審神者待望の新たな刀剣男士は、第一部隊によって連れ帰られた日本号であった。
 政府から特別達成目標を言い渡された日にやって来るとは、審神者はもちろん、おそらく政府も想定外だっただろう。そう思えるほどに、今までの本丸には新戦力を迎えるような兆しがなかった。
 ゆえに本丸の者たちは、現れた刀剣男士を手厚く出迎えた。日本号に所縁のある者に限らず歓迎の意を表し、また普段愛想が良いとは言えないような者も、新たな仲間に挨拶をしていく。

 予想を上回る対応に日本号は、本丸の案内を務めた近侍に冗談めかして尋ねてみた。ここまでの扱いを受けているのは、もしや自分が“位持ち”だからか、と。
 だが、今日の近侍だという鶴丸国永は、敬意は表すがそれは違うと返した。
 そして気さくな微笑の中に複雑な思いを僅かに覗かせ、こう言ったのだった。
 ――あんたを驚かせたくて、やってるわけでもない。……最初の主の顔を見ただろ? 随分と焦らしてくれたもんだぜ、日本号殿。

 そこで日本号は、彼らが主の思いを反映した態度を取っているのだと理解に及ぶ。
 彼らと審神者との絆を感じて、悪い働き場所ではないようだと日本号は気を良くしていた。
 しかし……ただ一つ、長らく新たな刀剣男士を迎えられずにいたこの本丸の、今日限りの特別な到達目標を聞かされると、思わず耳を疑った。
 ――新入りでは、いささか面食らう課題かもしれないが、主のために助力を願う。
 お願い、という申し出とは思えない目で近侍に告げられた日本号は、少々おかしなところに呼び出されてしまった気がしてならなかったが……もはや手遅れであった。





 歓待の夕餉もお開きとなり、刀剣男士たちが各々の部屋へと戻り始めた頃、審神者は日本号に自室へ来てほしいと話し掛けた。
「酒持参でも構わないのなら、いいぜ」
「私がお付き合いできなくともよければ、ご自由にどうぞ」
「相手が居るのに一人酒か……ま、仕方ねえ」
 言葉とは裏腹に、日本号に憂う素振りは見えなかった。自前の大きな徳利のほか、小ぶりの徳利と盃を指に引っ掛けて、審神者の後に付いて行く。


 部屋に案内した審神者は、日本号にあらためて歓迎の言葉を告げ、この本丸の印象を尋ねた。
 日本号が近侍を始めとする応対や、一同揃っての夕餉に謝意を示すと、ようやく安心したように笑顔を見せる。
「楽にしてください、日本号。ここは月がよく見えますので、お酒を嗜む方にはいっそうよろしいかと」
「ああ、どうもな。しかし……あんたこそ、ちょっと硬いんじゃねえか?」

 腰を下ろした日本号は、手酌で酒を注ぎながら審神者を見つめる。笑顔ではいたものの、彼女はどことなくぎこちなかった。
 その証拠に、言われた彼女はギクリと顔を強張らせる。
 歓迎会から、たらふく酒を入れているはずの日本号だが、多少の酩酊を見せながらも相手の態度を見誤らない鋭さがあった。
 指摘をされた審神者は、取り繕っても無意味と観念する。日本号の前に正座で向き合うと、緊張の面持ちを隠さず、真っ直ぐ彼を見つめた。


「日本号……その、本日限定の到達目標については、聞きましたか」
「ああ、接吻する……とか? 近侍からの説明の折、耳に入れたぜ」
「左様ですか……。顕現していただいて早々、このようなことに巻き込みまして申し訳ありません」
「そういうのは無しだ。本丸を取り仕切ってる奴が簡単に頭垂れちゃあいけねーだろ」
 審神者が指を付いたところで、日本号はすかさず右手のひらを向けて制す。

「……だが、もれなく俺にもするってか。中々に芯が強いようだな、あんた」
 下げかけた顔を向け直す審神者の瞳をじいと見ると、日本号はしたり顔で笑った。
 詫びる気持ちを示したものの、審神者が新参の日本号にも課題をこなしてほしい気なのは明らかだった。
「私を信じて協力してくれた、ここの者たちに応えるためにも、成し遂げたいと思っております。……あなたが拒まなければ、ですが」
「ふうん……」


 彼女の態度からして、自分が課題の最後の相手のようだと日本号は感じる。
 そして……この本丸の刀剣男士と審神者の様子を見るに、彼らは各々が思っている以上の深い思いを相手が抱いていることに、気づいていないらしい。
 四十数人が集えど、特殊で閉鎖的な集団だ。芯は強いがどこか控えめに映る主を持った彼らは、あまり大っぴらに彼女に気持ちを伝えていなかったのかもしれない。あるいは、互いに鈍感か疑り深いか。いずれかに違いないと思った。

 ――さて、俺はどうしたものか。
 どちらかの唇が相手に触れれば構わないと、近侍は言っていた。今のところ、この主を嫌う理由もない。課題を達成することは造作もなかった。
 人の体を得て、これより仕えし主に接吻をひとつ……。時代の差はあれど、今までの主たちもしていたような行いを、自分も実践することになるらしい。
 なみなみと注がれた盃の酒を、日本号は一気に呷る。徳利を傾けて再び満たすと、目の前の彼女にひとつの問いを投げかけた。



「あんた、酒はいける口か?」
 脈絡のない質問をした日本号に、審神者は思わず聞き返しかけるも、思い直して問いに沿う答えを探す。
 酒は飲めるかと聞かれたのだ。まだ出会ったばかりだが、率直な物言いは彼の性格なのだろうと彼女は思う。それに合わせて端的に是か否かを返したかったが、……踏み切れず言葉を濁した。
「……ここでは、飲まないようにしておりますので……」
「酒好きか……そりゃよかった」
「…………」
 断定的に言う日本号に審神者は思い迷いながら、ついに否定しなかった。

 自分の見立て通りとわかった彼は、心底嬉しそうに頬を緩める。
「俺の新たな主との出会いの日だ。一杯やろうぜ」
 日本号は新たに注いだ盃を差し出したが、審神者は困り笑顔で、押し留めるように両手のひらを彼に見せるばかりだった。
 彼女は、この本丸では酒を嗜まなかった。飲酒が非合法な年齢でも酒に弱いわけでもないが、本丸での生活も職務の一つと捉えて、判断を誤ることがないよう自重している。あの次郎太刀が毎日のように勧めてもかわし続けてきたのだから、その意思はなかなかであった。


「……そうかい。なら、乾杯だけ付き合ってくれ」
 小さくため息をついた日本号は、言葉とは裏腹に差し出していた盃を引っ込めた。
 ――乾杯させるつもりなのに?
 その盃を持って、かち合わせると思っていた審神者は、顔に疑問を浮かべて彼を見つめる。
 すると日本号は自分の盃ではなく、審神者に注いだほうの酒を呷った。
 左手を付いて身を乗り出した彼は、伸ばした右手を彼女の頬から顎に掛けて、自分の顔のほうへ僅かに引き寄せる。
 ……日本、と名が書かれた徳利が、ことん、と倒れた。

 不意をついて割り込んだ審神者の口の中に、日本号は含んだ酒を押しやった。
 ……少しだけひりつく刺激と、やわらかな甘味。口を封じられて呼吸を鼻に頼れば、どこか果実に似た芳醇な香り。
 冷やであったはずのそれは人肌で温められ、いっそう匂い立つ。液体が舌の上で躍り転がって、まとわり付く。
 日本号は酒を移し終えても審神者の口を塞ぎ続けていた。
 舌を遊ばせることもなく、蓋に徹する彼の想いはにじみ出る。
 ――酒が好きなら俺と飲んでくれ。
 上戸のささやかな願いは、手前勝手な行いをもって体現されたのだった。



 添えていた指先から彼女の嚥下を感じ取ると、ようやく日本号は唇を離した。
 吐息の触れる距離でニイと笑うと、まんまとやられたほうの審神者は頬を赤くして抗議の視線を向けかけたが、ふいと逸らした。
 酒を飲み込んでも空気から酒に塗れるのは、しこたま飲んでいる日本号のせいだ。
 飲める彼女にすれば、けっして嫌いな香りではなかった。むしろそれに満ちることは、心地良い誘惑を受けるに等しい。
「……なァ、うまいだろ?」
 深みのある低音は甘やかな罠のように、耳を捕らえて溶かしにかかる。
 酒の話か。それとも、審神者を出し抜いたことか。
 主語のない日本語の正解は、聞き返さなければ辿り着けそうになかった。

「…………雑味が加わっては、なんとも」
 逡巡の末、審神者はあくまで酒の話を続けることにした。
 上等な日本酒だった。はずだ。……しかし口移しの酒は、味を判断するには唾液混じりに過ぎた。
「なんだ、やっぱり味もわかるんじゃねえか。はっはっは!」
 日本号は声を上げて笑った。
 酒については、何を言っても見透かしていく。審神者もつられて笑い返すしかなかった。
 彼女がこの強引な乾杯を責めないのは、酔いのせいではない。
 突き返さずに飲んでしまっては彼と同類なのだ。ただの上戸となった彼女が言い訳がましく咎めるなど、できなかった。


「それでも自分から飲まねえとは、惜しい御仁だぜ」
 元に直った日本号は、先の勢いで倒した自前の徳利を立たせながらごちた。蓋は開いていたが、すでに空だったので惨事には至らずに済んでいる。
 その姿に審神者が、酒好きの彼のこと、畳に飲ませるなんてことはしないだろう……などとぼんやり考えていると、ため息混じりに言葉が続いた。
「はー、好きなら好きに飲めばいいものを」
「……この任に就いた時から固く守ってきたことですから……でも、飲んでしまいましたね」

「……俺が無礼を働いたせいにすりゃいい」
「ですが……あなたのおかげで課題を達成できました」
「いやいや。こんなので、あんたはいいのか? しかも俺が最後だったんだろ?」
 ありがとう、と言い掛ける審神者を遮って日本号は突っ込んだ。
「いえ……こちらこそ、初日から妙なことをお願いした非礼を詫びるべきでしょう」
 酒を飲ませたこともそうだが、課題があったとはいえ唇を奪っているというのに、彼女は怒りも取り乱しもしない。あくまで己の職務を先行させる。

「……もうちっと、人らしく動揺していいと思うぜ、あんた」
 歳相応の異性に対する意識がないわけではないだろう。……よもやこの課題で感覚が麻痺してしまったのか、とも日本号は思ったが――そこで彼女が苦笑いを返してきたことで、彼は一つの可能性を見出した。
 ――会って間もない相手に過度の反応は失礼と、堪えているのではないか。
 そうであるならば……なんとも奥ゆかしいことだった。完璧に隠し切れない隙がまた、絶妙だ。
 このように時折ちらつく彼女の素を垣間見て、ここの刀剣男士は感じるものがあったのかもしれないと、日本号は何となく掴めた気がした。


 審神者は少しの間返答に迷っていたが、やがて丁度いい答えを見つけたと言うようにそれに触れると、口を開いた。
「では……全ては酒に免じて、ということで。……収めていただけますか、日本号」
 穏便に取り計ろうと努める彼女の、指に掛かった先を見て、日本号はこれ以上言葉を重ねるのをやめる。
「……そうかい。……ありがたく頂戴しよう」
 審神者の持った徳利に、日本号は盃を空にして差し出した。
 無礼も非礼も、酒に流してしまえばいい――。それはとても乱暴な、しかし今の二人には最も適した方法だった。

 酌をされた日本号が、ふっと笑みを零す。注ぎきった審神者も、ようやく心からの微笑みを見せた。
「あらためて、日本号。ようこそおいでくださいました。これからよろしくお願いします」
「ああ。日の本一と称される槍・日本号、肩書通りの働きをあんたに見せてやるぜ」
 盃を高く掲げると、日本号は一気に飲み干した。





「さあて。いつかあんたとサシで飲める日を楽しみに、明日から励むとするかー」
「は、はい……?」
 酒を切らした日本号は引き上げ時と見て、大きく伸びをすると立ち上がった。
 審神者のほうは思いがけない話に、丈高い彼をぐっと見上げる。
 しかし日本号は彼女の声を聞いているのかいないのか、空の徳利と盃をさらって出口に向かった。
 審神者は慌てて彼を呼び止める。

「あの、ちょっと、日本号」
「――なあ主。俺は何回誉を取れば、その褒美に有り付けるんだ?」
 去り際に振り向いた日本号は、垂れ目の瞳をすうっと流して、ニヤリとしてみせる。
 考えといてくれ、と言い残し、審神者の部屋を出た。
 簾越しに見れば、後ろ手でひらひらと右手を振って消える。酔いを物ともしない軽やかな足取りだった。


 結局、審神者は聞き返すも引き止められず、部屋に一人となる。
 ほのかに酒の香りが残る中で彼女は、余韻になびいて我にもなく考えてしまっていた。
 ……馬には人参、管狐には油揚げ。そして、戦力拡充計画によって審神者にもたらされたのは、新たな刀剣男士・日本号。
 ならば、刀剣男士――日本号にも、報酬があって然るべき、かもしれない……と。

| return to menu |

初出:ぷらいべったー(150906)

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル