審神者が所用を終えた時には、陽はすでに天辺を悠々と越していた。平時は近侍や他の刀剣男士と昼餉をとっている彼女だったが、彼らは済ませている頃合いである。
 一人で広間に向かうも、近侍から食事がしまってある旨の書き置きがあるのみで人影はない。
 各々の職務や余暇に打ち込んでいるのだろう、たまには一人も悪くないか――そう思いつつ審神者が見れば、何故か自分だけでは多い量が残されていた。見積もるに、二食分だ。

 本丸で過ごす刀剣男士には、任意の時間に昼の食事をとるよう伝えてあった。人の体をして過ごす以上、食べないという選択はしないように、とも。
 彼女は昼餉時を全て潰すような作業を彼らに課さない。広間までに通りすがった際、手入れ部屋は空いていた。何らかの異常が起きた気配もなかった。
 となれば、うっかり何かに没頭でもして食べることを忘れている者がいるのだと、審神者は考え至る。……おおよそ“彼”の目星もついていた。



「……主殿? 如何なされた」
「あっ、山伏国広! 探していたのですよ」
「拙僧を、であるか」
 刀剣男士部屋で彼の不在を確認していた審神者の背後から、野太い声が掛かる。
 くるりと振り返れば、内番服に白手拭いを肩に掛けた山伏国広が疑問の表情で立っていた。
 夏の強い日差しを逆より受け、青銅色の輪郭が艶々といっそう輝いて映る。その短い髪は水気を含んだ後のようだった。

「山姥切国広の言ったとおりだったようですね、滝行でしたか」
「しかり! 自然の中で瞑想をし、滝を浴び真言を唱えて参った」
「いつからされていたのです?」
「干し物を終えた後より、つい先刻まで」
「……心底感心します」
 廊下から部屋に立ち入った山伏は、清々しく微笑みをたたえながら審神者に返した。
 山伏の行っていた先は、探すうちに耳に入れた彼の兄弟の言葉通りであった。
 この気候の中での瞑想は相当の集中を要するはずだが、疲れや怠さは微塵も見えない。滝が全てを流していったのかと思うほどに、彼は涼やかだった。


 充実感に満ちたその様子に、審神者は感服していた。所行も相まって、逆光で縁取られた姿は後光が差しているようで心持ち眩しく思う。
 最も気温の上がるこの時間こそが夏の真骨頂といえるだろう。しかし、だからこそ避暑に勤しむのが人というものだ。彼を探しに出た僅かの間でも、審神者にはこの暑さが煩わしかった。
 景趣を変更すれば万事解決なのだが、非日常的な本丸での生活に四季の演出を取り入れると決めたのは彼女本人だった。資金不足だからと春をやり過ごした淡い後悔が、頑として夏を断行する原動力となり今に至っている。
 簾を上げた部屋は縁側や庭までもがその一部のようで開放的だが、それゆえ空調は機能していない。
 審神者は早急に目的を果たし涼むべく、山伏に昼餉の伺いを立てようと口を開いた。

「山伏国ひ」
「主殿。……その後、“課題”は捗っておられるか?」
「えっ、……え、ええ」
 発したのはほぼ同時、だが審神者のほうが先に言葉を切った。山伏も止めかけたが、彼女が自分に譲ったと察してそのまま言い終える。
 思い出したように尋ねられた内容は、審神者にとってはいささか意外だった。彼の修行の熱心さからして、自分の努力目標を気に掛ける余白はないように思えたのだ。
 …ともあれ、まずは答える。

「皆さんが協力してくれて……」
「順調、結構であるな」
 審神者がどこか申し訳無さそうに感謝をこぼすと、山伏はうむ、と頷いて続ける。
「拙僧も主殿には修行の賛助を得ている身……此度はその謝恩を踏まえねばなるまいなあ」
 半歩前に出た山伏は、審神者の目の前で右膝をついて彼女を見上げた。
 丈の高い者に下から覗き込まれる。奇妙な状況の把握ができる前に、彼の指先が審神者の左手を攫う。――そして。

「無礼ながら――少々、拝借いたす」
 掴んだ手を引き寄せて、山伏は唇を落とした。
 流れるような所作であった。
 広い背中を丸めたのは僅か。鮮やかな寒色の後頭部は上がり、審神者の手がそっと戻される。
 紅に縁取られた目、その赤色の瞳が見つめてもなお、彼女のあらゆる行動は彼方に追いやられていた。


「…………あなたから、してくださるとは、思いませんでした」
「カカカ、微々たる助力である!」
 審神者がようやっと告げると、山伏は目をなくして歯を見せた。
 相手との繋がりを強める目的があるとはいえ、接吻をはたらく課題だ。こういった行為と縁遠い印象の山伏が積極的に動くなど、審神者には予想外だった。しかも一瞬で、意外にも快い様子で果たしてしまったのだから呆気にとられて仕方がない。
 唇の触れた手の甲と、彼の顔とを交互に見る彼女は、まだ驚きが先に立っている。

「繋がりを強くするならば、より深くに触れるべきところであるが……されば平時ではいられまい」
 再び瞳を開いた山伏は、審神者にちらりと目を遣っていた。
 その小さな声からして、彼は接吻の意味を弁えた上で手早く済ませたのだと察せられる。審神者が冷静であればこの傅き方からして気付くはずだが、今の彼女にその余裕はなく、とにかく課題への協力をありがたいと感じるのみだった。
「気遣ってくださり、ありがとうございます。山伏国広」
 膝を折り、審神者は正座をして山伏に感謝を伝える。す、と下がる目線を追った山伏は――微笑む彼女とは異なる表情でいた。

「む?」
「……む?」
 何故その言葉が出てきたのか、と言いたげな山伏に対して、何故言った内容が通じていないのか、と審神者は彼の一言をオウム返しにした。
 ……互いにキョトンと見つめ合うこと、暫し。
 沈黙を破ったのは、山伏が片膝立ちを戻して座り直す衣擦れだった。彼もまた正座となり、審神者を今一度じいと見つめる。

「……主殿。皆の者を想い課題に励むは立派なことである。されど先ず、己を案じられよ」
 山伏は膝を突き合わせた審神者へと語りかけた。
「件の行いは主殿の心を鍛える為のものではなかろう。物的な干渉で繋がりを強めようと、密かに心を痛めていては、真に成果を上げたとは言うまい。」
 ゆっくりと放たれる言葉を、彼女は順繰りに受け止める。
「朝の折、主殿は“これにより皆との心の距離は縮まるか”と申されたが……斯様な心持ちで、まことに心の距離が近づくと思われるか?」
 審神者が息を呑む。
 一瞬片目を細めるも、山伏は続けた。
「修行とは、すなわち苦行、ではないのである。……肝に銘じられい」


 山伏が審神者を説き伏せるような言い振りをするのは、なにも今が初めてのことではなかった。だが、普段にも増して厳めしい彼の声は出払って静かな部屋によく響く。
 次第に居た堪れない気分になって、審神者は肩を落とし俯向いた。
「すみません……」 
「いや、……いささか分を超えた物言いであった。相済まぬ。」
「謝らないでください、……本当にそのとおりでした」
 先ほどより幾分抑え気味で返された審神者は、顔を上げて否定する。

「私なりに考えて、課題に取り組むと決めたのですが……成果の上がらない現状に焦ってもいました。……結果だけ上げても先に繋がりませんよね」
 薄々感付いていたからこそ、山伏の一言一言が刺さったのだ。
 だが現に突きつけられると、敢えて物申すような者を――それでは駄目だと諌める者を求めていたようで、審神者は己が恥ずかしく思えてならなかった。

「拙僧は、……おそらく他の皆も、主殿の心を曇らす者にはなりたくないゆえ……何とぞ寛恕願いたい」
「いいえ……あなたが口に出してくれたからこそ、あらためて気付けたのです。ありがとうございます」
「礼など。拙僧も修行中の身である。それぞれの道を高めあおうぞ、主殿」
「……はい」
 山伏が謝意と謙遜の応酬に区切りをつける。真正面に見合うと、互いに表情を緩めた。


「その……この課題は、達成まで努めてみますが……」
「しからば、己の主張は相手に伝えるべきである。双方の今後に響くと心得られよ」
「はい」
 威風漂う口ぶりが山伏らしかった。審神者は先ほどより、はっきりと返事をする。
「うむ。……では早速、他の者のもとへ行かれるか」

 はい――と三度返すことはなく、彼女はここでようやっと用件を伝える機会を迎えたと感づく。忘れてはいなかったが、長らく逃していたのだった。
「あ、ですが……私はあなたに、よろしければ昼餉を、と伺いに来たのです。私もこれからなので、一緒にいかがでしょう」
「む……すっかり失念していた。では共に向かうとしよう!」
「山伏国広……活発に動いて、お腹は空きませんか……?」
「多少の空腹は、何事か打ち込んでいれば気にならぬものよ」
 カカカ、と笑い飛ばして山伏は立ち上がる。審神者も続き、廊下へ出た。


 広間に向けて歩くうち、空腹を自覚すると余計に食事が恋しくなっていく。人間の構造を刀剣男士がどれほど忠実に持ちあわせて顕れているのか……審神者には分かりかねるが、山伏の泰然とした姿を見ると、今日のことで己の精神の揺らぎやすさをあらためたくなった。
「……山伏国広。いつか、隣で一緒に瞑想をしてもよろしいでしょうか」
「カカカカカ、いつでも参られい! 拙僧のよき修行相手となろう」
「あなたにかかれば、何でも修行になるのですね」
 彼女はくすくすと笑い声をこぼし、山伏は再び大きく笑った。

 しかり、と続けた山伏は、微笑みをたたえながら僅かに歩を緩める。
 審神者との間に、ほんの半歩もない距離が空いた時――その差に気づかぬ彼女の背へ、そっと呟いた。
 ――主殿と共に在る刻は、魂を磨かれる心地がするのである。
 かすかに届いた声に審神者は振り向き、山伏の顔を見上げて聞き返す。しかし彼は、同じ言葉を繰り返しはしなかった。
「日々、是、修行。」
 陽だまりのような眼差しを刹那の幻に収め、山伏は破顔一笑してみせる。再び開いた瞳は一転して力強く、己を高めようという意思が如実に表れたものだった。

 青い髪、白い布、真っ赤な瞳。
 まともに見つめてしまった審神者が、目を細める。外を向けば、さんさんと降り注ぐ日差しにまた眩む。
 青い空、白い雲、真っ赤な陽。
 ……時折はためく干し物は、すでに乾いていることだろう。
 今になって、汗がにじんでいた。それも夏の陽気がもたらしたのだと、彼女は思いたかったが――再び隣に並んだ、濃赤のジャージを纏う熱源が正答なのだと……ひとり静かに観念していた。

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(山伏国広は明治以降に銀行のお偉いさんとこに居たことあるらしいから、西洋式の位の高い人への作法も知ってたりしないかな、と)
(本来は差し出された相手の手を取り、掴んだ自分の親指にキスする=「無礼ながら」云々)

初出:ぷらいべったー(160504)

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