しくなったのだ。
 手始めに本丸周辺を見て回ろうと、彼は歩き始める。
 ……顎のふちをてらりと光らせ、ふやけた唇のその奥。刺激の余韻の残る舌先を、無自覚で、もてあそびながら。

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初出:ぷらいべったー(150906)

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